マカロンとは
マカロンとは、アーモンドプードル(アーモンドを粉末状にしたもの)、卵白、砂糖(粉砂糖およびグラニュー糖)を主な材料として作られるフランス発祥の焼き菓子です。
2枚の丸く平らなメレンゲ状の生地(これを「コック」と呼びます)で、ガナッシュ(チョコレートをベースとしたクリーム)やバタークリームなどを挟んで仕上げられます。
外側はサクッと軽く、内側はしっとりとやわらかい独特の食感が最大の特徴です。鮮やかな色合いや、手のひらに収まる小さく上品なサイズ感も、見た目の美しさを重視する現代のスイーツ文化において高い人気を集めています。
見た目のかわいらしさと、繊細な味わいから「おしゃれなスイーツ」「高級感のあるギフト」としても認知されています。
スール・マカロン
スール・マカロン(Sœurs Macarons)は、「修道女たちのマカロン」という意味を持ちます。
17世紀、フランス北東部・ロレーヌ地方の都市ナンシーにある修道院で、二人の修道女が作り始めたとされる伝統的なマカロンです。
当時、宗教的な制限によって乳製品の使用が禁じられていた中で、彼女たちはアーモンドと卵白、砂糖だけを用いてこの素朴なお菓子を完成させました。
表面はひび割れがあり、現代のマカロンと比べてシンプルな見た目ですが、香ばしさとしっとり感を併せ持った味わいが特徴です。
現在でもナンシーでは「スール・マカロン」が地域の名産品として愛され続けており、観光客にも人気の土産菓子です。
マカロン・ド・コルメリ
マカロン・ド・コルメリ(Macaron de Cormery)は、フランス中部のロワール地方に位置する町、コルメリ(Cormery)で作られてきた非常に歴史の古いマカロンです。
発祥は8世紀の修道院とされ、フランス国内でも最古級のマカロンのひとつと考えられています。
このマカロンは、外観が「おへそ(臍)」のように中央がくぼんだユニークな形をしており、素朴で香ばしい味わいが特徴です。
一般的なマカロンのようにクリームなどを挟まず、アーモンドの風味をそのまま楽しむ焼き菓子となっています。
他の地域ではあまり見かけない、コルメリならではの伝統的なお菓子であり、歴史的価値も高く、食文化遺産の一部とされています。
マカロン・パリジアン
マカロン・パリジアン(Macaron Parisien)は、「パリ風マカロン」や「パリジェンヌマカロン」とも呼ばれ、現在広く知られている「マカロン」といえばこのタイプを指します。
20世紀初頭、フランス・パリの有名パティスリー「ラデュレ(Ladurée)」が開発したとされ、滑らかなコック生地の下に「ピエ(pied=足)」と呼ばれるフリル状の縁ができるのが特徴です。この“ピエ”は、マカロンが正しく焼けている証でもあります。
中にはチョコレートガナッシュ、バタークリーム、ジャムなどが挟まれ、フレーバーのバリエーションも非常に豊富です。ピスタチオ、ラズベリー、レモン、キャラメル、ローズなど、味だけでなく香りや色でも楽しめるのが魅力です。
見た目の美しさ、味のバリエーション、繊細な食感の三拍子が揃ったスイーツとして、世界中のスイーツファンから愛されています。
現代のマカロン
現在、私たちがよく目にするマカロンは、ほとんどが「マカロン・パリジアン」のスタイルを踏襲しています。
とくに2000年代以降、フランスの高級パティスリーの進出や、日本国内のスイーツブームの影響により、洗練されたデザインと豊富なフレーバーで人気を博すようになりました。
従来のマカロンは、見た目も素朴で割れ目があり、甘さも控えめでしたが、現代のマカロンは見た目の美しさを重視しています。滑らかな表面と綺麗なピエ、そして色鮮やかで均一な形状が求められるようになり、製菓技術も非常に高度化しています。
また、フレーバーの幅も広がり、チョコレートやバニラといった定番に加え、抹茶、柚子、ほうじ茶など日本独自の素材を活かしたものも登場しています。さらには、季節限定やブランドコラボなど、ギフト需要にも対応した展開が行われており、マカロンは「日常に取り入れやすい高級スイーツ」として確固たる地位を築いています。
