昭和時代末期の日本のお菓子
昭和の終わり頃、日本の菓子市場は大きく広がりを見せました。
生菓子、贈答用乾き菓子、手作りチョコレートに加えて、アイスクリームやクッキーといった新しい形態のお菓子も人気を集めたのです。
さらにさまざまなジャンルが登場する中で、これまであまり注目されていなかった「半生タイプの焼き菓子」にも光が当たるようになりました。
保存技術が進化した
半生タイプのお菓子とは、焼き上げた後にも適度な水分を残して仕上げるお菓子を指します。
例えば、マドレーヌやフィナンシエなどが代表例です。
これらは日持ちがしにくいという課題がありましたが、ある技術の登場によって状況が大きく変わりました。
それが「エージレス」と「アンチモールド」という新しい保存資材の開発です。
エージレスとは
エージレス(脱酸素剤)は、1980年代初頭に開発され、1980年代後半には菓子業界で広く使われるようになりました。
エージレスとは、袋の中の酸素を吸収して、商品を酸化から守る脱酸素剤です。
食品と一緒にパッケージに封入することで、内部の酸素をほぼゼロにします。
酸素がなくなることで、食品の劣化を防ぎ、カビや細菌の繁殖も抑えられるようになりました。
エージレスの効果
エージレスを使うことで、今まで数日しか日持ちしなかった半生菓子が、何週間も保存できるようになりました。
その結果、自家消費用としてだけでなく、贈答用ギフトとしても半生菓子が広く親しまれるようになったのです。
保存期間の延長により、生産効率も向上して菓子メーカーは計画的な生産ができるようになり、多くの消費者へ安定供給できるようになったのです。
アンチモールドとは
アンチモールド(粉末アルコール製剤)も1980年代後半に実用化され、特に湿度の高い日本市場にマッチしました。
アンチモールドは、粉末状のアルコール製剤です。
主にカビの発生を防ぐために使われ、菓子やパンなどに振りかけたり、混ぜ込んだりして使用します。
アルコールには強い殺菌・防カビ効果がありますが、液体だと扱いが難しいため、粉末化されているのが特徴です。
アンチモールドの効果
アンチモールドを使うことで、特に湿度が高い日本の気候でも、半生菓子のカビ発生を大幅に減少。
より長い期間、安全にお菓子を楽しめるようになりました。
また、味や香りにほとんど影響を与えない点も大きなメリットです。
消費者にとっても、安心して手に取れる商品が増えることとなりました。
菓子文化が二極化した
昭和の終わりにかけて、日本の菓子文化は二つの大きな流れに分かれて進化しました。
一つは「小型・高級志向」。もう一つは「大型・満足感重視」です。
この二つの流れは、昭和末期から平成初期にかけて、それぞれ異なるニーズを満たす形で発展しました。
小さくても特別感を楽しみたい人には高級スイーツを。たっぷり食べて満足したい人にはジャンボサイズや大容量パックを。
それぞれのお菓子が、消費者の多様なライフスタイルに寄り添う存在となったのです。
小型・高級志向の流れ
小型・高級志向とは、小さくても満足できるお菓子を指します。小型で洗練された高級菓子が人気を集め、見た目の美しさや上品さが重視され、特別な時間を演出するアイテムとして愛されました。
高級チョコレート
一般の間に「高級チョコ」という文化が広まったのは1980年代後半〜バブル期(昭和末期)です。
ベルギーやフランスの高級ブランドに影響を受け、日本でも一粒一粒が宝石のように美しいチョコレートが人気を集めました。
そしてゴディバ(日本上陸は1972年)やジャン=ポール・エヴァン(日本初出店は1990年代初頭)などのブランドが流行ります。
特別感のある箱に数粒だけ入ったチョコレートは、小さいけれど高価で贅沢な存在でした。
プティガトー(小型ケーキ)
小型のデコレーションケーキ、いわゆる「プティガトー」もカフェ文化の広がりとともにこの流れに乗って広がりました。
1980年代末から個性的な小型ケーキを売りにする洋菓子店やカフェが増えました。
イチゴやチョコレートで飾られた、手のひらサイズの繊細なケーキは、カフェやパティスリーで大人気となりました。
食べる前に目でも楽しめる点が、多くの人に支持された理由です。
和菓子の高級進化
和菓子の世界でも、小型・高級路線は見られました。
例えば、上生菓子(じょうなまがし)と呼ばれる練り切りや羊羹(ようかん)は、四季折々の風景や花をかたどった芸術作品のようなお菓子として注目されました。
「見た目を楽しむ芸術的な和菓子」として注目され、特に茶席用の和菓子では、一つ数百円するものも珍しくありませんでした。
百貨店などでも「高級和菓子ギフト」としての需要が高まりました。
大型・満足感重視の流れ
大型・満足感重視とは、とにかく大きく、食べごたえがあり、満足できるお菓子を求める流れです。
手頃な価格でしっかりお腹を満たせる商品が、多くの家庭で親しまれました。
