井村屋グループとは|主力商品や起源・歴史を紹介
井村屋グループとは
井村屋は、三重県津市に本社を置く日本の食品メーカーです。
多くの方が「あずきバー」や「肉まん・あんまん」という商品名を耳にしたことがあるでしょう。
これらの製品を製造販売しているのが井村屋です。
会社の組織体制
正確に言うと会社の構造は少し複雑になっています。
井村屋グループ株式会社という持株会社が存在します。
その傘下に、実際に製品を製造販売する井村屋株式会社や、調味料などを扱う井村屋フーズ株式会社といった複数の事業会社が存在するという形態をとっています。
井村屋の主力であるあずき
この会社を語る上で欠かせないのが「あずき」という存在です。
井村屋の製品の多くにはあずきが原料として用いられており、会社全体としてあずきをテーマにした事業展開を行っています。
あずきに関する記念日
井村屋は、毎月1日を「あずきの日」、7月1日を「あずきバーの日」として定めています。
これらは日本記念日協会に認定されています。
あずきは古くより縁起の良い食べ物、健康の源として毎月1日と15日に食されてきたという風習があります。
井村屋はこの良き風習を今の時代へ継承していくという考えのもと、記念日を制定しました。
2008年からは7月1日の前後に、東京など日本各地の街頭であずきバーの無料配布を行っています。
井村屋の主要製品
井村屋が製造している製品は多岐にわたります。
菓子製品
菓子類では、ようかんが伝統的な主力商品です。
ようかんの種類
一般的な水ようかんのほか、片手で食べられる小さなサイズのようかんがあります。
また、5年6ヶ月間の長期保存が可能で保存食としても利用できる「えいようかん」も製造されています。
サイクルロードレースやマラソンや登山などの長時間に及ぶスポーツ時の補給食として開発された「スポーツようかん」もあります。
スポーツようかんは、運動継続のためのエネルギーや汗で失われる電解質を補給できるように設計されています。
このほか、きんつばやカステラ5、ワンプッシュゼリーといった商品もあります。
冷菓製品(アイス)
和風アイスの種類
このほかにも宇治金時バー、やわもちアイス、焼いもアイス、たい焼アイスといった和風のアイス製品があります。
やわもちアイスは、日本人が好む「おもち」と「つぶあん」の組み合わせを楽しめる商品です。
井村屋独自の技術により冷凍下でも柔らかく弾力のある「おもち」の食感を実現しています。
やわもちアイスには、バニラ、わらびもち、抹茶氷、生八ッ橋味といった複数のバリエーションがあります。
その他のアイス製品
また、メロンボール、スイカボール、モモボール、ドラえもんボールといったボールアイスシリーズも製造されています。
その他、抹茶つぶあん最中、たまごアイス、クリームチーズアイス、デコルティといった商品もあります。
中華まんやその他の食品
中華まんの分野では、肉まん、あんまん、カレーまん、ピザまんなどを製造しています。
コンビニエンスストアで販売されるものの委託製造から家庭用まで幅広く手がけています。
その他の食品としては、かき氷にかけるシロップである氷みつ、ゆであずき缶詰、お赤飯の素、豆ごはんの素などがあります。
さらに日配食品として豆腐、飲料として「めぐるる」なども製造しています。
代表商品あずきバーの話題
あずきバーについては、その硬さに関する情報や、商標登録をめぐる法的な経緯、ユーモラスなエピソードなどがあります。
あずきバーの硬さ
冷凍庫から出してすぐのあずきバーは非常に堅いという特徴があり、井村屋のホームページには堅さに関する注意が掲載されています。
食べやすくするには、常温で5分から10分ほど置くか、冷蔵庫に20分から30分ほど入れておくという方法があります。
硬さの原因
この堅さの要因について、井村屋は乳化剤や安定剤といった添加物が使用されておらず乳固形分が含まれていないこと、空気の含有量が少ないことを挙げています。
また、時代に合わせた味の変化で甘さが抑えられ水分が増えたことにより、以前よりも堅くなっているとのことです。
あずきバーのエピソード
この堅さをめぐっては、様々な出来事がありました。
2015年2月、井村屋の公式ツイッターが「伝統的なあずきバーの製法」というジョークツイートを写真とともにリツイートしたところ、この写真が岐阜県関市で行われている「古式日本刀鍛錬」の様子であったことから話題になりました。
市に画像使用の事後承諾を得たことで井村屋と関市の交流が始まり、同年4月には鍛錬イベントのプレゼントとしてあずきバーが用意されることとなりました。
また、同年からふるさと納税の返礼品にも用いられるようになっています。
あずきバーの商標登録
あずきバーの商標登録をめぐっては法的な経緯もありました。
