唐菓子から和菓子へ
「唐菓子」は現在の和菓子の完成形に至る遥か前段階の、いわば“プレ和菓子”とでも呼ぶべきものです。
唐菓子の多くは油で揚げて作られたものが目立ちます。
これは、現在の中華料理に見られる調理法と共通しており、中国大陸から伝来した文化の影響が強く表れています。
ただし、このような「油を使った唐菓子」の時代はせいぜい鎌倉時代までで、次第に日本独自のお菓子文化へと変化していきます。
日本人特有の応用力が発揮され、唐菓子を基盤としつつも、油っぽさを減らし、日本人の繊細な味覚に適した「和」の感性が取り入れられていきました。
こうして唐菓子はやがて「和菓子」という新たな形で発展を遂げ、日本人の生活に深く根付いていったのです。
唐菓子の記録
日本に伝わった「唐菓子(からくだもの)」は、大陸の先進文化を象徴するものとして人々に親しまれ、瞬く間に生活の中に取り入れられました。
「唐」とつくものはすべてが当時の日本人にとって憧れの的でありお手本でもあるため、単なる果物や菓子という枠を超えた特別な価値が付与されました。
古い文献を紐解くと、日本のお菓子の起源である「唐菓子(からくだもの)」について、さまざまな記録が見つかります。
八種唐菓子
椰子(やし) | 米粉をゆで、人の字のような形に整えたもの |
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桃子(とうし) | その名の通り桃を模したものとされますが詳細は不明 |
雷闘(らいとう) | 黒玉虫の幼虫を模して、小麦粉を楕円形にし、筋を付けて揚げたもの。 |
虐心(ぎゃくしん) | 肉桂(シナモン)の香りを付けたもの |
黏臍(ねんせい) | 餅を揚げておへその形にしたもの |
譯鑼(やくら) | もち米や小麦粉で餡を包み、平たい形に仕上げたもの |
館子(たくし) | 丸い餅 |
団喜(だんき) | 現在の団子に近い形状だったと推測 |
日本のお菓子の原点ともいえる唐菓子の中でも特に注目されているのが上記8種類の「八種唐菓子(はっしゅとうがし)」です。
たとえば平安時代に源順が著した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』や、『拾芥抄(しゅうがいしょう)』『厨事類記(ちゅうじるいき)』などに、共通して「八種唐菓子」として記されたものがあります。
これらは唐から伝えられた代表的な菓子であり、日本の菓子文化の基礎を築く存在となりました。しかし、これらは名前だけを見ても現代の私たちには具体的な姿が想像しにくいものも少なくありません。
しかし、こうした記録を追うことで新しい味覚との出会いに驚き、挑戦し続けた古代の人々の様子が浮かび上がります。単なる木の実や果物の域を超え、加工や調理技術が発展していることがうかがえるでしょう。
現代のお菓子の概念に近づいた大きな一歩と言えます。
十四種の果餅
- 倍鮭(ばいけい)
- 慣餅(かんへい)
- 結果(けっか)
- 捻頭(ねんとう)
- 索餅(さくへい)
- 粉熟(ふんじゅく)
- 餛飩(こんとん)
- 餅膜(へいまく)
- 神飩(しんとん)
- 魚形(ぎょけい)
- 椿餅(つばきもち)
- 餅(へい)
- 順炊(じゅんすい)
- 煎餅(せんべい)
「八種唐菓子(はっしゅとうがし)」の後、さらに「十四種の果餅(かへい)」と呼ばれる新たな種類が加わり、唐菓子の種類は多様化していきます。
上記の名前一覧を目にすると、現代の日本人にとっては英語や他の言語の方が分かりやすいのではないかとすら思えてきます。