ピエール マルコリーニとは
ピエール マルコリーニは、ベルギー出身のショコラティエであり、カカオ豆の選定からチョコレートの製造までを一貫して行う「Bean to Bar(ビーントゥバー)」という手法の先駆者として世界的に知られています。彼は、単に美味しいチョコレートを作るだけでなく、チョコレートを通じて人々に喜びを届け、カカオ農園の人々の想いも伝えたいという深い哲学を持っています。
ピエール マルコリーニの軌跡
ピエール マルコリーニは、どのようにして世界的に認められるショコラティエとなったのでしょうか。彼の人生を決定づけた出来事から、輝かしい功績までを解説します。
チョコレートへの目覚め
子供の頃から食べることが好きだったピエール マルコリーニの人生を決定づけたのは、14歳の時の出来事でした。母親が作ってくれたチョコレートの味が忘れられず、その美味しさに深く魅了されたのです。この体験が彼をチョコレートの世界へと導き、将来ショコラティエになりたいという夢を抱かせました。夢を実現するため、彼は数々の名店で修業を重ね、技術と感性を磨き続けました。地道な努力を重ねる中で、彼は自身の腕を磨いていきました。
クープ・デュ・モンド優勝
長年の努力が実を結んだのは31歳の時でした。リヨンで開催されたクープ・デュ・モンド(パティスリー世界大会)という、パティシエにとって最高峰の国際大会に出場し、チームを優勝へと導いたのです。この輝かしい成果により、彼は「斬新な」「時代の先を行く」「先駆的な」「革新的な」ショコラティエとして国際的な注目を集めるようになりました。
独立
1995年、ついに彼は独立を果たします。ベルギーのクラーイネムに最初のアトリエを開設し、ショコラティエとしての本格的な歩みを始めました。2年後の1997年には、ブリュッセルの美しいグラン・サブロン広場に最初のブティックをオープンし、事業を本格化させました。情熱あふれる彼の作品は多くの人々を魅了し、これまでに40以上もの賞を受賞するなど、その実力は世界的に認められています。
数々の栄誉
こうした長年の功績が評価され、2015年にはベルギー王室御用達の称号を拝命しました。さらに2020年10月、ミラノで開催されたWORLD PASTRY STARS 2020において、世界最優秀パティシエ(Best Pastry Chef in the world)を受賞し、25年以上にわたって培ってきた革新的な創造力が最高レベルで評価されたのです。
ピエール マルコリーニの考え方
ピエール マルコリーニが他のショコラティエと大きく異なるのは、チョコレート作りに対する根本的な考え方にあります。彼は「Bean to Bar」という手法の先駆者であり、「Bean to Home®」という哲学を掲げています。
「Bean to Bar」への挑戦
30代の頃、ピエール マルコリーニはショコラティエの役割自体を根本から変えようと決意しました。一般的にチョコレート菓子を作る場合、既製のクーベルチュール(チョコレートの原料となる板チョコのようなもの)を購入し、それを溶かして生クリームなどと混ぜ合わせ、ボンボン・ショコラやタブレットなどの最終製品に仕上げます。つまり、多くのショコラティエは「加工」の専門家なのです。
ところが、ピエール マルコリーニは美味しさと品質を徹底的に追求するため、カカオ豆の選定からチョコレートの製造まで、すべての工程を自らの手で行うことにしたのです。これは「Bean to Bar」と呼ばれる手法で、カカオ豆(Bean)からチョコレート(Bar)まで一貫して製造することを意味します。現在では多くのチョコレート店がこの手法を取り入れていますが、ピエール マルコリーニはその先駆者的存在でした。
カカオへの飽くなき探求
2001年から本格的にこの取り組みを開始し、20年以上にわたって自らの手でカカオ豆からチョコレートを作ることに情熱を注ぎ続けています。最高品質のチョコレートを作るため、彼は毎年何か月もかけて世界中を旅し、希少なカカオを求めています。なぜそこまでするのかというと、カカオ豆の品質は気候や土壌、栽培方法、さらには生産年によって大きく異なるからです。
実際に彼はカカオ農園まで足を運び、生産者と直接会い、カカオの選別を自分の目で確かめ、農園との契約を取り付けています。単に良いカカオを手に入れるだけでなく、カカオ農園と生産地を守るために公正な価格を支払うことを信条としており、最高品質のカカオ豆のみを厳選し、サステナビリティ(持続可能性)を尊重した倫理観のあるチョコレート作りを目指しています。
チョコレートに込められた哲学「Bean to Home®」
この想いは「Bean to Home®」という言葉に表現されています。これは、チョコレートを味わう人に、カカオ農園の人たちやカカオがたどってきた軌跡に思いを馳せてほしいという願いが込められた言葉です。単においしいチョコレートを作るだけでなく、チョコレートを通じて人々に幸せを運び、同時にカカオ農園の人たちの想いも届けたいという、彼の深い哲学が表れています。
ピエール マルコリーニのチョコレート作り
では、ピエール マルコリーニはどのようにして、その独自の哲学をチョコレートへと昇華させているのでしょうか。