2010年7月に井村屋が特許庁に商標登録出願をしたところ、同庁は「他の商品との識別が不可能である」としてこれを退けました。
井村屋はこの決定の取り消しを求めて知財高裁に訴訟を提起しました。
2013年1月24日に同高裁は「『あずきバー』は井村屋の商品の名称として広範に認知されている」などとして訴えを認め、特許庁の決定を取り消しました。
井村屋の企業理念
井村屋は、コーポレートマークやスローガン、経営ポリシーにおいて、企業としての姿勢を表現しています。
井村屋のコーポレートマーク
井村屋のコーポレートマークは1990年に制定されたもので、通称「アイアイマーク」と呼ばれています。
このマークは「母と子の楽しいひととき」を表現しており、「imuraya」の頭文字の「i」を人に見立て、母と子の楽しいひとときを表現し、人と人とのつながりを大切にする企業姿勢を表しています。
マークを彩るコーポレートカラーは。、赤は母と子の愛を、青は優れたサービスを提供する誠実さを、黄は楽しい商品を生み出す創造性を象徴しています。
企業スローガンと経営方針
企業スローガンは「おいしい!の笑顔をつくる」で、食を通じてお客様の「おいしい!の笑顔」を創造し、皆の「おやくだち企業」であることを目指しています。
経営ポリシーとしては「特色経営」と「不易流行」という考え方を掲げています。
「不易流行」は松尾芭蕉が唱えた俳諧の理念で、新しさを求めて変化を重ねていく「流行」こそ、「不易(変わらないもの)」の本質であるという考え方です。
井村屋はこれまで受け継いできた伝統にさらに磨きをかけると同時に、新しい価値の創造に取り組んでいます。
井村屋の国内生産体制
井村屋は国内に複数の生産拠点を持っています。
三重県にある本社工場
国内では三重県津市の本社工場をはじめ、複数の生産拠点を持っています。
本社工場は津市高茶屋に所在し、ここでは肉まん・あんまんやアイスクリームなどの製造が行われています。
アイスデザート工場
2011年1月にはアイスデザート工場が稼動しました。
この工場では和風商品の改良を図り、新しい技術を活用したモナカアイスや新商品となるカップアイスを生産するようになりました。
たい焼アイスややわもちアイスといった商品がこの工場から生まれています。
点心・デリ工場
2017年には「肉まん・あんまん」の生産体制を強化するため、点心・デリ工場が稼働を開始しました。
この工場では、発酵生地専用のラインを新たに増設するなど、商品の供給体制を整えています。
あのつFACTORYの稼働
2023年3月には三重県津市あのつ台に国内で5番目の生産拠点となる「あのつFACTORY」を稼働させました。
この工場では、豆腐・豆乳・おからといったSOY商品および輸出商品の製造を行うとともに、「ラ・メゾン・ジュヴォー」「アンナミラーズ」商品のさらなる強化を図っています。
工場の設計においては環境に配慮した取り組みが行われています。
岐阜工場への再編
2013年11月には、あずきバーや肉まん・あんまんなど流通事業を展開する井村屋株式会社とアイスクリームOEM受託生産を行う株式会社ポレアが合併しました。
ポレアは井村屋株式会社岐阜工場として再編されました。
井村屋フーズの事業
井村屋フーズ株式会社は、調味料やレトルト・スパウチを中心とした食品加工事業を展開しています。
本社は愛知県豊橋市の中原工場にあり、七根工場も同じく豊橋市に所在しています。
スパウチ新工場
2021年には井村屋フーズの中原工場にスパウチ新工場が竣工しました。
スパウチとは、注ぎ口のついた自立式のパウチ容器のことで、持ち運びの便利性に加えて保存性が高く、瓶やペットボトルに比べてごみの減量化にもなるという利点があります。
スパウチ新工場では最新の充填機を導入した一方で、調合及び殺菌は従来の設備を移設することで、従来の製品特性を活かしたまま品質の向上を図ることが可能となりました。
環境配慮と省エネルギー
井村屋は環境への負荷を低減するための設備導入を進めています。
バイオマスボイラの敷設
2015年には本社津工場にバイオマスボイラを敷設しました。
木質チップを燃料とするバイオマスボイラの設備を導入し、ここで生産した蒸気を肉まんの蒸し工程などに活用しています。
エネルギーコストの削減はもちろん、年間の二酸化炭素排出量は約5,000トンの削減効果を持つとされています。
複合冷凍倉庫アイアイタワー
2016年には新たな複合冷凍倉庫「アイアイタワー」が竣工しました。
保管能力は従来の冷凍庫の約3倍で、荷物を自動で入出庫する「スタッカークレーン」や自動で積み込みを可能にする「パレタイザー」を導入するなど省人・省エネルギー化を実現しました。
また、社員食堂「アイアイラウンジ」では、木のぬくもりと自然な明るさの中で食事を楽しむこともでき、従業員満足の向上にも繋がっています。
