今日の食卓を彩るチルドデザートの多くは、モンテール株式会社の長年にわたる努力によって生み出されてきました。モンテールの70年の歴史は、創業者から三代にわたる経営者たちの情熱と革新の物語です。この会社は、戦後の混乱期から現代に至るまで、どのようにして日本のチルドデザート市場で確固たる地位を築いてきたのでしょうか。
【モンテールの創業者】鈴木徹郎とは
モンテールの物語は、戦後復興期の1954年に東京都足立区で始まった「鈴木製菓」から始まります。創業者である鈴木徹郎氏は、当時主流だった和菓子や飴の製造を手がけ、地域に根ざした菓子メーカーとしての第一歩を踏み出しました。
「鈴木製菓」を創業
創業者の鈴木徹郎氏は、1954年に東京都足立区で「鈴木製菓」を設立しました。当時は、和菓子や飴の製造が主な事業でした。戦後間もない日本では、食生活の中心はまだ和食であり、洋菓子は特別な時に食べる贅沢品でした。そんな時代の中、鈴木製菓は地域に密着したお菓子メーカーとして、着実に事業を進めていきました。
「チョコまん」のヒット
鈴木徹郎氏には、単に伝統を守るだけでなく、新しいものを取り入れる先見性がありました。その代表的な例が、「チョコまん」という商品です。これは、日本の伝統的な饅頭にチョコレートをかけるという、当時としては非常に画期的なアイデアでした。
チョコまんは大きな人気を集め、鈴木製菓の初期の成功を支える重要な収益源となりました。この成功は、消費者の好みの変化にいち早く気づき、伝統にとらわれずに新しい価値を生み出そうとする、創業者の革新的な思考の表れだったのです。
次世代への教訓
この初期の成功体験は、後の世代にとって非常に大切な教訓となりました。それは、伝統的な技術や品質へのこだわりを持ちつつも、時代の変化に合わせて柔軟に商品を作り、消費者により魅力的な体験を提供することの重要性です。チョコまんという和と洋を組み合わせた商品の成功は、のちにモンテールが洋生菓子へと大きく事業を変える際の重要な土台となったのです。
【モンテールの二代目社長】鈴木良彦とは
事業は、二代目の鈴木良彦氏へと引き継がれました。彼の経営時代は、モンテールの歴史の中で最も大きな変化があった時期と言えるでしょう。
洋生菓子への大転換
創業者から事業を受け継いだのは、二代目の鈴木良彦氏でした。1969年、日本が大きく経済成長していた時期に、鈴木良彦氏は埼玉県八潮市に新しい工場を建てるという大きな決断をしました。この工場建設は、単にたくさん作れるようにするだけでなく、会社の事業のやり方を根本から変えるための戦略的な投資でした。
バームクーヘンとの出会い
鈴木良彦氏が洋生菓子へと事業を変えようと決めた背景には、面白いエピソードがあります。彼は結婚式の引き出物でバームクーヘンを食べた際、そのおいしさにとても感動し、「新鮮な洋菓子を作りたい」という強い思いを抱いたそうです。この個人的な体験が、会社全体の方向性を決めることになったのです。
社名変更と企業哲学
この戦略的な転換と同時に行われたのが、社名の変更でした。「鈴木製菓」から「モンテール」への変更は、単に名前を変えるだけではありませんでした。「モンテール」という名前は、フランス語で「宝石を組み立てる職人」という意味を持っています。この新しい社名には、綿密な職人技への敬意、細部への徹底的なこだわり、そして貴重な宝石を扱う職人のような精密さで高品質な製品を生み出していくという、新たな企業哲学が込められていました。この社名変更は、会社が単に製品を変えるだけでなく、企業文化そのものを新しくしようとする強い意志の表れだったのです。
チルド洋生菓子事業の本格化
鈴木良彦氏の真の革新性は、商品の開発だけでなく、市場での戦略にも発揮されました。1991年頃から本格的に始まったチルド洋生菓子事業では、コンビニエンスストアやスーパーマーケットといった、大衆市場を明確なターゲットとしました。
日常のおやつへ再定義
それまで洋生菓子は、専門の菓子店やケーキ店で買う「特別な日のお菓子」という位置づけでした。しかし、鈴木良彦氏は、これらの製品を「日常的に気軽に楽しめるおやつ」として考え直したのです。
この考え方の転換は、当時としてはとても画期的なことでした。高品質な洋生菓子を、誰もが手軽に買える流通チャネルで提供することにより、モンテールは全く新しい市場セグメントを創造したのです。
包括的な事業基盤の構築
この戦略を成功させるためには、ただ商品を作るだけでは不十分でした。コールドチェーン(低温物流)システムの構築、大量生産に対応した製造設備、そして全国規模での効率的な流通ネットワークの整備など、包括的な事業基盤の構築が必要でした。これらは莫大な投資を必要とする挑戦でしたが、鈴木良彦氏はその重要性を理解し、果敢に投資を実行したのです。
