1990年代のお菓子文化|日本社会の動きと製菓業界の変化

目次

1990年代の日本社会

1990年代の日本は、大きな時代の節目を迎えました。政治や経済、社会全体が変化し、人々の暮らし方や価値観にも影響を及ぼしました。こうした社会の揺れ動きは、お菓子業界にも大きく影響しました。変化の中から新しいスタイルや価値が生まれたこの時代は、日本のお菓子文化が大きく進化するきっかけにもなったのです。

社会の変化

平成のはじまり、お祝いムード

この時代を象徴する大きな出来事として、まず「平成」時代の始まりが挙げられます。

1989年、昭和天皇が崩御し、日本は新たに「平成」という元号を迎えました。日本人にとって一つの時代の終わりと新時代の幕開けを強く印象づける出来事です。1993年には、皇太子徳仁親王(現在の天皇陛下)と小和田雅子さまがご成婚され、日本中が祝賀ムードに包まれました。

消費税導入と経済体制の変革

同じく1989年には、もう一つ日本社会に大きな影響を与える変化がありました。

4月、初めての消費税(税率3%)の導入です。それまでの直接税中心の税制から、消費に広く負担を求める新たな税制度への転換です。消費税は家計の負担を直接的に感じさせるものであり、人々の購買行動にも変化が見られるようになります。この影響は嗜好品であるお菓子にも及びました。

国際情勢の変化

1990年代は、国内外で多くの出来事が重なり、社会が不安定な空気に包まれました。

1991年には中東で湾岸戦争が勃発。戦争は日本に直接的な被害をもたらすものではありませんでしたが、国際社会の緊張感が日本経済や外交にも影響を及ぼしました。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。大都市圏を直撃したこの震災は、約6,400人もの命を奪い、多くの人々の生活基盤を破壊しました。この出来事をきっかけに、防災意識の高まりや「家族との時間」や「日常のありがたさ」を再認識する価値観が社会に広がっていきました。日常に寄り添う存在であるお菓子もまた、癒しや心のつながりを象徴するものとして再注目されるようになります。

バブル崩壊、名店・大手企業の撤退

1990年代前半、日本経済はバブル景気の終焉を迎えました。この急激な変化は、お菓子業界にも少なからぬ影響を与えることになります。

1980年代後半にかけての好景気(バブル経済)は、株価や地価の高騰を生み出しました。しかし1991年頃からバブルが崩壊。株価は暴落し、不動産も値崩れを起こします。これにより企業活動が低迷し、家計も冷え込み、個人の消費意欲が大きく後退しました。

この影響でこれまで好調だった有名洋菓子店や大手製菓メーカーの中には経営難に陥るところも出てきました。長年親しまれてきたブランドの閉店や、事業縮小といった動きも見られ、業界に不安が広がりました。

嗜好の変化

スイーツ市場は、消費者の多様なニーズに応える形で二極化が進みました。有名パティシエが監修した芸術的なスイーツが注目される一方で、スーパーやコンビニで買える日常的なお菓子も多く登場。消費者は用途や予算に応じて自由にスイーツを選ぶことができるようになりました。

低価格志向への一時的な移行

景気低迷の中で、人々の間に「節約志向」が広がります。お菓子もまた「高価で贅沢なもの」から「手頃な価格で満足感のあるもの」へと需要がシフト。ギフト用商品などでも、豪華さよりコストパフォーマンスを重視したアイテムが人気となりました。

景気回復後の高級化路線への回帰

一方、1990年代後半になると、消費者の間に「本物志向」「品質重視」の意識が再び広がります。有名パティシエが監修するブランド菓子や、素材にこだわった高級スイーツが注目を集め、市場は「手頃な価格帯」と「高級志向」の二極化が進行しました。

日本の製菓業界、世界へ

1990年代は、製菓技術がグローバルな評価を受けるようになった時代でもあります。

この時期、日本人パティシエが世界の製菓コンクールに積極的に参加し、優れた成績を残す事例が増加しました。たとえば、「クープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリー」では、日本チームが技術力の高さを証明し、国際的な注目を集めました。

こうした活動を通じて、日本の製菓技術は世界から高く評価されるようになりました。パティシエ個人だけでなく、日本全体の製菓文化が一目置かれる存在へと成長していきます。

フランス菓子主導からの脱却

それまで日本の洋菓子は、フランス菓子の影響が強く、クラシカルなスタイルが中心でした。しかし1990年代に入り、ティラミス(イタリア)やベルギー産チョコレート、アメリカのベイクドスイーツなど、多様な国の菓子や素材が次々と取り入れられるようになります。

その結果、特定の国の型にとらわれない、新しい発想の洋菓子が登場。技術的にはフランス菓子を基盤としながらも、世界の感性を融合させた「日本らしい洋菓子」が誕生し始めたのです。

