赤福餅とは
三重県伊勢市で300年以上にわたり愛され続けている赤福餅は、お餅の上に上品な甘さのこし餡(あん)が美しく盛られた和菓子です。餡につけられた三筋の波のような形は、伊勢神宮の神域を流れる五十鈴川(いすずがわ)のせせらぎを表しており、白いお餅は川底の小石を表現しています。単なるお土産のお菓子にとどまらず、伊勢の自然や歴史、そして「おもてなし」の心を伝える文化的な象徴として、多くの人々に親しまれています。
赤福餅の原材料
赤福餅の変わらない美味しさは、厳選された原材料と、それらを扱う徹底した品質管理によって支えられています。
こだわりの小豆
餡に使用する小豆は、すべて北海道産のものに限定しています。北海道の広大な土地と気候は小豆の栽培に最適であり、高品質な小豆が生産されています。特に十勝地方、上川地方、オホーツク地方で栽培された小豆を主に使用しており、音更町農業協同組合、芽室町農業協同組合、大樹町農業協同組合、北ひびき農業協同組合、オホーツクビーンズファクトリーなど、信頼できる生産者との契約により安定した品質を確保しています。これらの小豆は、色や大きさ、風味などを厳しく検査するだけでなく、実際に試験的に炊いてみて社内基準に合格したものだけを使用するという徹底ぶりです。
高品質なもち米
餅に使用するもち米についても、すべて国産のもち米を使用し、現在は北海道名寄(なよろ)産を中心に、一部熊本県八代(やつしろ)産も使用しています。もち米選びで特に重要視しているのは、時間が経っても硬くなりにくいという性質と、うるち米(普通のご飯として食べるお米)が混ざっていないということです。そのため、もち米だけしか作らない「もち米専作団地」で栽培されたものに限って使用するという徹底した品質管理を行っています。
名寄市のもち米生産組合の生産者たちは、「うるち米の混入を防ぐこと」を最も重要視して栽培に取り組んでいます。穂が付き始めたら田んぼの中まで入り、もち米の特徴と異なる稲(異種異形)がないかを一本一本確認して取り除く地道な作業を行っています。農薬散布についても、虫や病気の状況を確認してから農協指定のものを必要最低限に抑えるようにし、収穫後ももち米専用施設で色彩選別機などを使って異物の除去を行うなど、良質なもち米づくりに誇りを持って取り組んでいます。
赤福独自の砂糖
砂糖についても、赤福独自の厳格な基準が設けられています。結晶の大きさ、糖度の高さなど細部にわたって独自の基準を設定し、この基準に基づいた砂糖を製糖会社に委託して製造しています。このような原材料への徹底したこだわりが、赤福餅の変わらない美味しさを支えているのです。
赤福餅の形
五十鈴川を表す「三筋の波」
赤福餅の最も印象的な特徴は、なんといってもその美しい形にあります。餡につけられた三筋の波のような形は、伊勢神宮の神聖な場所を流れる五十鈴川(いすずがわ)のせせらぎをかたどっており、白いお餅は川底に転がる美しい小石を表現しています。この形は創業以来300年以上変わることなく受け継がれており、単なるデザインではなく、神聖な場所への敬意と自然への愛情が込められた深い意味を持っています。
「餅入れさん」の熟練の技
この美しい形を作り出すのは、「餅入れさん」と呼ばれる特別な職人たちです。彼らは3年以上の厳しい修業を積んだ専門の技術者で、繊細な指先の技術により、一つ一つの赤福餅を丁寧に手作業で形作っていきます。赤福本店では15時頃まで、実際にこの形を作る作業を見学できます。テンポよく美しい赤福餅を作り上げていく職人の熟練した技を間近で観察できます。ただし、すべてが手作業で作られているわけではなく、お店で食べる分は手作りですが、お土産として売られる赤福餅は工場で機械によって大量生産されています。
赤福餅の消費期限