2020年には津工場にコージェネレーション設備が竣工し、さらなる環境負荷低減に取り組んでいます。
アップサイクルセンターの稼働
近年の取り組みとして、アップサイクルセンターという名称の設備を本格稼働させています。
アップサイクルとは、これまで一部を除き廃棄につながっていた、おから・カステラの耳(端材)・あずきの皮など、生産時に発生する副産物に新しい価値を付加して製品として再利用するものです。
廃棄物をゼロにする「ゼロエミッション」の取り組みは社会課題の一つであり、SDGsのゴールの一つである、地球上から「飢餓をゼロに」の実現に向けて、当社ならではの特色ある取り組みとしてスタートさせています。
井村屋の海外事業
井村屋は、グローバル企業への成長を目指し海外展開にも取り組んでいます。
中国事業の展開
2000年には中国に北京京日井村屋食品有限公司を設立し、調味料の製造・販売を開始しました。
2001年11月に工場建設を着工し、2002年6月に完成、9月から本格生産を開始しました。
その後も中国での事業を拡大し、2006年には井村屋(北京)食品有限公司を設立、2013年には中国大連に井村屋(大連)食品有限公司を設立しました。
中国事業の管理会社
2018年には、中国国内で調味料や焼き菓子などの製造・販売・輸出を行っている3社を一元化し、中国事業を発展させていくことを目的に井村屋(北京)企業管理有限公司を設立しました。
経営の合理化及び資金の有効活用を図り、安定した事業構築を図るとともに今後の事業戦略の推進、営業業務の集約化を進めています。
アメリカ事業の展開
2009年にはアメリカのカリフォルニア州にIMURAYA USA, INC.を設立しました。
「和と自然の味を食に生かし、グローバル企業への成長を目指す」ことをビジョンに掲げています。
アメリカにおいて和風アイスクリームを製造を行っている「LA/I.C.,INC.」への第三者割当増資により株式の83.3%を取得し、資本参加しました。
社名を「IMURAYA USA,INC.」として発足し、井村屋の生産技術と品質管理技術を盛り込んだ生産工場を建設しました。
この工場では、あずきを中心とした和風アイスクリーム、冷凍和菓子等の製造・販売を行い、井村屋ブランドを米国市場に展開しています。
マレーシア事業の展開
2019年にはマレーシアにIMURAYA MALAYSIA SDN. BHD.を設立しました。
「『和風×ハラール』商品をマレーシア、さらにASEAN諸国に」をテーマに、現地生産パートナーと戦略提携を締結しました。
日本で培った技術や商品開発力を活かし、マレーシア市場に合わせた商品製造・販売を担っています。
ASEAN市場のゲートウェイとして「日本らしい」商品・サービスをASEAN諸国に提供することを目指しています。
井村屋の組織再編
井村屋グループは、経営の効率化と成長戦略のために組織体制を移行・再編しています。
持株会社制への移行
2010年10月1日に、井村屋製菓株式会社は持株会社制に移行しました。
商号は「井村屋グループ株式会社」になりました。
この移行の目的は、グループ戦略機能の強化、各事業会社の成長、グループシナジーの発揮、経営者人材の育成でした。
流通事業・フードサービス事業を「井村屋株式会社」へ、調味料事業を「井村屋シーズニング株式会社」へと、新設分割により新たに設立した会社へそれぞれ事業承継しました。
井村屋シーズニング株式会社は後に井村屋フーズ株式会社となります。
HUB型組織の特徴
井村屋グループの持株会社制は、垂直的、支配的関係ではなく、持株会社が事業会社の中心にあり、各事業会社がサークル状に相互に連結、協働しながらグループ力を最大化する「HUB型」を特色としています。
事業会社の合併再編
2017年には組織再編が行われました。
業務用調味料を生産する井村屋シーズニング株式会社とレトルト・スパウチを中心とした食品加工事業を展開する日本フード株式会社が合併し、井村屋フーズ株式会社が発足しました。
井村屋グループにおけるBtoB事業の中心的企業である2社が合併することで、グループ内でのシナジー効果を一層強く発揮していくことを目的としています。
それぞれが持つ技術を融合させ、お客様に新たな価値を提供することで成長に繋げるという狙いがありました。
新規事業支援部門
2019年には井村屋スタートアッププランニング株式会社を設立しました。
オープンイノベーションの考え方のもと、将来の柱となり得る事業のシーズを探り、事業化を支援し、インキュベート(育成)する戦略企画部門として発足しました。
井村屋グループの持つ強みを活かし、和と健康性をテーマに新事業を企画し、総合的な支援を担っています。