ピエール マルコリーニによると、カカオの品質を見極めるための要素は、土地が60%、熟成が20%、焙煎が20%です。世界各国の農園から厳選されたカカオ豆は、ブリュッセル郊外のハーレンにあるアトリエに大切に運ばれます。そこで、彼独自の理論のもと、10以上の複雑な工程を経て、その想いが凝縮されたクーベルチュールへと形を変えるのです。
また、彼はこうも語っています。

「仮に同じ素材を使ったとしても、同じクーベルチュールは誰にも作れない。なぜなら、アトリエは人間性そのものである。私の人間性は私にしか存在しないのだから…」
この言葉からは、単なる技術や製法の問題ではなく、作り手の人間性や哲学、感性がチョコレートに深く反映されるという、彼の根本的な信念が伝わってきます。
こうして生み出される彼のクーベルチュールは、香りと味わいの両面で理想的なチョコレートとなり、それが最終的なボンボン・ショコラやタブレットの品質を決定づけているのです。つまり、私たちが口にする一粒一粒のチョコレートには、カカオ農園から始まる長い物語と、彼の人間性が込められているということになります。
ピエール マルコリーニの日本上陸
ピエール マルコリーニが日本市場で成功を収めた背景には、特別な出会いと、日本市場への深い理解がありました。
日本進出のきっかけ
このような独自の哲学と手法を持つピエール マルコリーニが日本に上陸したのは2001年12月のことでした。
銀座に日本初のブティックをオープンしたのですが、この日本進出は興味深い経緯で実現しました。皮革製品をはじめヨーロッパの高級ブランドを扱う株式会社キャンディーの子会社である株式会社THE CREAM OF THE CROP AND COMPANYが、ベルギー王室御用達の革製品ブランド「DELVAUX(デルボー)」の総輸入販売元をしていたことから、当時の駐日ベルギー王国大使に「ベルギーに、将来展望のある若いショコラティエがいる」と紹介されたのが出会いのきっかけでした。
担当者が初めて彼のチョコレートを食べたとき、その美味しさに深く感動したといいます。まだ30代だったピエール マルコリーニ本人も日本での展開に強い意欲を示していたため、「この美味しいチョコレートをぜひ日本に紹介したい」という熱い思いで出店が決定されました。
銀座出店
出店場所として銀座を選んだのにも明確な戦略がありました。自分のためにチョコレートを買うような、食に対する感度の高い大人の客層がいるエリアで勝負したいと考え、最初から銀座に絞って物件を探したのです。結果的に見つけたのは、ワンフロア10坪の4階建ての縦に長い物件でした。この特殊な構造から、物販だけでなくカフェも併設するアイデアが生まれました。
カフェ併設の戦略
実は、このチョコレート専門店にカフェを併設するというスタイルは、当時ベルギーにもなかった革新的な試みで、日本で初めて展開されたものでした。この決断が、後に大きな成功要因となるのです。
なぜなら、1粒数百円もするボンボン・ショコラは、日本では日常のスイーツというよりも、ギフトとしてのニーズが高い商品だったからです。これには、日本独自のバレンタイン文化も大きく影響していました。
チョコレートの物販だけでは、どうしても特別な機会にしか購入されない傾向があります。しかし、イートインのカフェを併設したことで、より多くの人々が気軽にピエール マルコリーニのチョコレートに触れる機会が生まれました。これにより、間口がぐっと広がったのです。
「マルコリーニチョコレートパフェ」で人気爆発
開業当初から大きな注目を集め、チョコレート専門店のカフェという珍しさもあって、多くの来店客で賑わいました。当初はファッション系のつながりが多く、グルメ系のメディアよりもファッション誌などに掲載されることが多かったといいます。それでも、チョコレート専門店のカフェという珍しさと、何より味の素晴らしさから、徐々にメディアの取材が入るようになりました。
そして、一気に人気に火をつけたのが「マルコリーニチョコレートパフェ」でした。このパフェは、チョコレートの多彩な味わいを楽しんでもらうため、様々なチョコレートのパーツとバニラアイスで仕立てられた逸品で、多くの人々を魅了しました。連日行列ができるほどの盛況ぶりとなり、ピエール マルコリーニの名前が日本中に知れ渡るきっかけとなったのです。
アイスクリーム事業の成功
成功はこれだけにとどまりませんでした。
2003年には、本店の隣に「ピエール マルコリーニ アイスクリーム銀座」をオープンしました(後に2015年にリニューアルし、チョコレートショップと統合)。
実は、ピエール マルコリーニはショコラティエとしてだけでなく、グラシエ(アイスクリーム職人)のディプロマも持っており、その多彩な才能がここでも発揮されました。ベルギーで提供していたアイスクリームが非常に印象的な美味しさだったため、日本でも専門的に展開したいという思いがあったのです。
この展開により、冬はチョコレート、夏はアイスが売れるという理想的な年間を通した事業構造ができあがりました。季節に左右されがちなスイーツビジネスにおいて、これは非常に重要な成功要因となりました。
「ソフトショコラ」の開発