赤福餅は保存料を使わない生菓子であるため、消費期限が厳格に設定されています。夏期(5月中旬~10月中旬頃)は製造日を含めて2日間、冬期(10月中旬~5月中旬頃)は製造日を含めて3日間となっています。折箱の側面には製造年月日と生産ラインナンバーが、包装紙には製造年月日と消費期限が表示されています。冬期の商品については、原材料に「糖類加工品(大豆を含む)」を使用している旨が追記されていますが、夏期は表記の原材料のみの使用となっています。
赤福餅の配送サービス
配送サービスについては、赤福餅の消費期限と配達にかかる日数の関係で、冬期(10月上旬〜5月下旬)のみ注文を受け付けています。夏期の間は消費期限が短いため宅配サービスを休止しています。また、商品の発送から到着までに2日以上かかる地域については購入することができず、現在は青森県・秋田県への配送も航空便の減少により休止扱いとなっています。
赤福餅の誕生背景
この赤福餅が生まれたのは、今から約300年前の宝永4年(1707年)のことです。この年は富士山が噴火して宝永山ができた、激しい変化があった年でもありました。伊勢神宮内宮前を流れる五十鈴川(いすずがわ)のほとりで、一軒の小さなお餅屋さんが誕生しました。正確な創業年は記録には残っていませんが、翌年の1708年に刊行された浮世草子(うきよぞうし)『美景蒔絵松』に「赤福」という屋号が登場することから、現在では宝永4年を創業年としています。
赤福という名前の意味
「赤福」という名前そのものにも深い意味が込められています。公式には「赤心慶福(せきしんけいふく)」という言葉に由来するとされており、これは「赤子のような、偽りのないまごころを持って自分や他人の幸せを喜ぶ」という意味があります。この言葉は、伊勢神宮をお参りする際の「清らかな気持ちでまごころを尽くし、その人の幸せを自分のことのように喜びましょう」という心のあり方を表現したものです。言い伝えによると、京都から来たお茶の宗匠(そうしょう)があんころ餅を「赤心慶福」と褒めたことを聞いた創業者の治兵衛(じへえ)が、この美しい言葉を屋号(お店の名前)と製品名に採用したということです。
赤福餅の商品バリエーション
商品のバリエーションとしては、定番の8個入りの「折箱」の他に、12個入り、20個入りがあり、20個入りは本店、内宮前支店、五十鈴川店のみでの販売となっています(他の直営店では事前予約により購入可能)。また、お一人お一人に配りやすい小さな箱に取り分けた2個入りの「銘々箱(めいめいばこ)」も人気です。この銘々箱を3箱入り、6箱入り、12箱入り、18箱入りと詰め合わせた商品も用意されており、贈り物やお配り物、各種お祝い事などに広く利用されています。
赤福の季節限定商品
赤福では、定番の赤福餅以外にも、季節に合わせた特別な商品や、伊勢ならではの習慣に合わせたお餅を提供しています。
夏「赤福氷」
夏期限定の「赤福氷」は、1961年に二見浦(ふたみうら)の海水浴客に向けて二見支店から販売が始まり、今では夏の風物詩となっている人気商品です。抹茶蜜をかけたかき氷の中に、赤福氷のために特別に作られたこしあんと、通常のお餅とは異なる専用の配合で作られたお餅が入っています。抹茶蜜の美しい緑色と、中のこしあんやお餅との相性は抜群で、夏の暑さを忘れさせてくれる清涼感あふれる逸品となっています。
冬「赤福ぜんざい」
一方、冬期限定の「赤福ぜんざい」は、煮崩れしにくくホクホクとした食感の大納言小豆(だいなごんあずき)を使用した温かい甘味です。注文を受けてから焼く、焼きたてのアツアツの角餅が2つも入っており、やさしく上品な甘さで冬に冷えた体をしっかりと温めてくれます。特筆すべきは、お口直しとして提供される塩昆布で、これが甘いぜんざいと絶妙な組み合わせを作り出し、味わいをより一層深めています。
伊勢の伝統「朔日餅」