大きくて満足感のある菓子、特に大きなシュークリームは低価格でありながら食べごたえがあり、幅広い層から支持を受けたのです。
ジャンボシュークリーム
この時期、特に話題になったのがジャンボサイズのシュークリームです。
コンビニスイーツの初期ヒット商品として1980年代後半〜平成初期に爆発的人気となりました。
通常の倍以上の大きさで、たっぷりのカスタードクリームや生クリームが詰まっていました。
コンビニやスーパーでも手軽に買えるため、家族みんなで分け合って食べるという楽しみ方も広がりました。
大型どら焼き
和菓子にも大型化の波が押し寄せました。
大型どら焼きも昭和末期には見られるようになり、イベント向けやお土産品として定着しました。
直径20センチ近い特大サイズのどら焼きが登場し、見た目のインパクトと食べ応えで人気を集めたのです。
誕生日やイベント用に、メッセージを書き入れられる特製どら焼きも作られるようになりました。
ファミリーパック菓子
スナック菓子やチョコレートでも、大袋にたっぷり入ったファミリーパック商品も増えました。
一人分ずつ小分け包装されているものも多く、「たくさん食べたい」「みんなで分けたい」というニーズに応えた形です。
コストパフォーマンスの高さも支持され、日常的なおやつとして定着していきました。
女性お菓子研究家の活躍と甘味文化の広がり
昭和の終わりには、女性のお菓子研究家たちの活動も活発になりました。
雑誌やテレビで活躍する女性の料理・お菓子研究家が増え、家庭でもお菓子作りを楽しむ文化が広がります。
各地で開かれたお菓子展では、伝統的な和菓子から新しい洋菓子まで、様々な菓子が紹介されました。
試食会やデモンストレーションも行われ、多くの人が甘味文化に触れる機会となりました。
アイスクリームが通年販売化
昔、アイスクリームは「夏の食べ物」というイメージが強くありました。
しかし、冷蔵技術の発達や、空調設備が整ったことで、冬でも食べられるスイーツとして定着しました。
今では、コンビニやスーパーに一年中アイスコーナーがあるのが当たり前になっています。
さらに、さまざまなフレーバーによって選ぶ楽しみが広がり、高級路線のプレミアムアイスが登場して「ご褒美スイーツ」へとイメージが変化したのです。
ハーゲンダッツの人気拡大
プレミアムアイスクリームの代表といえばハーゲンダッツです。1984年に日本に上陸し、濃厚でリッチな味わいが話題になりました。
小型のカップに少量ながら、高品質なミルクやナッツ、チョコレートを使った贅沢な商品は、多くの人に「自分へのご褒美」として選ばれるようになったのです。
フレーバーの多様化
昔はアイスといえばもっぱらバニラやチョコが定番でした。
それが抹茶、ほうじ茶、チーズケーキ、ラムレーズンなど、季節限定や地域限定フレーバーが次々に登場。
サーティワンアイスクリームでは、31種類以上のフレーバーを取りそろえ、毎月新作が登場するなど、選ぶ楽しさも魅力になりました。
クッキーのギフト化
かつてクッキーは「手軽なおやつ」というイメージでした。
しかし、見た目の工夫や味のバリエーションが進んだことで、特別な贈り物としての価値も高まりました。
パッケージも美しくデザインされ、プレゼントや手土産として選ばれる機会が増えたのです。
ヨックモックのシガール
高級クッキーの代表格がヨックモックの「シガール」です。
昭和40年代(1960年代後半)に発売された商品ですが、特に昭和末期(1980年代後半)にかけて「贈答用高級クッキー」として一般家庭にも広く浸透しました。
バターをたっぷり使った生地を、薄く焼き上げ、くるりと巻いたスタイリッシュな形が特徴です。
見た目の上品さと、口の中でほどけるような軽い食感が評判を呼び、贈答用菓子の定番となりました。
「手土産に高級感を演出するスイーツ」が求められるようになり、シガールはそのニーズにぴったり合った存在でした。
高級クッキー缶
おしゃれな缶に詰められたクッキーが人気を集めています。
たとえば、鎌倉の「レ・ザンジュ」や東京の「プティ・フール・セック」などが有名です。
カラフルなジャムサンドクッキーや、香ばしいナッツ入りクッキーなど、種類豊かなクッキーがぎっしり詰まった缶は、見た目も華やか。
開ける瞬間のワクワク感も楽しめるため、誕生日や記念日のギフトとして重宝されています。
また、当時はパッケージデザインにかなりお金をかける流れがありました。
「華やかなクッキー缶」は、バブル景気に乗って「見た目も豪華な贈り物」として人気になったものです。
昭和末期が日本の菓子文化にもたらした影響
昭和末期に見られたこれらの変化は、後の日本の食文化全体に大きな影響を与えました。
半生菓子の普及、菓子の二極化、女性研究家たちの活躍により、お菓子は単なる甘い食べ物ではなく、文化的価値を持つ存在へと認識が変わったのです。
そして、この時期に育まれた多様性は、平成時代以降のさらなる菓子文化の発展にもつながっています。