井村屋の証券市場への上場
井村屋は証券市場において、段階的に上場市場を移行してきました。
名古屋証券取引所第2部への上場
1961年に名古屋証券取引所第2部に株式を上場しました。
東京証券取引市場第2部への上場
1997年11月には東京証券取引市場第2部に上場しました。
1996年5月に株式上場プロジェクトチームを設置してから1年6カ月の歳月をかけて作業に取り組み、東証上場の日を迎えました。
初取り引きの株価は450円、出来高34万8,000株でした。
東証2部上場に伴い、150万株の公募増資を行い、井村屋の資本金は22億5,390万円となりました。
東証・名証第1部への上場
2017年12月には、東京証券取引市場及び名古屋証券取引市場の第1部に上場しました。
2016年9月にプロジェクトチームが発足し、以来1年8ヶ月の歳月をかけてグループ一丸となって取り組み、東証・名証第1部上場の日を迎えました。
初取引の株価は2,623円、出来高29万4,600株でした。
更なる成長に向けた資金の確保と資本増強による財務体質の一層の強化を目指し、東証第2部上場以来約20年ぶりのエクイティファイナンス(新株式発行及び自己株式の処分による資金調達)を実施しました。
公募価格2,600円で募集し、井村屋の資本金は25億7,653万円となりました。
プライム市場への移行
2022年4月4日には、東京証券取引所の市場区分見直しに伴い、第一部からプライム市場へ移行しました。
プライム市場とは、多くの機関投資家の投資対象になりうる規模の時価総額を持ち、より高いガバナンス水準を備え、投資家との建設的な対話を中心に据えて持続的な成長と中長期的な企業価値の向上にコミットする企業向けの市場です。
井村屋グループは「プライム市場」の上場維持基準に適合していることを確認し、プライム市場へ移行しました。
井村屋の関連事業
井村屋グループには、食品製造以外にも関連事業がありました。
レストラン事業アンナミラーズ
アンナミラーズというアメリカンフードとホームメイドパイやチーズケーキなど、スイーツが気軽に楽しめるレストランを運営していました。
1973年に第1号店を東京青山に開店しました。
1974年には赤坂店、1977年には集約調理工場カミサリーを東京の経堂に竣工、1983年には高輪店を開店するなど、店舗を拡大していきました。
1990年には米国アンナミラーズ社から日本での商標権を取得して独自の店舗展開を見せました。
1993年には横浜ランドマークプラザ店を開店するなど、青山店を皮切りに関東圏に延べ26店舗を出店しましたが、生活スタイルの変化などもあり、2012年以降は高輪店のみの営業となっていました。
品川駅西口基盤整備事業に伴う移転要請を受け、2022年8月31日をもって閉店となりました。
ただし、ウェブショップでの販売は引き続き行っています。
2012年には中国天津に天津濱海店を開店していましたが、これも後に閉店しています。
スイーツ店JOUVAUD
2003年にはJOUVAUD(ジュヴォー)という名称で新しいスイーツ店の展開を開始しました。
1号店を東京の二子玉川にカフェタイプとして開店しました。
その後、La maison JOUVAUDとして2016年にはKITTE名古屋店、2018年には京都祇園店とジェイアール京都伊勢丹店、2022年には虎ノ門ヒルズ店をオープンするなど、店舗を展開しています。
また、2018年には和涼菓堂京都店もオープンしています。
日本酒事業
2021年に酒(日本酒)事業に参入しました。
7月20日に三重県産の酒米や水で仕込んだ日本酒「福和蔵(ふくわぐら)」を販売しました。
井村屋の歴史
ここからは井村屋の歴史について詳しく見ていきましょう。
創業者の和菓子舗開業
この会社の始まりは1896年、明治時代にまでさかのぼります。
創業者の井村和蔵が三重県飯南郡松阪町、現在の松阪市中町で菓子舗「井村屋」を開業したのが始まりです。
この年は日清戦争が終わり、下関条約が調印されて勝利の余韻がさめやらぬ時期でした。
創業のきっかけ
創業のきっかけは米相場で失敗した和蔵が、まったく経験のない和菓子製造に興味を持ち、「作れそうな気がする」という理由だけで商品を「ようかん」と決めました。
わずか1円50銭の元手で小豆、砂糖、寒天を購入し、見よう見まねでようかん作りに取りかかりました。
最初の課題は、釜でようかんを煮詰めたのはいいが、ようかんを流し込み、固める型をどうするかということでした。
生来のアイデアマンであった和蔵が思いついたのは、どこの家庭にもある「山田膳」という膳をようかんを流し込む型として利用することでした。
こうして試行錯誤を繰り返して、井村屋特製の「山田膳流しようかん」が誕生しました。
初期商品の成功