マカロンの発祥起源
マカロンの起源は非常に古く、中世ヨーロッパの修道院文化や祭事菓子の系譜にそのルーツをたどることができます。
文献によると、13世紀頃にはすでにアーモンドを使った焼き菓子が存在していたとされ、初期のマカロンは現在のような姿ではなく、アーモンドを主原料とした素朴な焼き菓子だったと考えられています。最古のレシピに近い形では、「アーモンドを砕いたもの」「卵白」「はちみつ」など、精製されていない自然素材を使用した、シンプルで密度の高い菓子だったようです。当時の「マカロン(macaron)」という言葉は、現代の意味とは異なり、「アーモンド菓子全般」を指す場合もありました。
この菓子がイタリアからフランスへ伝わったとされている背景には、16世紀、イタリア・メディチ家からフランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ・ド・メディシスの影響があると言われています。彼女は多くのイタリア文化とともに、宮廷料理人をフランスへ連れてきたとされており、その中にはマカロンのような菓子を作る技術も含まれていたと考えられています。その後、フランス各地で地域ごとのマカロンが独自の進化を遂げ、ナンシーやコルメリなどに伝統的なスタイルが残ることとなります。
一方で、現在私たちが目にする「マカロン・パリジアン(Parisien)」、つまりツルツルとした表面を持ち、コックと呼ばれる生地でクリームを挟んだ華やかな姿のマカロンが誕生したのは、比較的最近のことです。以下に代表的な起源説を紹介しますが、いずれも決定的な史料が存在するわけではなく、諸説が入り混じっています。
ラデュレ説
ラデュレ(Ladurée)は、1862年にパリで創業した老舗の高級パティスリーです。現在のマカロン・パリジアンのスタイル、すなわち2枚のコックでフレーバークリームを挟んだ構造を最初に商業的に確立した店として知られています。
1920年代後半、ラデュレの経営者であったピエール・デフォンテーヌ(Pierre Desfontaines)が、この「2枚重ね+クリーム入り」のアイデアを打ち出したとされています。これが現在のスタンダードとなっているマカロン・パリジアンの元祖とする説は有力であり、ラデュレ自身も自社の公式資料でこの点を強調しています。
当時のパリではまだ一般的ではなかった「挟みマカロン」が、ラデュレの手によって人気を博し、エレガントなティータイムスイーツとして定着していきました。
ピエール・エルメ説
ピエール・エルメ(Pierre Hermé)氏は、フランスを代表する現代パティシエのひとりであり、マカロンを芸術の域にまで高めた人物として世界的に知られています。彼はかつてラデュレに所属しており、後に独立して自身のブランドを設立しました。
ラデュレ在籍時代、エルメ氏は既に「マカロンの味わい」に革新を加えようと模索していたとされ、独立後には従来にない独創的なフレーバーの組み合わせ(ローズ×ライチ×フランボワーズなど)や、塩味・スパイスとの融合を打ち出しました。これにより、マカロンは単なる「甘くて可愛いお菓子」から、「大人向けの高級ガストロノミー菓子」へと進化したのです。
ピエール・エルメ説は、形状の開発というよりも、現代的なマカロンの価値観そのものを革新した人物として語られるものであり、マカロンブームの火付け役であったことには異論がありません。
ダロワイヨ説
ダロワイヨ(Dalloyau)は、1802年に創業したパリの由緒あるパティスリーであり、かつてヴェルサイユ宮殿の王室御用達として名を馳せました。
この説によれば、1970年代初頭に現在のように表面が滑らかで、ピエ(フリル状の縁)を持つマカロンを、最初に明確に販売したのはダロワイヨだという証言があります。製菓職人の証言や、当時のレシピ記録などから、当時のダロワイヨではすでに「完成されたパリジアン・マカロン」が一定の品質で提供されていた可能性があるとされています。
