長崎カステラについて
長崎カステラとは
長崎カステラは、16世紀後半、ポルトガルの宣教師たちによって日本にもたらされたお菓子です。
もともとはポルトガルの「パン・デ・ロー」というスポンジケーキのような洋菓子でしたが、日本に伝わった後、時代や地域の好みに合わせて改良され、現在のようなスタイルの「和菓子」として定着しました。
長崎カステラは、見た目の美しさ、食感の楽しさ、香りの豊かさが三拍子そろった、日本が誇る伝統的な和菓子です。
食感と味わい
カステラの特徴は、しっとりとやわらかい食感と、ほんのり甘く香ばしい味わいです。
長方形の黄色い生地が美しく、表面は焼き色がついてきつね色になります。これは、焼いている間に砂糖が熱でカラメル化するためです。
底に敷かれたザラメ糖
カステラのもうひとつの大きな特徴が、底に残った「ザラメ糖」です。
ザラメ糖は焼く前に型の底に敷かれ、焼き上がっても完全には溶けずに粒のまま残ります。
この“じゃりっ”とした独特の食感を楽しみにしている人も多く、長崎カステラならではの魅力のひとつです。
甘くて優しい香り
カステラの甘くやさしい香りは、主に蜂蜜や水あめ、そして卵から生まれます。
焼いているあいだにこれらの材料が熱によって反応し、ふんわりとした甘い香りが立ちのぼるのです。
素材の風味をいかしたこの香りが、焼きたてのカステラをより特別なものにしています。
「長崎カステラ」と「カステラ」の違いとは?
現在、日本では「カステラ」と呼ばれるお菓子が広く親しまれていますが、その中でも「長崎カステラ」という名前がついたものがあります。
どちらも基本的には同じようなお菓子ですが、実は製法や風味に違いがあります。
比較してみたときの「長崎カステラ」
「長崎カステラ」という名前を見ると、「長崎で作られたカステラ」と思われがちですが、実際は少し違います。
「長崎カステラ」とは、長崎で生まれた伝統的なレシピや作り方をもとに作られたカステラのことを指します。
現在では、長崎以外の地域でもこの製法で作られていれば「長崎カステラ」と呼ばれることがあります。
長崎カステラは、伝統的に「別立て法(べつだてほう)」という作り方で焼かれます。
これは、卵黄と卵白を分けて、別々に泡立ててから混ぜる方法です。
このやり方により、生地の気泡が細かくなり、なめらかでしっとりした食感になります。
また、焼くときの温度や時間も細かく管理され、表面は美しいきつね色、中はしっとりとした仕上がりになるように工夫されています。
一般的な「カステラ」とは?
一方、スーパーや洋菓子店などで売られている「カステラ」は地域の好みや気候に合わせて独自にアレンジされたものが多く見られます。これらは必ずしも長崎式の製法にこだわっているわけではありません。
よくあるアレンジの例
日本は地域によって気候や好みが異なります。そのため、各地のメーカーは以下のような工夫を行っています。
このように、「長崎カステラ」は伝統的なレシピや製法を守ったお菓子であるのに対し、「カステラ」は現代のニーズや地域性に合わせて柔軟に進化したお菓子と言えます。
どちらもカステラという名前ではありますが、味や食感、背景には大きな違いがあるのです。
カステラ作りで最も大切な「卵の泡立て方」
カステラのふんわり感やしっとりとした口当たりを左右する大きな要素は、卵の泡立て方です。
泡立ての方法によって、生地のきめ細かさやボリュームに大きな違いが出ます。
カステラ製造では、主に以下の2つの方法が使われています。
1. 別立て法(べつだてほう)
- 泡の粒が細かく、しっとりとした口当たりになる
- 生地がつぶれにくく、均一に焼き上がる
- ふんわりしながらも、しっかりとした食感がある
卵を卵黄(らんおう)と卵白(らんぱく)に分けて、それぞれ別々に泡立てる方法です。
伝統的な長崎カステラなどでは、主にこの方法が用いられています。
卵白と卵黄の性質
部分 | 特徴 |
---|---|
卵白 | 水分とたんぱく質が主成分。空気を含みやすく、泡立ちやすい |
卵黄 | 油分を含み、泡立ちにくいがコクがある |
別立て法の工程とメリット
角が立つほどしっかり泡立てたものを「メレンゲ」と呼びます。この泡が、生地のふくらみを支える土台になります。
混ぜるときは泡を潰さないよう、ゴムベラで下から上にすくい上げるように優しく混ぜます。この作業には繊細な技術が求められます。
2. 共立て法(ともだてほう)
- 生地に弾力があり、ややしっかりした食感になる
- 作業が簡略化できるため、量産向き
- 技術的ハードルが低く、機械との相性が良い
卵を卵白と卵黄に分けず、全卵(ぜんらん)を一緒に泡立てる方法です。
製造の効率が良く、大量生産の現場でも使われています。
共立て法の歴史と進化
昔は泡立て器もなく、手作業での共立ては大変な労力を必要としました。しかし現在では、機械の発達によって誰でも安定した泡立てが可能になっています。