伊勢には「朔日参り(ついたちまいり)」という美しい伝統があります。これは毎月1日に普段より早く起きて、無事に過ごせた1カ月を神様に感謝し、また新しい月の無事を願って伊勢神宮へお参りするという習慣です。赤福では1978年からこの朔日参りの参拝客をもてなすために「朔日餅(ついたちもち)」という特別な餅を作り始めました。朔日餅は元日を除く毎月1日にのみ販売される限定商品で、月ごとに内容が変わるのが大きな特徴です。
例えば、2月は「立春大吉餅」、3月は「よもぎ餅」、4月は「さくら餅」といった具合に、その月の季節感を織り込んだ内容となっています。赤福餅で培った技術に季節の要素を加えたこれらの餅は、消費期限が当日限りという厳しい条件のもとで、1日だけの限定販売となっています。そのため、朔日餅を求める人で早朝から本店周辺は大変な賑わいを見せ、この光景自体が伊勢の風物詩となっています。
「いすず野あそび餅」
近年の新商品として、2018年には「いすず野あそび餅」が発売されました。これは前年の全国菓子大博覧会で好評だった「白」、かつて販売していた黒砂糖餡の「黒」、新製品として大麦若葉で色をつけた「緑」(冬期はヨモギを使用)、そしてとうもろこしで色をつけた「黄」を、従来の「赤」と合わせて複数種類セットにした商品です。五十鈴川店のみでの限定販売となっています。
「白餅黒餅」
近年、赤福は伝統を守りつつ、新しい時代に合わせた商品開発にも取り組んでいます。
「白餅黒餅」は、素朴な黒砂糖味の「黒餅」と白小豆を使った「白餅」がそれぞれ4つずつ入ったセットで、黒砂糖のコクのある甘さと白小豆のさっぱりとした甘さの両方を楽しむことができます。
誕生のきっかけ
近年では、時代の変化に対応した新しい商品も生まれています。2021年には、新型コロナウイルス感染症の影響で外出の機会が少なくなった中、自宅で楽しんでいただきたいという思いから「白餅黒餅」が誕生しました。
込められたメッセージ
この白餅黒餅には深い考えが込められています。黒は生まれたばかりの純粋なものを象徴し、これからの可能性を秘めています。白は清らかで洗練されたものを象徴し、悪いものを払う御幣(ごへい)は白、神様に仕える衣装も白というように、神聖さを表しています。商品に込められた思いとして「影があるということは、そこに光もある。これから光に向かって進んでいく」という希望のメッセージが表現されています。
パッケージデザイン
パッケージデザインも意味深く、「天地人」という東洋の思想をイメージして作られています。白餅の白は天(雲)を、黒餅の黒は地(稲穂)を、そして右肩にある赤福の赤いロゴが人を表現しており、「私たち人間は、天地の恵みを受けてこの世に存在している。その恵みに改めて感謝する」という深い哲学が込められています。
赤福餅とあんころ餅【類似商品について】
赤福餅に似た形のあんころ餅は各地に存在しますが、中でも注目すべきは同じ伊勢市で製造・販売されている「御福餅(おふくもち)」です。これは赤福と同様に江戸時代に創業し、波形の形も赤福とそっくりで、ピンク色を基調としたパッケージも似ていますが、全く別の会社の製品です。また、三重県伊賀市の伊賀ドライブインでは「伊賀福」、名古屋市の朝朗商店が製造している「名福餅」など、様々な類似品が存在します。
歴史を振り返ると、明治から大正にかけて赤福の類似品が乱立し、時には赤福の前に店を出して挑んできた業者もありました。1875年には赤福本店の北隣に立派な店を構えた競合店が現れましたが、1年あまりで撤退しました。1877年に五十鈴川のほとりにあった当時の本店が水害で水浸しになった際には、かえって元ライバル店の敷地を買い取って改築し、本店を移転しました。これが現在の赤福本店の場所です。昭和に入ってからは、類似品対策として「赤」「福」のつく80種類の商標を登録するなど、ブランド保護にも努めています。