メディアの変化

1990年代、日本のスイーツ業界は大きな転換期を迎えました。情報メディアの進化とともに、流行菓子が次々と誕生し、消費者の嗜好や行動にも大きな影響を与えました。

この時代、テレビや雑誌などのメディアが、流行の火付け役として大きな力を持つようになりました。

テレビ、雑誌による情報発信

1990年代は、グルメブームの最中。情報番組や料理番組では、話題のスイーツや行列ができる人気店が頻繁に取り上げられました。また、女性誌や専門誌では、美しい写真や専門家のコメントを通じて新商品が紹介され、消費者の購買意欲を刺激しました。

行列現象と消費行動への影響

メディアで紹介されたお菓子は、瞬く間に注目を集め、店舗には長蛇の列ができることも珍しくありませんでした。消費者は、テレビや雑誌を参考に商品を選ぶようになり、企業側もメディア露出を意識した商品開発やマーケティングを展開するようになりました。

毎年のように生まれる「流行菓子」

メディアを中心とした情報発信が加速し、流行菓子が次々と登場しました。

1990年代を象徴するスイーツとして、イタリア発祥の「ティラミス」や、日本独自の製法で生まれた「生チョコレート」が挙げられます。これらはテレビや雑誌で取り上げられたことをきっかけに、一気に全国的なブームとなりました。ナタデココやクレームブリュレも同様に人気を集め、スイーツ業界に新たなジャンルをもたらしました。

イメージの変化

「パティシエ」呼称の定着

1990年代後半、菓子職人の社会的な立場やイメージが大きく変化し、フランス語でお菓子職人を意味する「パティシエ」という言葉が、日本でも定着しました。「パティシエ」という言葉の普及とともに、職人たちは新たな評価を受けるようになったのです。

テレビ番組などでパティシエが取り上げられ、その技術力や美学、創作哲学が紹介されることで、職人としてのカリスマ性が認知されるようになりました。これにより、若者たちの間で「パティシエ」は憧れの職業として注目されました。

それまで「ケーキ職人」「お菓子屋さん」と呼ばれていた人々が、「パティシエ」として紹介されるようになることで、専門性や職業としての格が上がった印象を与えました。呼び方の変化は、職人に対するイメージを洗練されたものへと変えました。

お菓子が芸術品になる

繊細で美しいデザインのスイーツが登場する中で、お菓子は単なる食べ物ではなく、視覚と味覚の芸術「ガトー」として扱われるようになりました。パティシエはアーティストとしての側面も持つ存在として捉えられるようになったのです。

有名パティシエの登場によって、消費者はお菓子そのものだけでなく、作り手の個性やバックグラウンド、ブランドとしての価値にも注目するようになりました。お菓子を通じて物語や哲学を味わうという、新しい消費スタイルが生まれたのです。

ギフト市場の変化

手頃な価格のスイーツギフト

バブル崩壊後、消費者の意識にも変化が生じました。バブル時代には高価格帯で豪華な見た目のギフトが主流でしたが、不況の影響を受け、より実用的で手頃な価格のスイーツギフトが求められるようになりました。

個人用のカジュアルギフト

お中元やお歳暮といった伝統的な贈答だけでなく、手土産や自分へのご褒美といった用途にもお菓子が選ばれるようになりました。ギフトの意味合いは「気持ちを伝えるもの」から「楽しさを共有するもの」へと変わっていったのです。

1990年代を彩ったお菓子たち

この時代には、一過性のブームにとどまらず、今もなお愛されるスイーツが数多く誕生しました。スイーツシーンは一気に広がり、消費者の選択肢も大きく広がりました。流行の波から生まれたスイーツの中には、定番化したものも多く存在します。

ティラミス、生チョコ、チーズケーキが人気

ティラミスや生チョコのブームに続き、ベイクド・レア・スフレなど多様なタイプのチーズケーキが人気を博しました。これらは一過性の流行では終わらず、長く親しまれる定番スイーツとなっています。

タピオカドリンクの初登場

現在は「第三次ブーム」と呼ばれるタピオカドリンクも、1990年代にその第一波が到来しました。当時はココナッツミルクベースのドリンクが主流で、新鮮な食感が話題を呼びました。

コンビニスイーツの進化

1990年代は、コンビニエンスストアのスイーツが本格的に進化した時代でもありました。

各コンビニチェーンが独自のプライベートブランド商品を展開し、手頃な価格ながらも本格的な味を提供するスイーツが増加。専門店に負けない品質の商品が手軽に手に入るようになり、日常的にスイーツを楽しむ文化が浸透しました。

まとめ

1990年代は、社会的にも経済的にも大きな変化の時代でした。元号が変わり、バブルが崩壊し、大規模な自然災害や国際問題にも直面しました。その中で日本のお菓子文化は、経済と消費の変動に対応しながら、国際化と技術の進化を遂げ、現在の多様で洗練されたスタイルの土台を築いていきました。

1990年代は、スイーツの世界にとって大きな飛躍の時代でした。メディアの力によって流行が生まれ、職人の地位が高まり、消費者の価値観が多様化しました。その影響は、現在のスイーツ文化にも色濃く受け継がれています。

この時代は、お菓子を通じて日本人の生活と価値観が映し出された重要な転換期だったといえるでしょう。

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