マロングラッセの発祥起源
マロングラッセは19世紀初頭にフランスの天才製菓人アントナン・カレームによって生み出されました。
彼は「お菓子の神様」とも称され、フランス料理と製菓の発展に多大な影響を与えた人物です。
カレームが著書『ル・パティシエ・ロワイヤル・パリジアン』第二巻(1815年)で初めて言及したマロングラッセは栗を使った糖菓で精巧な技術を駆使して生まれた名品です。
その甘美な味わいと美しい見た目から「珠玉の宝石」とまで称されましたが、カレーム以降の製菓書にはしばらく登場していません。
マロングラッセが日本で作られたのはいつ?
明治25年(1892年)、米津恒次郎は南鍋町(銀座)の米津風月堂分店で日本初のマロングラッセの製造を開始しました。
恒次郎は7年間の洋行で培った製菓技術を駆使してフランスの高度な製法を習得しました。
栗の実を壊さずに煮込み、徐々に糖分を浸透させる技術は繊細さが求められる工程です。
マロングラッセがフランスで誕生してからわずか数十年後に日本で手がけられたことは驚きに値します。
完成度についての記録は残っていませんが、米津恒次郎の挑戦と成果は当時の日本の製菓業界に革新をもたらしました。
当時のマロングラッセの作り方
マロングラッセの原材料である栗にはマロニエの実とシャテーニュ(châtaigne)の二種類があります。
マロニエの実は食用に適さないため、食用にする際にはシャテーニュが選ばれます。
恒次郎が製造したマロングラッセもこのシャテーニュを用いていた可能性が高いです。
シャテーニュの実をじっくり煮込み、糖蜜を浸透させる工程には細心の注意が求められます。
この繊細な製造工程を実現することでフランス菓子の高い完成度を日本でも再現したと考えられます。
マロングラッセの普及
世界の定番スイーツへ
ピエール・ラカンの著書『ル・メモリアル・デ・グラス』(1911年)で再びマロングラッセが注目を浴び、その後、世界中の製菓界で定番のスイーツとなりました。
この時代背景を考えると恒次郎が明治期にマロングラッセの製造を行ったことは国際的にも先駆的な取り組みでした。
その後、マロングラッセはフランスでも日本でも高級菓子として認識され、贈答品や特別な日のスイーツとして愛されています。
日本への影響
米津恒次郎が日本にもたらしたマロングラッセは洋菓子文化の発展における重要な一歩でした。
彼の試行錯誤と努力は日本の製菓業界に革新をもたらし、多くの後進の製菓人に影響を与えます。
マロングラッセという名品は単なる輸入文化ではなく、日本独自の味わいと技術を持つ洋菓子として定着しました。
時代を超えて愛されるマロングラッセ
現代でもマロングラッセはフランス製菓の代名詞とも言える存在です。
その奥深い甘さと栗本来の風味を活かした味わいは多くの人々に愛されています。
日本でも恒次郎の功績により伝えられた製法が受け継がれ、国内で生産されたマロングラッセが広く流通しています。
このスイーツの普遍的な魅力は時代を超えて人々を魅了し続けることでしょう