創業から10年後の1906年には、ようかんに続いて発売した「うずまき」が大ヒット商品となりました。
その後発売した「とらまき」も井村屋の名声を高め、売上も急上昇しました。
自家製のあん
これらの商品のおいしさの秘密は「あん」にありました。
井村屋のあんは自家製で、味と品質にこだわるという井村屋の伝統のはじまりでした。
1906年に井村屋は創業10年を迎え、これを機に製造工場と蔵3棟を備えた本拠を所有することとなり、従業員も20数人に増え、事業は拡大していきました。
画期的な商品開発
大正初期のころには、景品がその場でもらえる「くじ付き甘納豆」を発売し、評判となりました。
また「箱入り甘納豆」は当時では画期的なアイデア商品でした。
創業35年を迎えた1931年ごろには戦前の最盛期を迎え、1933年12月に創業者・井村和蔵にかわり、長男の井村二郎が事業を引き継ぎました。
戦後の会社設立と事業転換
戦後の1947年4月、資本金19万5,000円で株式会社井村屋が正式に設立されました。
設立時の本店は松阪市新町にあり、主たる事業はパン委託加工でした。
同年11月に井村二郎が社長に就任しました。
乾パンからビスケットへの転換
戦後の苦難の時代のなかで、基本理念に「ヤミ商売は絶対にしない。経理をオープンにする」をかかげて、創業50年目の井村屋は新しいスタートを切りました。
当時はまだ主食配給の時代であり、時代が求める商品として「乾パン」の製造販売に乗り出しました。
1948年には三重県津市高茶屋にビスケット工場(津工場)を竣工し、農林省指定乾パン工場となりました。
1949年にはキャラメル工場(津工場)を竣工し、大阪営業所(現在の関西支店)を開設しました。
どうぶつキャラメルやのりものキャラメルといった商品を製造していました。
1950年には松阪営業所を開設しています。
食糧事情が改善したのを機会に「ビスケット」に切り替え、さらにキャラメルとドロップ製造を加えて会社の基盤を固めました。
ようかんの復活
1951年、砂糖の統制が解かれたことで井村屋の伝統・ようかんが復活しました。
ビタミンB1・B2、カルシウム入りのようかんを開発し、国の特殊栄養食品の指定を受け人気を博しました。
ラジオ番組の提供など宣伝に注力したのもこのころです。
1953年には社名を井村屋製菓株式会社に変更し、名古屋営業所(現在の東海支店)を開設、ようかん工場(津工場)を竣工しました。
1958年には資本金を4,000万円に増資し、1959年には東京営業所(現在の関東支店)を開設し、従業員も640人に増加しました。
1960年には焼菓子(半生・カステーラ)工場(津工場)を竣工し、即席ぜんざい製造設備が完成しました。
この頃から全国展開を本格化させ、各地に営業所や出張所を開設していきました。
1960年代のインスタント食品
1960年代に入ると、インスタント食品ブームが巻き起こりました。
インスタント食品の成功
「即席ぜんざい」の登場は1960年で、その前年に「粉末ジュース」を発売してインスタント食品開発に自信をつけ、その後の「粉末しるこ」「即席ぜんざい」の開発につながりました。
即席ぜんざいは東京市場を起点に全国的ヒットとなり、あずきといえば井村屋というイメージを不動のものとしました。
1961年には名古屋証券取引所第2部に上場を果たしています。
缶詰商品「ゆであずき」
1962年には現在も根強い人気を誇る「ゆであずき」が市場に出ました。
これは井村屋初の缶詰商品として登場しました。
静かなブームを作りながら、1970年ごろに大きな転機が訪れました。
6号缶が一般的であった当時に、特4号缶(ツナ1号缶)を発売し、「4号缶では成功しない」という業界のジンクスに挑戦しました。
冷蔵庫での保管に好適として消費者に大好評となり、業界のトップシェアを得ました。
1962年には新潟営業所、金沢営業所、高松営業所、静岡出張所、仙台出張所(現在の仙台支店)、福岡出張所(現在の福岡支店)を開設するなど、営業拠点を拡大していきました。
肉まん・あんまんの登場
1963年にはアイスクリームの販売を開始しました。
1964年には井村屋を代表する主力商品として時代を超えて人気を得ている「肉まん・あんまん」が登場します。
アイス流通経路の活用
肉まん・あんまんの発想は、アイスクリームの流通経路を冬場に活用する商品開発でした。
しかし当初は家庭に冷蔵庫が普及していないこともあって販売は伸び悩みました。
そこで考え出されたのがホカホカの肉まん・あんまんを提供できるスチーマー(蒸し器)での販売とアイスクリームの冷凍ケースの活用です。
夏場、店頭でアイスクリームを販売する冷凍ケースも冬場にはアイスクリームの売上が落ち、お店のスペースを邪魔する存在になってしまいます。