赤福餅の餡の歴史
現在私たちが食べている赤福餅の味は、実は創業当時からずっと同じだったわけではありません。時代とともに餡の味が変化してきました。
塩あんの時代(創業)
誕生当初の赤福餅は「塩あん」から始まりました。当時はまだ砂糖がとても貴重だったため、塩味の餡を使った素朴な味わいのお餅だったのです。この塩あんの時代が続いた後、18世紀中頃の江戸時代になると大きな変化が訪れます。
黒砂糖餡の時代
8代将軍徳川吉宗がサトウキビの栽培を奨励し、砂糖の生産量が増えたことから、赤福も次第に黒砂糖を使った餡に変わっていきました。この黒砂糖餡は、当初は身分の高い人々にだけ広まっていた高級品でした。しかし、天保年間(1830年~1844年)に薩摩藩(さつまはん)が大坂市場で黒糖を大量に流通させるようになってから、一般の人々にも広まりました。赤福もこの流れに乗って、約200年間という長い間、黒砂糖餡を使い続けることになります。甘みと独特の風味を持つ黒砂糖は、多くの人々に愛される味わいでした。
白砂糖餡の時代
しかし、明治44年(1911年)に大きな転機が訪れます。昭憲皇太后(しょうけんこうたいごう)、つまり明治天皇の皇后が伊勢神宮にお参りのため伊勢を訪れ、赤福餅を注文されたのです。赤福の職人たちは、甘みや灰汁(あく)の強い黒砂糖餡では「皇后陛下のお口に合わないのではないか」と心配しました。そこで、当時まだ非常に貴重だった白砂糖を使った特別な餡で赤福餅を作り、献上しました。結果として、昭憲皇太后はこの白砂糖餡の赤福餅を大変気に入り、以来、赤福では一般販売にも白砂糖餡を使うようになりました。
赤福では、昭憲皇太后の注文を受けた5月19日を「ほまれの日」と定め、包装紙にも「ほまれの赤福」と称するようになったのです。
赤福本店の歴史
赤福本店は、伊勢神宮内宮の近くにある歴史ある建物で、そこには昔からのおもてなしの心が息づいています。
歴史ある建物の佇まい
赤福本店は、伊勢神宮内宮から「おはらい町通り」を歩き、「おかげ横丁」の入口手前にある歴史ある建物です。明治時代から140年以上にわたって大切に守られてきたこの建物は、どっしりとした佇まいと、金色の文字で大きく「赤福」と書かれた看板が印象的です。多くの観光客が写真撮影をしていく名所となっています。建物は伊勢らしい切妻(きりづま)屋根で、お店の間口を広く見せるために高く設計されています。妻入りの軒先にかかる海老茶色(えびちゃいろ)ののれんをくぐると、まるで昔の時代にタイムスリップしたような気分になります。
神様が宿る「竈」と「お伊勢参り」へのおもてなし
店内に足を踏み入れると、まず目に飛び込んでくるのは3つ連なった大きな朱色の竈(かまど)です。この竈は単なる飾りではありません。昔から竈には神様が宿ると言われており、赤福では穢れ(けがれ)や災いを清める力があるとされる「三宝荒神(さんぽうこうじん)」という竈と火の神様をお祀りしています。毎朝神聖な気持ちで大切に竈の火を焚き、この火でお茶を淹れるためのお湯を沸かしています。竈から立ち上る湯気と、地元三重県産の番茶を焙じる香ばしい薫りは、昔から「どうぞお茶を飲んでいってくださいね」という、お伊勢参りのお客さんへのおもてなしの心を表現していました。
興味深いことに、伊勢市内にある赤福の他の店舗にも竈はありますが、実際にお湯を沸かすために今も使われているのは本店の竈だけです。毎年年末には、この鮮やかな朱色に塗り替える作業が恒例行事となっており、新年を迎える準備の一環として大切に行われています。
句碑とツバメが象徴する日常
