昭和末期の日本スイーツ界に起こった変化
昭和の後半、日本のお菓子の世界では大きな変化がありました。
たとえば、小さなタルトや細かく飾られたケーキなどが流行ったことです。それまで人気だったフランスのお菓子はどんどん小さくなり、見た目もきれいで上品なものが増えていきました。
しかし、その反対にアメリカからやってきた「アメリカンタイプ」と呼ばれる、大きなサイズのカットケーキも注目されるようになります。このアメリカンタイプは、1つ1つがとても大きくて、食べ応えがあるのが特徴でした。
日本でも「せっかくならたっぷり食べたい」「見た目も大きくてワクワクするほうが楽しい」と考える人が増え、だんだんと大型のお菓子が人気になっていきました。
こうして日本のスイーツ界では「小さくておしゃれなフランス菓子」と「ボリュームたっぷりのアメリカンタイプのお菓子」が、それぞれ違う魅力で人々の心をつかむようになったのです。
ジャンボシュークリームの誕生
昭和の後半、日本で人気になった大きなカットケーキの流れに合わせて「ジャンボシュークリーム」という新しいスイーツが登場しました。
これは、それまでの小さなシュークリームとはまったく違い、見た目も食べごたえも大きくなっていたのが特徴です。
生地はふんわり柔らかく、中はしっとりしていて、たっぷりのクリームが詰まっていました。
このふわふわ、しっとり、クリーミーという食感は、日本人の好みにぴったり合っていて、発売されるとすぐに大人気商品に。
それまで日本では、見た目が小さくて上品なフランス菓子が好まれていましたが、このころから、たくさん食べられる満足感や、家族や友だちと分け合える楽しさを求める人が増え始めたのです。
ジャンボシュークリームを生み出した「銀座コージーコーナー」
ジャンボシュークリームを生み出したのは、小川啓三氏が経営する銀座コージーコーナーでした。銀座という一等地からスタートしたこの店は、ジャンボシュークリームのヒットをきっかけに一気に知名度を高めます。
当時、多くの店が「本場フランス風」の小型で洗練されたお菓子作りに力を入れていました。しかし、コージーコーナーはそこにあえて逆らい、日本人が本当に求める「ふんわり」「しっとり」「クリーミー」なシュークリームを提供したのです。
ジャンボシュークリームの成功により、コージーコーナーは急速に店舗数を拡大、同店のブランドイメージを確立する大きな力となりました。
ジャンボシュークリームと本場フランスのシュークリームの違い
フランスでは、シュー皮はカリッと固く焼き上げるのが一般的。中に詰めるカスタードクリームも、しっかりと硬めに煮詰めたものが主流です。日本に戻ったパティシエたちも、この「パリパリのシュー生地」と「しっかりクリーム」を再現していました。
しかしコージーコーナーは、あくまで日本人の好みに合わせて工夫を加えました。シュー皮はふんわりと、かつしっとり焼き上げ、中にはとろけるようなクリームをたっぷりと詰め込んだのです。この柔らかさとクリーミーさが、多くの日本人の心を掴み、爆発的な人気につながりました。
フランス菓子とジャンボシュークリームの対比
当時、マスコミは「これぞフレンチ」として、パリパリに焼き上げた本格的なフランス菓子を盛んに紹介していました。フランス帰りのパティシエたちも、本場スタイルを守ろうとしていました。
しかし、実際に消費者が選んだのは、コージーコーナーのジャンボシュークリームでした。ふんわり、しっとり、クリーミーな食感を求める日本人の好みが明確に表れたのです。
スイーツファンたちは本場スタイルに迎合するだけでなく、より自分たちに合った味を求めるようにもなりました。
まとめ
ジャンボシュークリームの登場は、日本のスイーツ文化に大きな影響を与えました。
従来の「小さく洗練されたお菓子」一辺倒だった時代に、新たな楽しみ方を提案したのです。
一時のブームは落ち着いたものの、ジャンボシュークリームが開いた「味覚の自由」は、今でも多くのスイーツに受け継がれています。