共立て法の工程とメリット
卵を35~40度程度に温めることで、泡立ちがスムーズになります。
速度が速すぎると泡が粗くなり、遅すぎるとふくらみが足りません。製造条件に合わせた微調整が必要です。
現代のカステラ製造と職人技
現在のカステラ工場では次のような精密な管理技術が取り入れられています。
温度管理 | 卵や生地の温度を一定に保ち、泡立ちを安定させる |
湿度調整 | 焼き上がり時の乾燥を防ぎ、しっとり感を保つ |
撹拌速度の制御 | 泡の大きさや量を調整し、生地の食感を最適化する |
ただし、これらの技術があっても、職人の経験に基づく「見極め」や「感覚」は今も大切にされています。
たとえば、下記のような職人の勘や経験は、機械では代替できない貴重な技術です。
- メレンゲの泡の立ち具合を「目で見る」
- 生地の粘りやツヤを「ヘラで感じる」
- 焼き色や香りから「焼き上がりを判断する」
カステラの元になったお菓子とは?
今ではすっかり日本の定番となったカステラ。しっとりとしていて甘く、長方形の形をしたお菓子です。
しかしこの形や味は、日本で発展した独自のスタイルです。
カステラのルーツには、実は2つの説があると言われています。
1つはポルトガルのお菓子「パン・デ・ロー」、もう1つはスペインの保存食「ビスコチョ」です。
ポルトガルの「パン・デ・ロー」説
パン・デ・ローは、ポルトガルで古くから親しまれている伝統的なお菓子です。
特徴は、ふんわり柔らかく、中心部がとろっとした半熟の焼き加減にあること。材料には卵と砂糖をたっぷり使い、贅沢で濃厚な味わいが楽しめます。かつては高級品とされ、王様や貴族など一部の人だけが食べられる特別なお菓子でした。
実は、もともとのパン・デ・ローは完全に焼けておらず、半熟の状態は「失敗作」とされていました。しかし、あるとき王様がその食感を気に入り、「これが美味しい」と称賛したことで、半熟タイプが正式な形として広まりました。失敗から生まれた独自の美味しさが、のちに定番になったのです。
また、パン・デ・ローは修道院で作られることが多く、宗教的な意味合いも持っていました。卵や砂糖といった貴重な食材を使い、神への感謝を込めて焼かれていたのです。こうした背景から、パン・デ・ローは単なるスイーツではなく、「天の恵み」として大切にされていました。
現代の日本でも、半熟カステラがブームになったことがありました。この新しいカステラは、焼き加減や食感がパン・デ・ローに近く、ルーツに立ち返るような存在とも言えます。
スペインの保存食「ビスコチョ」説
もう一つの有力な説が、スペインから伝わった「ビスコチョ」というお菓子です。
ビスコチョとは、スペイン語で「2度焼く」という意味があります。その名のとおり、焼いたものをもう一度加熱して水分を飛ばして仕上げるため、表面がカリッとした硬い食感になります。
このお菓子は、スペインの船乗りたちが航海中に食べる保存食として使われていました。長い船旅のあいだも傷まず、日持ちするよう工夫された実用的な食品だったのです。食感や味よりも、保存のしやすさが重視されていました。
しかし、このビスコチョが日本に伝わると、少しずつ形や味が変わっていきました。日本人は、硬くて乾いたお菓子よりも、ふわっとした口あたりや甘みを好みます。また、日本の高温多湿な気候では、乾燥したお菓子よりもしっとりしたもののほうが合っていました。
こうして、保存食だったビスコチョは、日本人の嗜好に合わせて柔らかく甘いカステラへと進化していったのです。実用性を重視した食べ物から、「美味しさ」を追求するスイーツへと姿を変えていきました。
日本での改良と発展
伝来したばかりのカステラは、どちらかといえば硬く、パサついた食感だったと考えられています。しかし、日本の職人たちはその味や食感に満足せず、何度も試行錯誤を繰り返しました。材料の配合を変えたり、焼き方を工夫したりしながら、日本人の繊細な味覚に合うように改良を重ねていったのです。
また、日本の気候も、しっとりとしたカステラが生まれる要因になりました。湿度が高い日本では、ふわっとした柔らかさやしっとり感のあるお菓子の方が好まれます。そのため、乾いた焼き菓子ではなく、なめらかでしっとりとした現在のカステラが定着していったのです。
カステラが日本に伝わった歴史
カステラは、16世紀にポルトガル人によって日本にもたらされたお菓子です。
1543年、種子島にポルトガル人が漂着したことをきっかけに、日本とヨーロッパとの交流が始まりました。その後、キリスト教を広めるために来日した宣教師たちが、さまざまなお菓子や食文化も一緒に伝えました。カステラもそのひとつで、「南蛮菓子(なんばんがし)」と呼ばれる西洋風のお菓子の一種です。
当時伝わった南蛮菓子には、以下のようなものがありました.