本店庭先には、俳人である山口誓子(やまぐちせいし)先生が詠んだ「巣燕も覚めゐて四時に竈焚く(すつばめもさめいてよじにかまどたく)」という句碑が建てられています。この句は、毎朝5時の開店に備えて4時頃に竈の火を焚く様子を、巣から顔をのぞかせたツバメが見守っているという美しい情景を詠んだもので、一日も欠かすことなく続ける強い忍耐力への賛辞でもあります。実際に、赤福本店の軒先には毎年春になるとツバメが巣作りをし、子ツバメも生まれて南へ旅立つその日まで、温かく子育てを見守っています。ツバメは人通りの多い賑やかなところに巣を作る習性があり、昔からツバメが巣を作る家は商売が繁盛して縁起が良いといわれてきました。
五十鈴川を望む特等席
店内は畳敷きの座敷席と縁側席に分かれており、特に縁側席は店の人もおすすめする特等席です。ここからは目の前を流れる五十鈴川の美しい景色を眺めながら、ゆったりとした時間を過ごすことができます。川の向こうには伊勢で一番高い朝熊山(あさまやま)をはじめ、神様のご用材を育てる神路山(かみじやま)の緑豊かな山並みを望むことができ、まさに神聖な場所にふさわしい、美しく厳かな情景が広がっています。一年を通じて朝5時にはお伊勢参りができるため、赤福も毎朝5時に店を開け、早朝の参拝客を迎えています。
赤福の過去の困難・試練
戦争中
赤福の長い歴史には、困難な時期と、それを乗り越えて信頼を取り戻した経験があります。
戦争中の昭和19年には食料不足などにより休業せざるを得ませんでしたが、終戦後の昭和24年には営業を再開するという困難な時期も乗り越えてきました。
偽装事件
しかし、最も大きな試練は2007年に発生した製造日と消費期限の偽装事件でした。この問題は、出荷の際に余った餅を冷凍保存して、解凍した時点を製造年月日として偽装して出荷していたもので、赤福では「まき直し」と呼んでいました。
偽装は未出荷のものだけでなく、配送車に積んだまま持ち帰ったものもありました。さらには、回収した赤福餅を餅と餡に分けて「むき餅」「むき餡」と称し、自社内での材料に再利用したり、関連会社へ原料として販売していた事実も発覚しました。偽装品の出荷量は2004年9月1日から2007年8月31日までの間に605万4,459箱(総出荷量の約18%)に上り、この問題は実に十数年前から続いていたことが明らかになりました。
この問題により、三重県は10月19日より赤福に対して無期限の営業禁止処分を下し、赤福は創業以来最大の危機を迎えました。会社は真摯にこの問題に向き合い、冷凍設備の撤去、古くなった設備の改修、製造年月日を包装紙だけでなく折箱の側面にも印刷する印字装置の設置など、再発防止策を徹底的に講じました。また、ISO22000認証の取得やHACCP手法導入施設としての認定を受けるなど、食品安全管理体制の大幅な強化を図りました。
2008年1月30日に営業禁止処分が解除され、2月6日より本店をはじめとする伊勢市内直営3店で営業を再開しました。その後段階的に販売店を拡大し、現在では直営店と委託販売店を合わせて多くの店舗で販売されています。この困難な経験を通じて、赤福は品質管理と会社としての倫理の重要性を改めて認識し、より信頼される企業へと生まれ変わりました。
赤福と文化
赤福は、お菓子としての顔だけでなく、日本の文化や地域の日常に深く根ざした存在としても親しまれてきました。
「赤太郎」と「伊勢の名物・赤福餅はええじゃないか」
文化的な側面では、赤福は長年にわたって「赤太郎」という侍をイメージしたマンガのキャラクターをCMに登場させ、「伊勢の名物・赤福餅はええじゃないか」という印象的なCMソングとともに多くの人々に親しまれてきました。赤太郎の生年月日はテレビCMを開始した1963年5月19日生まれとされ、明るく情け深く、時には少し抜けている性格という設定で愛されています。また、三重県の地域新聞である伊勢新聞の1面題字下には、赤福提供による「まんが天気予報」が連日掲載され、三重県を北中部、南部、伊賀の3地域に分けた天気予報と赤太郎のイラストが地域の人々の日常に溶け込んでいました。
