日本におけるフランスパンの発祥起源
明治時代、日本にフランスパンがもたらされた背景には、あるフランス人教師の尽力がありました。
1886年、フランス人のレイ氏が東京府小石川関口にある教会に赴任。フランス語教師として教会内の孤児たちのためにパンを焼き始めたことが日本でのフランスパン文化の始まりとされています。
彼の工場は1888年に完成し、そこで作られたパンが「関口フランスパン」として知られるようになりました。
当時のフランスパンが現代の細長いバゲットそのものだったかどうかは定かではありませんが、そのパンが明治22年の大凶作や翌年の米価高騰の際に多くの人々に喜ばれたことで一躍注目を集めたのです。
関口フランスパンと本来のバゲット
関口フランスパンの初期の製品は現代のバゲットとは異なり、二つに割れて盛り上がった形をしていました。
まるでお尻のような形と表現されるそのデザインは日本人にとって食べやすいサイズ感を意識して作られたものと考えられています。
一方でフランス本来のバゲットは昭和25年にフランス人レイモン・カルヴェル氏が来日してから初めて本格的に紹介されました。
それまでの間、関口フランスパンは日本におけるフランスパンの象徴的存在として、その独自の形状と風味で支持を集めていたのです。
このように日本独自の工夫とフランスの伝統が交錯したパン文化が形成されていきました。
日本におけるフランスパンの普及
明治時代の日本ではイギリス式の食パンが広く普及していました。
その中で関口フランスパンは九段の暁星学園の給食に採用されるなど、フランス人宣教師たちによる小さなコミュニティでひっそりと受け継がれてきており、一部の知識人たちの間でも関口フランスパンは特別な存在として愛されていました。
こうした限定的な支持基盤の中でもパン職人たちはその味を守り続け、フランスパン文化の火を絶やすことなく伝えていったのです。この地道な努力が現代のフランスパン人気の礎となっています。
レイモン・カルヴェル
フランスパン文化を日本に根付かせた立役者の一人がレイモン・カルヴェル氏です。
彼は南フランスの出身で製粉専門学校パン科の助手として初めて日本を訪れました。
その後教授となり、生涯にわたり30回以上も日本を訪問しました。
彼はフランスで伝統的に作られているバゲットや、ブリオッシュ、クロワッサンといったフランス風のパンを日本に紹介しました。
その功績はフランスパン文化をさらに広げるきっかけとなりました。
彼の活動を通じて日本人にとってフランスパンがより親しみやすいものとなり、その魅力が広く知られるようになったのです。
フランスパンがもたらした日本のパン文化
フランスパンが日本にもたらした影響は計り知れません。
レイ氏が始めた関口フランスパンから始まり、カルヴェル氏による本格的なバゲットの紹介がフランスパン文化の発展を後押ししました。
日本独自の形状と味わいから本場そのままのスタイルまで、フランスパンは多様な形で日本人の食卓に定着しました。
このような背景にはフランス人と日本人双方の文化交流と相互理解がありました。
フランスパンは単なる食品ではなく異文化交流の象徴とも言える存在であり、フランスパンは現代の日本においても愛され続けています。