そこで、井村屋の工場で製造した肉まん・あんまんを店頭の冷凍ケースに入れておき、必要な分だけスチーマー(蒸し器)で温めて販売するという方法を提案しました。
出来立てのホカホカをスナック感覚で食べられるとあって、その後大ヒットし、倍々のペースで成長しました。
1964年には森下仁丹と業務提携し、仁丹井村屋食品株式会社に商号を変更しましたが、その後に業務提携を解消し、1965年には商号を井村屋製菓株式会社に変更しています。
カップ水ようかんと氷みつの発売
1966年には夏の主力商品として「カップ水ようかん」を発売しました。
これに先立ち「水ようかん」を製品化していましたが、当時では画期的な熱殺菌を施した商品でした。
殺菌と容器技術の歴史
しかし初代の水ようかんは殺菌が不完全で、長期保存に難点がありました。
問題は容器にあり、高温殺菌に耐え、空気を遮断する容器の開発に注力しました。
1966年に98度以上のボイル殺菌に耐えられるポリカーボネイト容器を開発しました。
その後1980年にはレトルト殺菌も出来るポリプロピレン容器を開発し、長期保存、大量生産、味の3つのテーマをクリアしました。
カップ入り水ようかんの歴史は殺菌と容器技術の歴史でもありました。
氷みつのポリエチレン容器
1967年には「氷みつ」を発売しました。
即席ぜんざいの発売で食料品ルートを確保したものの、ぜんざいは冬の商品であり、夏でも食料品ルートを活用できる商品が待望されていました。
こうしたなか、1967年ごろから家庭用氷削り機が普及し始めたのに着目し、かき氷にかける氷みつ(シロップ)を開発・発売しました。
この商品も容器が課題で、先行商品のビン容器に対抗して井村屋はポリエチレン容器を採用し、ヒット商品となりました。
1973年のあずきバー誕生
1973年は井村屋にとって転機の年でした。
本社を発祥の地である松阪市から現在の津市高茶屋へ移転しました。
同じ年にアンナミラーズ第1号店を東京青山に開店し、さらに缶ジュースの中で大ヒット商品となった「つぶつぶオレンジ」を発売しました。
そして何より、この年に「あずきバー」が発売されました。
あずきバー開発の難しさ
あずきバーの開発には苦労がありました。
1963年にアイス事業を開始した井村屋でしたが、当時は和菓子屋として認知されており、アイス市場に対し後発であったため、苦戦を強いられました。
当時「あずきアイス」市場はまだ確立されていませんでしたが、「井村屋が得意とするぜんざいを固めて、アイスにできないか」との発想からあずきバーの商品開発が行われました。
井村屋の得意とするぜんざいでしたが、ぜんざいをアイスにすることは、それほど簡単ではありませんでした。
棒アイスにする過程で、液体より重いあずきの粒がどうしても沈んでしまうなどの難題がありました。
水あめやコーンスターチの配分に工夫を重ねた末、1本に約100粒のあずきが均等に入った「あずきバー」を作ることに成功しました。
あずきバーの強み
あずきバーには、このあずきを均一に入れる技術だけでなく、味やコスト面においても他社の追随を許さない優れた特長がありました。
それは、他社はあんこを仕入れることが多いのに対して、井村屋は北海道産のあずきを仕入れてあんこに加工しているため、これにより品質の良い、おいしい味とコスト競争力を高めることができました。
その後も、時代やお客様の嗜好に合わせて改良を続けながら、井村屋を代表するロングセラー商品に成長していきました。
1973年には缶入カステーラも発売しています。
1970年代の経営体制
1974年には井村二郎が会長に就任し、新社長として西山方冨が就任しました。
同じ年にアンナミラーズ赤坂店を開店しています。
1977年には設立30周年を迎え、アンナミラーズ集約調理工場カミサリーを東京の経堂に竣工し、カレーまんを発売しました。
1978年には調味料事業部(現在の井村屋フーズ)・七根工場を愛知県豊橋市に発足させ、生産を開始しました。
1979年には西山社長にかわって、脇田芳未が新社長に就きました。
調味料事業に進出したのはこの年です。
1980年代の取り組み
1981年には鍋付ぜんざいを発売し、1982年には焼いもアイスを発売しました。
1982年にはコンピュータシステムのオンライン化が稼動しました。
1983年にはアンナミラーズ高輪店を開店し、涼二重を発売しました。
1984年には資本金を10億1,640万円に増資し、経営基盤を固めました。
この間、短期保存のイメージを一新した「缶入りカステラ」を発売し、その後改良を加えて1984年に「カステラ5」を発売し、カステラを身近な商品に広げました。
1986年には本社新事務センターを竣工し、5コ入水ようかんとBOXたい焼アイスを発売しました。