主力商品の誕生と売上拡大
1990年代を通じて、モンテールの主力商品である焼きプリンやプチシュークリームが次々と市場に出されました。これらは、急成長するチルドデザート分野の定番商品として、確固たる地位を築きました。特に「牛乳と卵のシュークリーム」は大ヒットし、2000年度には会社の売上の55%を占めるまでに成長しました。この時期の総売上高は108億円に達し、モンテールは業界でも有数の企業へと成長を遂げていました。
プリン事業の強化
しかし、鈴木良彦氏の戦略的な考え方は、成功に満足することを知りませんでした。2001年から2002年頃、彼は次の成長戦略として、プリン事業の強化に取り組みました。手頃な価格の「牛乳と卵の焼プリン」が成功したことを受けて、より高級な「窯焼きなめらかプリン」などのプレミアム商品を次々と発売し、さまざまな価格帯の消費者のニーズに応えました。
「第二の収益の柱」確立の狙い
この戦略の狙いは明確でした。プリンの売上を前の年より60%増やして50億円まで引き上げ、シュークリームに次ぐ「第二の収益の柱」として確立することです。この多角化戦略の重要性は、リスクを管理するという視点から理解することができます。単一の主力製品に頼りすぎると、市場の変化や競合他社の登場によって大きなリスクを抱えることになります。
鈴木良彦氏は、このリスクを正確に認識し、意図的に別の強力な製品カテゴリーを育てることで、会社の収益基盤を安定させようとしたのです。実際に、2001年度の売上高は135億円と予測され、プリンの売上比率は約37%まで上昇する見込みでした。これは、多角化戦略が期待通りの効果を上げていることを示す明確な証拠でした。
鈴木良彦氏の功績
鈴木良彦氏は、その後も長く会社の発展に貢献し続けました。2004年12月には「お菓子製造50年!究極の顧客感動をめざす」と題されたインタビューで代表取締役として大きく取り上げられ、モンテールの個性と方向性を形作る上での彼の功績が改めて認められました。その後、彼は取締役会長として会社に残り、66歳で亡くなるまで影響力を持ち続けました。
【モンテールの三代目社長】鈴木徹哉とは
そして現在、モンテールの指揮を執っているのが、三代目の鈴木徹哉氏です。彼は2009年4月に社長に就任し、現在まで代表取締役として会社を率いています。
「顧客感動」の追求
三代目の鈴木徹哉氏は、2009年4月に社長に就任しました。彼の経営の根幹にあるのは、「顧客感動の実現」という揺るぎない信念です。彼は、お客様が本当に求めるものを「より深い形」で提供することに真剣に取り組んでおり、単にお客様の期待に応えるだけでなく、それを上回る価値を提供することを目指しています。
徹底した安全性
この哲学が具体的に表れているのが、安全性への徹底した取り組みです。食品業界において安全性は最も基本的なことですが、鈴木徹哉氏のやり方は業界の基準をはるかに超えるレベルにあります。
業界最高水準の自社基準
食品衛生法では、食品に含まれる微生物の数(一般生菌数)の基準を1gあたり10万個以下と定めていますが、モンテールでは自主的にこれを1gあたり300個以下という、驚くほど厳しい基準に設定しています。この数値は、法律で定められた基準の約300分の1という、非常に厳しいものです。
このような厳しい自社の基準を設定し、それを常に守り続けることは、決して簡単なことではありません。それには、最先端の製造設備への投資、高度な訓練を受けた人材の確保、綿密な品質管理システムの構築、そして研究開発への継続的な投資が必要です。しかし、鈴木徹哉氏は、これらすべてを積極的に実行しています。なぜなら、彼はお客様からの信頼こそがモンテールの最も大切な財産であることを深く理解しているからです。
「産地直結型工場」の推進
さらに、鈴木徹哉氏は原材料の段階での品質管理にも力を入れています。「産地直結型工場」の開発を進めることで、原材料が採れる場所に工場を建て、鮮度と品質の両方でより高い水準を実現しようとしています。この取り組みにより、サプライチェーンの初期段階から製品が完成するまで、一貫した品質管理が可能になります。また、原材料がどこから来て、どのように作られたかをすべて記録することで(トレーサビリティ)、もし問題が起きた場合でも素早く対応することができます。
鈴木徹哉氏の成果と評価
鈴木徹哉氏のリーダーシップの成果は、さまざまな数字や受賞歴によって裏付けられています。彼の指揮のもとで、つくば第3工場が完成し、モンテールの生産能力は大幅に向上しました。また、会社は「第17回食品安全安心・環境貢献賞」や、美濃加茂工場が受賞した「月刊食品工場長賞」など、業界で高く評価される数々の賞を受賞しています。
国際的な品質評価