また、当時のグラン・シェフ(製菓責任者)が、コックの焼成条件やクリームの保形性、色味の均一性などを含め、今日のマカロンに通じる技術体系を整えていたことも、プロの間では注目されています。
ただし、公式な文献や記録が少ないため、一般的にはラデュレの方が広く「始祖」と認知されており、ダロワイヨの貢献については業界内での評価にとどまっている側面もあります。
マカロンの歴史
16世紀
マカロンがフランスにもたらされたのは16世紀中頃とされています。その背景には、フィレンツェの名門「メディチ家」出身のカトリーヌ・ド・メディシスが、フランス王アンリ2世に嫁いだという歴史的出来事があります。
当時のヨーロッパ貴族の婚姻は、単なる家族間の結びつきにとどまらず、文化や食の交流を促進する大きな契機でもありました。カトリーヌはイタリアから数多くの料理人・製菓職人を伴ってフランス宮廷へとやって来たとされており、その中にはアーモンド菓子(マカロン)の技術を持つ職人も含まれていたと考えられています。
ただし、この時代のマカロンは現在のような「コックを2枚重ねた華やかな菓子」ではなく、アーモンド、卵白、砂糖を混ぜて焼いただけの素朴な一枚焼き菓子でした。フランス各地に伝播した後、それぞれの土地で素材や焼き方にアレンジが加えられ、独自の発展を遂げていきます。
17世紀
17世紀になると、フランスのロレーヌ地方ナンシーの修道院で作られるマカロンが特に高い評価を得るようになります。この修道院では、禁肉の期間でも食べられる高タンパクなお菓子として、アーモンドと卵白を使ったマカロンが作られていました。修道女たちが丁寧に焼き上げたその菓子は「スール・マカロン(Sœurs Macarons/修道女のマカロン)」と呼ばれ、ナンシーを代表する伝統菓子となっていきました。
このナンシーのマカロンは、表面にひびが入り、焼き色がしっかりとした、素朴で力強い味わいが特徴です。現在も「メゾン・デ・スール・マカロン(Maison des Sœurs Macarons)」という老舗店で受け継がれています。
また、同じ頃にボルドー地方のサン・テミリヨンでも、修道女たちによるマカロン作りが始まりました。こちらのマカロンは、湿度が高い地域の気候に合わせて少し粘り気のある食感が特徴とされ、ワインとの相性が良いことから地元の名物菓子として根付きました。
18世紀
18世紀に入ると、マカロンの人気はフランス各地の女子修道院を中心に広がっていきます。とりわけ有名なのが、セーヌ川中流域の町 ムラン(Moulins)にある聖母訪問会修道院(Ordre de la Visitation)で作られていたマカロンです。
この修道院のマカロンは、王侯貴族の間でも評判となり、ルイ16世の時代に王太子夫妻(のちのルイ16世とマリー・アントワネット)が実際に修道院を訪れたとの記録も残っています。当時のフランスでは、修道院が地元産品の製造拠点であると同時に、宮廷とも文化的な接点を持っていたことを物語るエピソードです。
このように、18世紀までのマカロンは、宗教的背景と地域性に根ざした「一枚焼き」のアーモンド菓子として発展しており、見た目も味わいも現在のマカロンとは大きく異なるものでした。
現代
現代のマカロンといえば、やはり1970年代以降に登場した「マカロン・パリジアン」が主流です。このタイプのマカロンは、それまでの伝統的なスタイルから大きく変化し、左右対称のコック(生地)を2枚重ねて、中にクリームやガナッシュを挟んだ構造になっています。
表面はツルツルと光沢があり、焼成時にできるフリルのような部分「ピエ(pied/足)」が、美しさの指標ともされています。色とりどりの見た目や豊富なフレーバーが魅力であり、視覚・味覚の両方を楽しめるスイーツとして世界的に人気を集めています。
