フォンダンショコラとは|ブームの時期やトリュフケーキとの違い

フォンダンショコラは、切ると中からとろけるチョコレートが流れ出す人気のフランス菓子です。そのパフォーマンス性の高さから、レストランのデザートとして親しまれてきました。日本では2003年頃から広まり、特に2004年にはテイクアウト用も登場しブームとなりましたが、流行は一時的なものでした。しかし、このフォンダンショコラの日本でのヒットには、1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した「トリュフケーキ」が間接的に影響を与えたという興味深い因果関係があります。

目次

フォンダンショコラとは

フォンダンショコラは、フランス語で「溶ける」「とろける」という意味を持つ「フォンダン(fondant)」という言葉の通り、温かい状態でナイフやフォークを入れると、中からとろけるような熱いチョコレートソースが流れ出てくるのが特徴のチョコレートケーキです。

パフォーマンスが映えるお菓子

このお菓子最大の魅力は、そのパフォーマンス性の高さにあります。食べる人が自らケーキにナイフを入れた瞬間に、期待を裏切らないとろけるチョコレートが溢れ出すという「サプライズ演出」は、視覚と味覚の両方で楽しませてくれます。このような演出は、料理人や製菓職人が顧客を喜ばせるために工夫する典型的な例であり、お客さんの驚きや笑顔を見ることが、作り手にとっての大きな喜びでもありました。

フランスのアシエット・デセールの一品

このような中からとろけるチョコレート菓子は、フランスでは昔から存在していました。特に、フランス料理のコース料理の最後に提供される「アシエット・デセール(assiette dessert)」と呼ばれる皿盛りデザートの一品として、よく登場していました。アシエット・デセールは、一皿に複数の要素が美しく盛り付けられた、まさに芸術作品のようなデザートであり、その中にフォンダンショコラが組み込まれることで、食事の締めくくりに華やかな演出を加えていたのです。

フォンダンショコラブームはいつ?

2003年頃

日本では、このフォンダンショコラが2003年頃から徐々にレストランや一部の洋菓子店で見かけるようになりました。まだ一般的ではなかったものの、食通やトレンドに敏感な人々の間で話題になり始めていた時期です。

2004年頃

本格的に日本中でフォンダンショコラの人気に火がつき、あちこちのレストランやお菓子屋さんが手掛けるようになったのは、2004年に入ってからのことです。テレビ番組や雑誌などで頻繁に取り上げられるようになり、一気に知名度が高まりました。

テイクアウト用も人気

このブームを後押ししたのが、テイクアウト用のフォンダンショコラの登場です。レストランで提供されるものは温かい状態で提供されますが、テイクアウトの場合、常温では中のチョコレートが固まってしまいます。そこで、お客さんが自宅で食べる直前に電子レンジで温めることで、レストランで食べるのと同じように、フォークを入れた時に中からとろーりとチョコレートが流れ出すという仕掛けが施されました。この「自宅で手軽に本格的な体験ができる」という斬新なアイデアが「面白い」と評判を呼び、多くの消費者に受け入れられ、ブームを加速させました。

フォンダンショコラブームの終焉

一時期はどこのレストランや洋菓子店でも見かけるようになったフォンダンショコラですが、流行というものは移ろいやすいものです。時間の経過とともに珍しさが薄れていくにつれて、ブームは静かに収束していきました。しかし、食の流行は繰り返すことがよくあります。次にフォンダンショコラの波がやってくるのはいつ頃か、その時はどのようにバージョンアップして登場するのか、再び注目される日が来るかもしれません。

フォンダンショコラとトリュフケーキの因果

実は、このフォンダンショコラが日本でヒットしたことには、意外な「遠因(間接的な原因)」があったとされています。1995年の阪神・淡路大震災をきっかけに誕生した「トリュフケーキ」という商品に関するエピソードを紹介します。

阪神・淡路大震災時のバレンタイン商戦

物語は、1995年1月10日の早朝にさかのぼります。関西地方を未曾有の大地震、阪神・淡路大震災が襲いました。この日は、成人の日の振り替え休日明けの火曜日で、菓子業界にとっては、まさにバレンタイン商品を関西に出荷する予定の日でした。

商機の消失

当時、ある小さなお菓子会社は、「バレンタイン商戦が会社の命運を左右する」と考えるほど、この時期に事業のすべてを賭けていました。会社自体もまだ経営基盤が固まりきっておらず、バレンタイン商戦はまさに生命線だったのです。ところが、その重要な一大マーケットである関西地方が、一夜にして壊滅的な被害を受け、商機が完全に消え去ってしまいました。