「おかげ参り」の精神と施行
江戸時代に盛んになったお伊勢参りは「おかげ参り」と呼ばれていました。これは、無事にお伊勢参りができるのは目には見えない神様のおかげであり、道中の人々による「施行(せぎょう)」と呼ばれる様々なお世話のおかげでもあるという考えから生まれた呼び名です。施行とは、お伊勢参りの旅人が無事に念願を果たせるよう、道中の人々が宿や食事、お風呂、旅費などを施すことを指します。施行をすれば徳を積めるという考えから、お伊勢参りの道中の誰もが喜んで行ったと伝えられており、この精神は現在の赤福にも受け継がれています。
赤福餅の製造工程
赤福餅は、300年以上にわたる伝統的な製法を守りつつ、現代の厳しい食品安全基準に対応した最新の設備を導入し、厳格な品質管理のもとで製造されています。原材料の入荷からお客様の手に届くまでの全工程において、徹底したこだわりが貫かれています。
原材料の厳重な管理
赤福餅に使われる砂糖、小豆、もち米などの原材料は、製造予定数に応じて本社工場内にある専用倉庫へと運ばれます。この段階から既に品質管理が始まっており、原料袋の破れがないかを目で確認し、搬入前にはエアブラシで原料袋やパレットに付着した異物を除去する作業を行います。
倉庫自体も、外部からの異物混入を防ぐため、インターロックシートシャッター(同時に開かない二重扉のシャッター)を設置しています。原料運搬用のリフトも屋外用と倉庫内用で専用のものを使い分けています。倉庫内は一年を通して適切な温度が保たれるように管理され、ここから日々の生産に必要な原料が各生産現場へと届けられます。
餡と餅の製造工程
製造工程では、まず小豆を煮て皮を取り除いた後、大量の水でアクなどの不純物をしっかりと洗い流します。余分な水分を絞ると**「生餡(なまあん)」**ができ、これに水と砂糖を加えて餡を炊き上げます。
一方、もち米の処理では、最新のもち米選別装置を使って、万が一の異物混入を防いでいます。もち米は丁寧に研いで十分に水を含ませた後、蒸し上げられ、自動もちつき機で搗(つ)かれます。搗きあがった餅には砂糖が加えられます。
最終検査
最終的に餡と餅を機械にセットすると、赤福餅は自動的にあの美しい形に作られます。機械による製造とはいえ、品質管理は決して機械任せではありません。形作られた赤福餅は、一つ一つ標準の重さかどうかを検査され、規格外のものは取り除かれます。その後、折箱の側面には製造日が印字されますが、この製造日のもとになる内部クロック(カレンダー)はIDパスワードで厳重に保護・管理されています。
さらに、人の目による検査で色や形などの異常がないかを一つ一つ確認し、食品用X線装置を使って赤福餅の中に硬い異物が入っていないかを細かく調べます。異常が検出された製品は自動的に製造ラインから排出され、次の包装工程へ進むことはありません。
赤福餅の包装工程
赤福餅の包装には、お客様への細やかな心遣いや伝統を伝える工夫が凝らされています。
丁寧な包装作業
最終検査を終えた赤福餅は、包装工程へと進みます。木目シート、ふた、その日の**「伊勢だより」**、さじの順に自動的に入れられます。赤い帯で封がされ、ピンク色の包装紙にも製造年月日と消費期限が印字されます。一箱一箱に正しく印字されているか検査装置と目視で確認し、最後に金属検出機を通して金属類が入っていないかの最終確認を行った後、段ボールに梱包されます。
心遣いの詰まったデザイン
商品包装紙の上面には伊勢神宮の神殿と内宮前の宇治橋(うじばし)が描かれ、底側には赤福にちなんだ俳句が記されています。また、箱の中には500種類ほど用意されている「伊勢だより」という、その日にちなんだ文章と絵の入った紙片が入れられています。この「伊勢だより」は単なる包装材ではなく、赤福からお客様への心のこもったメッセージとして親しまれています。