さらに、日常的にチョコレートを食する文化のない日本で、チョコレートの多様性を広めるために、日本にしかないアイテムもいくつか導入しました。2008年には、焼き菓子などを日本で製造するための「アトリエ”C”」を開設し、アイテムの幅を広げることで多彩なギフトの提案を可能にしました。
特に画期的だったのが、2012年夏に名古屋店で初登場した「ソフトショコラ」と名付けたソフトクリームです。ボンボン・ショコラは少し敷居が高いと感じる人でも、ソフトクリームなら気軽に楽しめます。日本人にとってソフトクリームは非常に身近な存在で、道の駅など全国の観光地には必ずといっていいほどあり、子供から年配の方まで幅広く愛されています。
開発は日本で行われましたが、チョコレートが非常に濃厚なため、開発当初はマシンに詰まって出てこないほどだったという興味深い逸話もあります。現在では各店舗に普及し、バレンタインの催事などでも大人気のメニューとなっており、幅広い客層にピエール マルコリーニの魅力を届ける重要な役割を果たしています。
日本への愛情
ピエール マルコリーニの成功は、単なる品質の高さだけでなく、日本市場への深い理解と、彼自身の日本への愛情に支えられています。
日本のバレンタイン文化への対応
年間で最大の売上を記録するバレンタインシーズンには、日本の慣習に合わせた特別な取り組みを行っています。バレンタインの新作をピエール マルコリーニ本人に開発してもらい、特別感のあるパッケージを日本で作成するなど、日本人のギフト需要に合った商品を展開しています。バレンタイン商品の開発は夏前から始まりますが、毎年彼は快く引き受け、一生懸命取り組んでくれるといいます。
ファンサービス
また、第1回から参加している「サロン・デュ・ショコラ」をはじめ、全国の百貨店などで行われる催事にも積極的に出店しています。特に印象的なのは、ピエール マルコリーニ自身がファンにサインを行うファンサービスです。年に2~3回の来日を欠かさず、バレンタインの時期には1時間刻みで各所へ移動し、1日中サインをし続けるというハードなスケジュールを、いつも笑顔でこなしてくれるのです。
銀座ショコラストリートでの輝き
彼は自身で「前世は日本人だったかも」というくらい日本に親しみを感じており、日本のお客様から受け取った感動を、新しいクリエイションを生むパワーに変えています。実店舗は東京駅や羽田空港など特別感のある場所を選んで出店してきたため、バレンタイン時期の百貨店催事は、全国のお客様にピエール マルコリーニのチョコレートを楽しんでいただく重要な機会となっています。
このような日本への深い愛情と献身的な姿勢が、ピエール マルコリーニの持続的な成功につながっています。実は、「ピエール マルコリーニ」が出店した銀座の西五番街通りには、その後海外のチョコレートブランドの出店が相次ぎ、「銀座ショコラストリート」と呼ばれるようになりました。しかし、その後多くのブランドが撤退していく中で、ピエール マルコリーニは約20年間にわたって銀座で輝き続けています。
フランスの「ジョエル・ジュナン」(2013年12月閉店)、「イルサンジェー」(2014年閉店)、イタリアの「リナルディーニ」(2014年閉店)など、現在ではほとんどのブランドが残っていません。中には数か月で閉店したり、日本から完全に撤退してしまったブランドもあります。同じベルギーの老舗「ノイハウス」も一度撤退し、2019年に再上陸するなど、撤退と再参入を繰り返すブランドも少なくありません。
本国では高く評価されているチョコレート店であっても、日本で長く商売を続けるのは本当に難しいことです。パートナーシップの問題など経営的な事情もありますが、ピエール マルコリーニが成功し続けている理由は明確です。単にチョコレートの品質が高いだけでなく、日本市場への深い理解、継続的な商品開発、そして何より本人の日本への愛情と献身的な姿勢にあるのです。
ピエール マルコリーニ ロゴマークを変更
現在もピエール マルコリーニは革新を続けています。2018年には、創業以来使用していたカカオポッドのロゴマークを一新しました。羅針盤とイニシャルをデザインした新しいロゴマークが「世界を旅するショコラティエ – ピエール マルコリーニ」の新たなシンボルとなり、モダンで洗練された印象を与えています。このロゴマークのもと、五感を刺激し、感動を与えるチョコレートを作りたいという情熱を持って、カカオへのこだわりと創造力をさらに進化させ続けています。
前向きで情熱的、職人気質の彼にとって、チョコレート作りは喜びと発見、創造力を掻き立てるものであり、それを多くの人々と共有することが自分の使命であると考えています。自らの喜びと発見をチョコレートに表現して、感動を分かち合いたいという強い想いを胸に、ピエール マルコリーニのチョコレート作りへの探究は果てしなく続いています。カカオを追い求めて世界中を駆け巡る彼の旅は、まさに終わりのない冒険といえるでしょう。
14歳の少年が母親のチョコレートに魅了されてから始まった物語は、今や世界中の人々に愛される一大ブランドへと成長しました。しかし、その根底にあるのは変わらぬ情熱と、チョコレートを通じて人々に幸せを届けたいという純粋な想いなのです。