大量のトリュフ在庫

当時のチョコレート市場では、「トリュフ」が一大ブームを呼んでおり、この会社も高まる需要に応えるべく、関西地区向けに相当量のトリュフを製造し、出荷準備を整えていました。それが突然、出荷先を失い、大量の在庫が手元に残ってしまったのです。小さな会社にとって、これはまさに死活問題でした。関東で販売しようにも、すでにこちらでは十分すぎるほどのトリュフ在庫を抱えており、販売する場所がありませんでした。

マスコミの報道

さらに追い打ちをかけるように、当時のマスコミでは「こんな大変な時にバレンタインで浮かれている場合か」といった、災害下での商業活動を批判する報道がなされていました。確かにそれはもっともな意見でしたが、一方で、この商売で生計を立てている人たちがたくさんいることも事実でした。また、作り手側には、こうした辛い時期だからこそ、少しでも明るい気持ちになってもらいたいという切実な思いもありました。しかし、世間の空気は、そのような商品を販売することを許さない状況でした。

トリュフケーキの誕生

トリュフの有効活用

途方に暮れていた時、会社のスタッフの一人が画期的な提案をしました。 「この大量のトリュフを捨てるのはもったいないし、全部溶かしてしまっても、それまでの作業が水の泡になってしまいます。社長、どうせこのままではどうにもならないのなら、いっそのことチョコレートケーキの中に埋め込んで焼いて、お客様に喜んでいただいたらどうでしょう

社長は「そうか、そういう手もあったか!」と、その提案に一縷の望みを見出し、急いで試作に取りかかりました。これは、廃棄せざるを得なかった大量のトリュフを有効活用し、何とか商品として世に出すための、まさに窮余の策でした。

苦戦する製造現場

しかし、実際にやってみると、製造はそう簡単にはいきませんでした。チョコレート生地にトリュフを埋め込んで焼いてみると、オーブンの高温で中のトリュフはすっかり溶けてしまい、ケーキをカットしても原型が全く残りません。これでは、わざわざ丸ごとのトリュフを埋め込んだ意味がありません。何度も何度も試作を繰り返し、トリュフが溶けすぎずに形を保つための焼き加減や生地の配合を模索しました。

大ヒット銘菓の誕生

そして、何度目かの挑戦で、ようやく成功の兆しが見えました。焼き上がったケーキに恐る恐るナイフを入れてみると、完璧なまん丸ではないものの、なんとかトリュフの断面が原型を保ったまま現れたのです。これには社員一同大喜びしました。さらに工夫を重ね、お客さんに出しても恥ずかしくないような、見た目も味も良い商品に仕立て上げました。試しに各店舗に配って販売してみると、驚くことに、出すそばから飛ぶように売れていきます。気がついたら、山のようにあった大量のトリュフの在庫が、ほとんどなくなっていました。こうして、困難な状況から生まれた「トリュフケーキ」と名付けられた、その会社の新たな銘菓が誕生したのです。

フォンダンショコラへの影響

このトリュフケーキは、阪神・淡路大震災という非常事態から生まれた産物でしたが、同業他社もこうした動きには敏感でした。その後、トリュフケーキと同様に、ケーキの中にチョコレートの塊や柔らかいチョコレートを閉じ込めるコンセプトを持つ商品があちこちから発売されていきました。そして、その流れの先にあったのが、同じようにケーキの内部にチョコレートの要素を持つフォンダンショコラの日本での普及ではないかと考えられています。トリュフケーキの成功が、「中から何かが出てくるチョコレートケーキ」という発想の土台を日本市場に作ったのかもしれません。

フォンダンショコラとトリュフケーキの違い

興味深いことに、トリュフケーキを開発した会社は、中のトリュフが「溶けないようにする」ことに苦心していました。しかし、フォンダンショコラでは、逆に中のチョコレート「溶け出すこと」が面白さや美味しさの核心となっています。これは、まさに発想の転換とも言える違いであり、この点がそれぞれの菓子の新たな魅力を生み出したのです。

まとめ

フォンダンショコラは、切ると中からとろけるチョコレートが溢れ出す、パフォーマンス性の高いフランス菓子です。日本では2003年頃から知られるようになり、2004年にはテイクアウト用も登場して一大ブームとなりました。しかし、その人気の背景には、1995年の阪神・淡路大震災で大量のトリュフ在庫を抱えたある会社が、窮地を乗り越えるために開発した「トリュフケーキ」の存在がありました。トリュフケーキは「溶けないトリュフ」を目指したのに対し、フォンダンショコラは「溶け出すチョコレート」を魅力とするという対照的な特徴を持ちながらも、内部にチョコレートを閉じ込めるという共通のコンセプトが、互いに影響し合ったと考えられます。困難から生まれた創意工夫が、後に多くの人に愛されるお菓子の礎となった、興味深い物語です。

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