1987年には新アイスクリーム・焼菓子工場(津工場)を竣工し、1988年には本社資材倉庫を竣工しました。
1989年には5コ入くずまんじゅうを発売しています。
1990年代の企業変革
1990年には前述した新しいコーポレートマークを採用実施し、EOゆであずきを発売しました。
翌1991年には新しいコーポレートソングも決定しています。
1993年には営業本部を東京に移設し、アンナミラーズ横浜ランドマークプラザ店を開店し、お気に入りしるこを発売しました。
1994年には調味料事業部七根工場液体調味料・ブレンド工場を竣工し、商品開発部を東京に移設し、イカスミまんを発売しています。
1995年には新餡炊工場(津工場)を竣工し、1996年には肉まん・あんまん新工場(津工場)を竣工しました。
1996年は会社設立50周年・創業100周年にあたり、記念大会を開催しました。
東京証券取引市場第2部への上場
1997年11月には、かねてより念願であった東京証券取引市場第2部に上場しました。
証券会社、監査法人の協力を得て、1996年5月に株式上場プロジェクトチームを設置し、同12月に東証上場を意思決定し、以来1年6カ月の歳月をかけて作業に取り組み、ようやく東証上場の日を迎えました。
初取り引きの株価は450円、出来高34万8,000株でした。
東証2部上場に伴い、150万株の公募増資を行い、井村屋の資本金は22億5,390万円となりました。
品質管理とスパウチ生産
1998年には調味料事業部がISO14001認証を取得し、津工場のアイスクリーム部門がHACCP承認を受けました。
1999年には日本フード(現在の井村屋フーズ)がスパウチの本格生産を開始しました。
スパウチ工場が本格生産を開始したのは1999年2月でした。
持ち運びの便利性に加えて、保存性が高く、瓶やペットボトルに比べてごみの減量化にもなるなど、スパウチは今後容器の主流になると期待されました。
井村屋商品以外に、他社商品のスパウチ生産も進めており、今後の生産品目の拡大を目指しています。
2000年代の国際化
2000年には井村屋初の海外拠点で、調味料の製造・販売を行う北京京日井村屋食品有限公司(JIF)を中国に設立しました。
JIFは10月に営業許可を取得し、2001年11月に工場建設を着工、2002年6月に完成しました。
この間、計画の変更もありましたが、5月に試運転を開始し、衛生局の許可が下りて7月に竣工式を実施しました。
その後、商品検査局より輸出許可を得て、9月から本格生産を開始し、初の輸出用コンテナに商品を積み込み、日本に向けて出荷しました。
JIFは、井村屋の国際化の拠点として飛躍が期待されています。
工場建設と認証取得
2001年には菓子新工場(津工場)が完成しました。
2002年にはJIF(北京京日井村屋食品有限公司)で工場竣工式を行い、操業を開始し、ISO9001認証を取得しました。
本社などでもISO9001認証を取得しています。
2003年には調味料事業部がISO9001認証を取得し、JOUVAUD(ジュヴォー)1号店をカフェタイプとして二子玉川に開店し、真空ドラムドライヤー工場(七根工場)を竣工しました。
また、新ブランド商品「JiAi」の通信販売を開始しました。
2004年には東海支店を移転し、新スイーツ事業部がISO9001認証を取得し、北京京日井村屋食品有限公司がISO9001認証を取得しました。
カンパニー制の導入
2005年にはカンパニー制を導入しました。
4月1日には社内カンパニー制を導入し、6月1日には井村屋乳業株式会社を吸収合併し、同社事業をチルドフーズカンパニーとして継承しました。
井村屋乳業株式会社は1957年8月30日に設立されていた会社です。
2005年には本社をはじめ10事業所でISO14001認証を取得しました。
2006年には低層賃貸住宅(ヴィルグランディール)を竣工し、新しいアイスクリーム製造ラインが完成し、中国に「井村屋(北京)食品有限公司」を設立しました。
2007年には会社設立60周年を迎えました。
この年に前述した「あずきバーの日」を制定し、7月31日に日本記念日協会より認定を受けました。
本社新社屋の機能開始
2008年11月4日には「食と情報とコミュニケーションの創造広場」をメインコンセプトとした「本社新社屋」が機能を開始しました。
環境変化に対応した企画・商品・サービスを提供し続ける場所であること、東海大地震などの災害が発生した場合にも従業員の生命を守り、本社機能を維持することでお客様の利益を守ること、お客様とのつながりを機軸に将来にも大きな夢を託すグループ全体のコア・オフィスになることを目指しました。
「新しい革袋には新しい酒を!」の目標に従って、システム、機能、人材すべてに新しい仕組みを創造しています。