ボーロ | 小さく丸い焼き菓子。現在のクッキーのような形。 |
コンペイトウ | 星のような形の砂糖菓子。カラフルで長期保存も可能。 |
カステラ | 卵・砂糖・小麦粉を使ったふわふわの焼き菓子。 |
有平糖(あるへいとう) | 美しい透明感のある飴菓子。職人の技が光る一品。 |
ビスケット | 乾燥させて保存性を高めた、かたい焼き菓子。 |
パン | 発酵させて焼いた主食用のパン。日本では当時珍しい食品。 |
これらのお菓子は、それまでの日本にはなかった味や作り方を持っていたため、人々にとって非常に珍しく、特別なものとされました。特に、たっぷりの砂糖を使った甘い味は、大変贅沢なものでした。
カステラが日本に根付くまでの困難
しかし、カステラが日本に根付くまでにはいくつもの課題がありました。当時は砂糖がとても高価だったため、一般庶民の手が届くお菓子ではありませんでした。また、ポルトガルのようなオーブンが日本にはなく、焼き方を工夫する必要もありました。職人たちは材料や道具を工夫し、日本独自のカステラの作り方を少しずつ確立していったのです。
カステラは鎖国後も長崎を中心に作り続けれた
その後、日本は鎖国(さこく)政策を取り、海外との交流を制限しましたが、カステラは例外的に長崎を中心に作り続けられました。おもに出島で活動していたオランダ人との貿易や、国内の職人による改良によって、カステラは独自の進化を遂げていきます。鎖国の約200年間、カステラは長崎の特産として育まれ、日本人の味覚に合うように変化しました。
明治時代、カステラが全国に広まる
そして明治時代に入り、鎖国が終わって日本全体が急速に近代化すると、カステラもまた全国へと広がっていきます。鉄道の開通により、長崎から各地へ輸送しやすくなり、砂糖の価格も下がっていったことで、より多くの人が気軽にカステラを楽しめるようになりました。
昭和時代、カステラメーカーの躍進
昭和に入ると、テレビCMの影響もあり、カステラは全国的に有名になります。特に文明堂の「カステラ一番、電話は二番」というフレーズは、今でも多くの人の記憶に残っています。
このようにして、カステラはポルトガルから伝わったお菓子でありながら、日本の気候や文化、職人の工夫によって独自の進化を遂げ、今では日本を代表する和菓子のひとつとなりました。
カステラの名前の由来
「カステラ」という名前には、いくつかの説があります。
どれもはっきりとは分かっていませんが、有力な説を2つご紹介します。
カスティーラ王国のお菓子説
カステラという名前は、昔ヨーロッパにあった「カスティーラ王国(現在のスペインの一部)」に由来すると考えられています。
16世紀、日本に来たポルトガル人がカステラを持ち込んだとき、日本人が「このお菓子は何ですか?」と聞きました。するとポルトガル人は、「ボロ・デ・カステラ(カスティーラのお菓子)」と答えたそう。
この「カステラ」という部分だけが日本人の耳に残り、そのままお菓子の名前になったというわけです。
カスティーラ王国ってどんな国?