製品の品質に対する評価も、国際的なレベルで認められています。2008年には「超厚バウムクーヘン」がモンドセレクション最高金賞を受賞し、モンテールの技術力と品質への取り組みが世界的に認知されました。モンドセレクションは、食品や飲み物の品質を評価する国際的な機関であり、その最高金賞は非常に厳しい審査を経て与えられる名誉ある賞です。
モンテールの現在
現在のモンテールは、2020年8月時点で従業員数1,016名(正社員、パート含む)、資本金5,000万円、年間売上高269億円という規模に成長しています。創業時の小さな町の製菓店から考えると、まさに驚くべき発展です。会社の中心事業はチルドデザートの製造販売であり、日本の消費者の日常生活に深く溶け込んでいます。
モンテールの歴史と未来
2024年、モンテールは創業70周年という大きな節目を迎えました。この70年という時間は、日本の社会の大きな変化とともにありました。戦後復興期から高度経済成長、バブル経済とその崩壊、そして現代のデジタル社会まで、モンテールは常に時代の変化に対応し、成長を続けてきました。
70周年を迎えたモンテール
この継続的な成功の背景には、鈴木家三代にわたる一貫した経営の考え方があります。それは、品質への妥協しないこだわり、お客様のニーズに敏感に対応すること、そして時代の変化を先取りする革新性です。初代の鈴木徹郎氏が「チョコまん」で見せた革新的な精神、二代目の鈴木良彦氏が実現した事業モデルの大胆な転換、そして現在の鈴木徹哉氏が追求するお客様への感動と安全性への徹底した取り組み。これらすべてが、一本の糸でつながった物語を形作っています。
世代ごとの課題とアプローチ
興味深いのは、それぞれの世代が直面した課題と、それに対するアプローチの違いです。創業者の時代は、まず事業を安定させることが最も重要でした。二代目の時代は、これまでの考え方を打ち破り、新しい市場を作り出すことが求められました。そして現在の三代目の時代は、すでに確立された市場でリーダーシップを保ちながら、さらなる品質向上とお客様満足の実現が課題となっています。
このように、各世代が異なる課題に直面しながらも、一貫して品質と革新を追い求めてきたことが、モンテールの継続的な成功の秘訣と言えるでしょう。また、家族経営でありながら、個人的な利益よりも会社の長期的な発展を優先する姿勢も大切な要素です。
競争が激しい市場での強み
現在、日本のチルドデザート市場は非常に競争が激しい状況です。大手食品メーカーから中小の専門メーカーまで、多くの企業がこの市場に参入し、お客様により魅力的な商品を提供しようと競い合っています。このような環境の中で、モンテールが市場リーダーとしての地位を維持できているのは、70年にわたって培ってきた技術力、品質管理能力、そしてブランド力の賜物です。
絶え間ない挑戦
特に重要なのは、モンテールが単に過去の成功に満足することなく、常に新しい挑戦を続けていることです。鈴木徹哉氏の厳格な品質管理基準、産地直結型工場の開発、そして継続的な設備投資などは、すべて将来に向けた積極的な取り組みです。これらの努力により、モンテールは変化するお客様のニーズに対応し、新しい世代のお客様からも支持を獲得し続けています。
また、モンテールの成功は、日本の食品産業全体の発展にも大きな影響を与えています。チルドデザートという新しい商品カテゴリーの確立、コンビニエンスストアでの洋生菓子販売の普及、そして高品質な日常デザートの概念の定着など、モンテールが先駆者として切り開いた道は、現在では日本の食文化の一部となっています。
これからのモンテール
これからのモンテールがどのような展開を見せるかは、非常に興味深い点です。鈴木徹哉氏は既に十数年にわたって会社を率いており、その間に確実な成果を上げてきました。今後は、デジタル技術の活用、環境への配慮、健康志向の高まりへの対応など、新しい時代の要請に応えることが求められるでしょう。
まとめ
モンテール株式会社の70年の歩みは、単一企業の成功物語を超えた意味を持っています。それは、日本の経済発展、消費文化の移り変わり、そして企業経営の進化を映し出す鏡でもあります。小さな町の製菓店から始まり、日本を代表するチルドデザートメーカーへと成長を遂げたモンテールの物語は、努力と革新、そして時代を読む洞察力の重要性を私たちに教えてくれます。
そして何より、この物語が示しているのは、本当に素晴らしい企業とは、単に利益を追求するだけでなく、消費者の生活を豊かにし、社会に価値を提供し続ける存在だということです。モンテールが70年にわたって愛され続けているのは、まさにそのような企業としての姿勢を貫いてきたからに他なりません。今後も、この理念を大切にしながら、新しい時代の要請に応えていくことで、モンテールはさらなる発展を続けていくことでしょう。