このパリジアンスタイルを確立したのは、パリの名店ラデュレや、マカロンに革新をもたらしたピエール・エルメなどのパティシエたちです。また、1970年代には老舗パティスリー「ダロワイヨ」でも現在のようなマカロンの原型が提供されていたという記録もあり、商業的な発展において複数の店が関与していたと考えられています。
現在ではフランス国内にとどまらず、日本を含む世界中で「ファッション性の高い高級スイーツ」として認知されており、季節限定フレーバーや地域限定商品なども展開されています。
日本におけるマカロン
初期の導入
現代的なスタイルのマカロン、いわゆる「マカロン・パリジアン」は、日本には意外にも早い段階で紹介されていました。文献や製菓関係者の証言によれば、1973年、東京・渋谷にある洋菓子店での販売が最初期の事例のひとつとされています。
この洋菓子店では、フランスで本場の製菓技術を学んだ職人が、帰国後に現地で得たレシピをもとにマカロン作りに取り組みました。当時は「マカロン・リス(macaron lisse/滑らかなマカロン)」と呼ばれることもありましたが、これはフランス語で「表面が滑らかなマカロン」を意味し、現在でいうところのマカロン・パリジアンに相当します。
しかし、当時の日本ではこのお菓子が高価で見慣れないビジュアルであったため、一般消費者からはあまり関心を持たれず、販売数も伸びませんでした。カラフルで華やかな見た目や、「2枚の生地にクリームを挟む」という構造も、当時の日本人のスイーツ観からはややかけ離れていたのです。そのため、しばらくの間マカロンは市場から姿を消すことになります。
それでもその職人は、マカロンの将来性を信じ続けました。1980年に出版された製菓技術の専門書の中で、マカロンの製法とその魅力を詳細に解説し、日本の製菓界にその存在を静かに紹介しました。
ブームの到来
20年以上の沈黙を経て、マカロンは2004年前後に突如として日本のスイーツ界で注目される存在になります。きっかけは、フランス菓子を専門とする有名ブランドの日本進出や、メディアでの紹介、雑誌・テレビによる「パリの最新スイーツ」としての扱いです。
この時期に日本のパティスリーでは、「マカロン=フランスを象徴する洗練された高級スイーツ」として紹介されるようになり、見た目の美しさや多彩なフレーバー、上品な味わいが特に若い女性を中心に人気を集めました。
加えて、インターネットの普及により、フランス旅行の写真やパリのパティスリー情報が一般にも共有されるようになり、「マカロンを食べること」が一種のライフスタイルの象徴ともなっていきます。
その結果、日本各地の洋菓子店や百貨店では次々とマカロンの取り扱いが始まりました。「一口サイズの宝石のようなスイーツ」という新しいジャンルが定着し、プレゼントや贈答品としても人気を博しました。
このブームは単なる一過性の流行ではなく、「フランス菓子=高級で美しいもの」というイメージを日本に定着させ、洋菓子業界全体の多様性と国際化を促進しました。結果として、日本独自のアレンジを加えたフレーバーや素材の開発も進み、抹茶や柚子、黒ごまなど和の食材を活かした“日本式マカロン”も登場しました。
ブームが始まった2004年から数えて約20年が経過した現在でも、マカロンは依然として人気のある洋菓子のひとつとして愛され続けています。コンビニスイーツや冷凍デザートとしても展開されるなど、「高級スイーツから日常のおやつへ」と進化を続けています。
まとめ
マカロンは、中世のシンプルな焼き菓子に端を発し、イタリアを経てフランスで多様な進化を遂げた歴史を持つお菓子です。ナンシーの「スール・マカロン」やコルメリの「マカロン・ド・コルメリ」といった伝統的なマカロンから、20世紀後半にパリで誕生した「マカロン・パリジアン(マカロン・リス)」へとその姿を変えました。この現代的なマカロンの起源については諸説ありますが、ダロワイヨなどの老舗菓子店が発展に貢献したと考えられています。日本には1970年代に一度導入されましたが定着せず、しかし2000年代半ばに一大ブームとして再来し、今では人気のフランス菓子として広く愛されています。