- 中世(およそ1,000年前)のヨーロッパで栄えた王国
- スペインのもとになった国のひとつ
- 1035年から1715年ごろまで存在
この王国では、地域ごとにいろいろなお菓子が作られていました。ポルトガル人が「カスティーラのお菓子」と言ったのは、その国でよく食べられていたお菓子だったからかもしれません。
お城「カスティーリョ」説
もう一つの説は、「カスティーリョ」というスペイン語が元になったというものです。
スペイン語で「お城」は「カスティーリョ」と言います。
スペインの人たちは、卵白を泡立ててメレンゲを作るとき、「お城のように高くなれ!」と声をかけていたそうです。
その掛け声が日本人の耳には「カステラ」と聞こえ、それが名前になったという説です。
掛け声の文化
昔のヨーロッパでは、お菓子作りのときにリズムよく掛け声をかけながら作業するのが習慣でした。
「高くなれ」という声には、ふわふわのメレンゲをうまく作りたいという職人の願いが込められていたのです。
その他の説
他にもいくつかの語源説があります。
カステル説 | ラテン語の「カステル(城)」が由来という説 |
カスタード説 | 英語の「カスタード」が変化したという説 |
ただし、これらはあまり根拠がなく、「カスティーラ王国説」や「カスティーリョ説」が有力とされています。
長崎の老舗カステラ店「御三家」
店舗名 | 創業年 | 特徴 | 主な功績 |
---|---|---|---|
福砂屋 | 1624年 | 最古のカステラ店、伝統の手作り製法 | 添加物不使用・職人制による品質保持 |
松翁軒 | 1681年 | 水あめ使用、チョコラーテ発祥 | パリ万博での国際的評価 |
文明堂総本店 | 1900年 | 全国展開と印象的なCM | カステラの全国普及とブランド化 |
長崎には「カステラ御三家」と呼ばれる、歴史ある三つの名店があります。それぞれ異なる歴史やこだわりを持ちながら、日本のカステラ文化を支え続けています。伝統を守るだけでなく、新しい挑戦も続けるその姿勢が、多くの人に愛される理由です。
【福砂屋(ふくさや)】──日本最古のカステラ店
まず紹介するのは、1624年に創業した「福砂屋」です。
江戸時代の初期、外国人居留地としてにぎわっていた長崎で、ポルトガル人から直接カステラの製法を学び、現在まで伝統の味を守り続けています。添加物を一切使わない、シンプルで自然な味わいが特徴です。
福砂屋では「一人一貫主義」を採用しており、1人の職人が材料の計量から焼き上げ、仕上げまでのすべてを担当します。こうすることで品質のばらつきを防ぎ、熟練の技術を次世代に引き継ぐことができるのです。保存料を加えないため、賞味期限は9日前後と短めですが、そのぶん素材本来の風味が生きたやさしい味わいが楽しめます。
福砂屋のシンボルマークには「コウモリ」が使われています。これは中国文化で幸福の象徴とされる動物で、長崎の中国寺院「崇福寺」から正式に授けられたものです。このように福砂屋には、日本、ポルトガル、中国という異なる文化が重なり合った長崎ならではの背景が色濃く感じられます。
【松翁軒(しょうおうけん)】──革新を続ける老舗
続いて「松翁軒」は、1681年に創業した老舗です。
伝統を守りながらも、時代に合わせた革新を重ねてきたことでも知られています。たとえば、カステラに水飴を加えることで、しっとり感を保ちやすくする工夫を施しています。日本の湿度の高い気候に適した改良といえるでしょう。
明治時代には、カカオを使った「チョコラーテ」というチョコレート風味のカステラを開発しました。これは当時としてはとても斬新な試みで、日本のカステラに新たな可能性を切り開く出来事でした。
さらに、松翁軒は明治33年(1900年)のパリ万博に出品し、受賞を果たしています。ヨーロッパ生まれのお菓子であるカステラが、日本で独自に発展し、逆にヨーロッパで評価されたというのは象徴的なエピソードです。
【文明堂総本店】──カステラを全国に広めた立役者
最後にご紹介するのは「文明堂総本店」。
明治33年に創業し、「カステラ1番、電話は2番」のCMで全国的な知名度を得ました。この短く覚えやすいフレーズと歌は、テレビの普及とともに全国の家庭に広まり、カステラをより身近なお菓子として定着させました。
文明堂は、全国展開にも力を入れており、各地の支店では地域の好みに合わせたカステラ作りも行われています。これにより、長崎生まれのカステラが全国各地に広がり、親しまれるきっかけとなりました。
変わり種のカステラ
日本各地では、昔ながらのカステラにその土地ならではの工夫を加えた「変わり種カステラ」が作られています。どれも地域の食文化や暮らしを反映した、ユニークで魅力的なお菓子です。