折箱や銘々箱(めいめいばこ)の帯封も季節によって色を変えており、冬季用は臙脂色(えんじいろ)、夏季用は水色となっています。このような細部へのこだわりも、赤福が長年愛され続けている理由の一つです。
赤福餅の販売と品質保持
製造された赤福餅は、お客様の手に届くまで厳重な品質管理が続けられ、広範囲の販売網を通じて提供されています。
出荷後の品質管理と廃棄
梱包された赤福餅は、温度管理されたストック場で届け先別に分けられ、専用の大型車で本社工場から大阪営業所と名古屋営業所へ運ばれます。営業所へ届けられた商品は営業車に積み替えられ、各販売店へと届けられますが、この過程でも品質管理は続きます。営業担当者は頻繁にお店を訪れて、イベント情報や天候を考慮しながらその日の売れ行きを把握し、適切な在庫管理を行っています。
こうして作られた赤福餅は店頭に届けられ、製造日の確認をしてから販売されます。当日売れ残った商品については、廃棄品として全て本社工場に回収されます。回収した商品は本社工場内にある廃棄品専用の保管室で数量を厳重に確認した上で一時保管し、一定量まとまった後、委託業者によって全て廃棄されます。この徹底した品質管理により、消費者は安心して赤福餅を召し上がることができます。
広がる販売網と配送サービス
現在の赤福は、直営店21店と委託販売店を合わせて、中京・近畿圏のJR線主要駅や近鉄沿線の特急停車駅、サービスエリア、百貨店、空港売店など、広範囲で販売されています。また、オンラインでの購入も可能で、店舗に行けない方でも赤福餅や白餅黒餅を楽しむことができます。
赤福の経営体制
企業としての赤福は、伊勢市において近鉄グループと並んで大きな影響力を持つ存在です。上場していない企業であり、発行済み株式は創業家である濵田一族が大株主の濱田総業が84%を保有しています。伝統企業の国際組織であるエノキアン協会の会員企業でもあり、地域社会への貢献も積極的に行っています。2013年には総事業費15億円をかけた「伊勢フットボールヴィレッジ」のピッチ2面とクラブハウスを伊勢市へ寄贈し、そのうち13億円を赤福が負担するなど、地域スポーツの振興にも大きく貢献しています。
赤福の経営陣については、創業家である濵田家が代々経営を担ってきました。現在は12代目(企業化4代目)の濵田勝子氏が代表取締役社母兼社長を務めており、2024年からは濵田朋恵氏が新社長に就任しています。家族経営から会社組織としての経営への転換を図る過程で様々な変化がありましたが、伝統を大切にする姿勢は一貫して維持されています。
関連企業についても触れておく必要があります。酒造メーカーの伊勢萬は濵田家の指示で長年にわたり問題のある取引を行っていたことが発覚し、2020年には大きな社会問題となりました。この件により全国各地の物産展での販売中止が相次ぐなど、企業グループ全体に影響が及びました。しかし、赤福本体は真摯にこの問題に対応し、企業としての倫理の向上と法律を守る体制の強化に努めています。
まとめ
赤福餅は、300年以上にわたって変わることなく愛され続けてきた、まさに日本の伝統文化の結晶です。その美しい形に込められた五十鈴川への思い、厳選された原材料へのこだわり、職人の熟練した技術、そして何より「おもてなし」の心が、時代を超えて人々を魅了し続けています。伊勢を訪れる人々にとって、赤福餅は単なるお土産ではなく、神聖な土地での特別な体験の一部として、心の奥深くに刻まれる貴重な思い出となっているのです。現代においても、この伝統の味は確実に次の世代へと受け継がれ、これからも多くの人々に愛され続けていくことでしょう。