2009年には本社津工場を中心にISO22000認証を取得し、井村屋BOXあずきバーが発売30周年を迎えました。
4月には前述したIMURAYA USA, INC.をアメリカのカリフォルニア州に設立しました。
2010年代以降の組織と事業
2010年10月1日には前述した持株会社制への移行が行われました。
2011年1月には前述したアイスデザート工場(津工場)が竣工し、バーサーライン(2号機)を導入しました。
2012年には井村屋シーズニング株式会社(現在の井村屋フーズ株式会社)のスプレードライヤー5号機が竣工し、アンナミラーズ天津濱海店を開店しています。
商標と工場建設
2013年にはあずきバーの商標が特許庁より認可され、NEWようかん工場を辻製油株式会社の敷地内に竣工し、中国大連に井村屋(大連)食品有限公司(IDF)を設立しました。
また、11月には前述したポレアとの合併が行われました。
2014年には井村屋シーズニング株式会社(現在の井村屋フーズ株式会社)がFSSC22000認証を取得し、中国大連に「井村屋(大連)食品有限公司(IDF)」の調味料生産工場が竣工しました。
環境対策と冷凍倉庫
2015年には前述した井村屋株式会社津工場へのバイオマスボイラ敷設が行われました。
井村屋(大連)食品有限公司(IDF)がISO22000認証を取得し、井村屋株式会社本社津工場と松阪NEWようかん工場がFSSC22000認証を取得しました。
2016年には前述した井村屋株式会社津工場へのアイアイタワー竣工が行われました。
La maison JOUVAUD KITTE名古屋店がオープンし、ベイクド・デリシリーズを発売し、伊勢志摩サミット応援事業を行いました。
事業会社の合併と工場
2017年には煮小豆を発売しました。
4月1日には前述した日本フード株式会社と井村屋シーズニング株式会社の合併が行われ、井村屋フーズ株式会社に商号変更しました。
同じく前述した井村屋株式会社津工場への点心・デリ工場竣工が行われました。
12月7日には東京証券取引所市場第一部、名古屋証券取引所市場第一部に株式上場しました。
海外事業とスイーツ店
2018年には中国北京に前述した井村屋(北京)企業管理有限公司を設立しました。
La maison JOUVAUD京都祇園店、和涼菓堂京都店、La maison JOUVAUDジェイアール京都伊勢丹店がオープンし、AZUKI・FACTORYを竣工しました。
2019年には前述した井村屋スタートアッププランニング株式会社の設立とIMURAYA MALAYSIA SDN. BHD.の設立が行われました。
この年、井村屋グループ初の女性社長が就任しました。
2020年には井村屋株式会社津工場にコージェネレーション設備を竣工し、井村屋(大連)食品有限公司がFSSC22000認証を取得しました。
井村屋グループは持株会社制移行10周年を迎えました。
井村屋グループ株式会社本社に大規模災害時用「水ステーション」「充電ステーション」を設置しました。
スパウチ新工場と酒事業
2021年には前述した井村屋フーズ株式会社のスパウチ新工場が竣工しました。
ISO9001を自主運用に切り替えました。
「福和蔵」「菓子舗井村屋」をオープンしました。
この年、酒(日本酒)事業に参入し、7月20日に三重県産の酒米や水で仕込んだ日本酒「福和蔵(ふくわぐら)」を販売しました。
市場移行と店舗
2022年には前述した東京証券取引所市場第一部からプライム市場への移行が行われました。
La maison JOUVAUD虎ノ門ヒルズ店がオープンし、アンナミラーズ高輪店が閉店しました。
2023年には前述した井村屋株式会社あのつFACTORYが竣工しました。
アンナミラーズバーチャルショップがオープンしています。
今後の経営計画
2025年度は、中期経営計画「Value Innovation 2026(新価値創造)」の2年目にあたり、最終年度である2026年度の着地点を見据えた着実な事業運営を実行する年と位置付けられています。
2026年度は、創業者が三重県松阪市で和菓子屋を始めてから130年目を迎える節目の年でもあります。
長く事業を継続できたことについて、井村屋はご支援いただいてきた皆様のお陰であるとし、心より感謝を表明しています。
企業の独自性
このように井村屋は、創業から120年以上の歴史を持ちながら、時代に合わせて変化を重ね、新しい価値の創造に取り組んできました。
あずきという伝統的な食材を核としながら、技術革新や容器開発、販売方法の工夫など、様々な面で独自性を追求してきた企業と言えるでしょう。
創業当時から会社の方針として受け継いできた「不易流行」という考え方を心に刻み、今後も皆様から必要とされる会社となるよう精進していくとしています。