こうした地域色豊かなカステラは、それぞれの風土や文化、時代のニーズに合わせて進化してきました。昔ながらの良さを大切にしつつ、新しい素材や技術を取り入れて生まれ変わるカステラには、日本のお菓子文化の奥深さと柔軟さが詰まっています。
秋田の伝統菓子「豆腐カステラ」
秋田県では、豆腐を使って作る「豆腐カステラ」が古くから親しまれています。江戸時代にはすでに存在していたといわれ、今でも冠婚葬祭などの特別な行事で用いられる大切な郷土菓子です。
このカステラは、仏教の教えに深く関係しています。仏教では「殺生(せっしょう)」、つまり動物を殺すことを避ける考え方があります。そのため、卵などの動物性食品を使わずに作られた豆腐カステラは、精進料理の一つとしても受け入れられてきました。
作り方は一般的なカステラとは異なり、裏ごしした豆腐に砂糖や小麦粉を加えてよく混ぜ、蒸して仕上げます。卵を使わない分、味はとてもあっさりしていて、やさしい甘さが特徴です。植物性のたんぱく質が豊富で、健康を気づかう人にもぴったりのお菓子です。
バスクと和の融合「バスクチーズカステラ」
バスクチーズカステラは、スペインの伝統菓子「バスクチーズケーキ」と日本のカステラを組み合わせた、現代的な創作スイーツです。見た目はカステラですが、味わいは濃厚なチーズの風味が際立ち、しっとりとした口当たりも特徴的です。
このお菓子を作ったのは、40年以上にわたりカステラを焼き続けてきた熟練の職人です。長年の経験と技術をもとに、カステラの新しい可能性を引き出しました。
山形のお米から生まれた「お米のカステラ」
山形県では、地元産のブランド米「はえぬき」と地酒を使った「お米のカステラ」が開発されました。このカステラには小麦粉が使われておらず、グルテンフリー(小麦由来のたんぱく質を含まない)という特徴があります。
そのため、小麦アレルギーを持つ方でも安心して食べることができ、多くの人に喜ばれています。実際に、この商品は復興庁が主催するコンテストで特別賞を受賞するなど、高い評価を受けています。
お米のカステラは、山形の豊かな米作りの伝統や、酒造りの技術といった地域の強みを活かして作られたお菓子です。地酒を加えることで香りが引き立ち、ほのかな甘さとコクのある風味が楽しめます。
とろける食感が魅力「半熟たまごカステラ」
高知県の「たまごファミリー」が手がける「じゅわっと半熟たまごカステラ」は、外側は香ばしく焼き上げられている一方で、中はとろっととろけるような食感が楽しめる、新感覚のスイーツです。切ると中からクリーミーな生地がとろりとあふれ出し、まるでプリンやクリームのような味わいが口いっぱいに広がります。
このブームの背景には、ポルトガルの伝統菓子「パン・デ・ロー」の存在があります。パン・デ・ローは日本のカステラのルーツともいわれるお菓子で、もともとは中が半熟の状態で焼き上げるのが特徴です。現代では、加熱や衛生の技術が進化したことで、安全に半熟のまま提供できるようになり、その人気が再燃しています。
このカステラに使われている卵「炭たま」は、鶏の飼料に炭を加えて育てられた、特別な卵です。臭みが少なく、黄身が濃厚で甘みも強いことから、お菓子作りにぴったりの素材です。炭たまを使うことで、一般的な卵では出せない深いコクとリッチな味わいを引き出しています。
受け継がれるカステラの伝統技術
職人の手業と技術の継承
現代では製菓機械の進化により、多くの工程が自動化されました。それでも、老舗のカステラ店では職人による手作業が今もなお大切にされています。これは、代々受け継がれてきた感覚や技術を守るためです。
職人は生地の状態を「目」で見極め、焼き加減を「鼻」で判断し、温度のわずかな変化を「肌」で感じ取ります。こうした五感を活かした細やかな対応が、カステラの仕上がりを大きく左右します。
また、こうした技術は一朝一夕では身につきません。多くの老舗では、師匠から弟子へと長い年月をかけて技術が受け継がれています。弟子はまず基礎を学び、経験を重ねる中で職人としての姿勢や顧客への思いも同時に教わります。このようにして、技術と心が一体となった「手業」が守られているのです。
伝統と革新のバランス
カステラの製造現場では、伝統の技術を大切にしながらも、時代に合わせて新しい機器や手法が積極的に取り入れられています。材料の計量や温度管理など、機械による正確な処理が品質の安定につながっています。一方で、生地の混ぜ方や焼き加減といった繊細な調整は、今も職人の手に委ねられています。道具や環境が変わっても、最後の仕上げを決めるのはやはり職人の経験と感覚です。
品質管理の面でも、温度計や湿度計、タイマーといった機器の導入により、以前よりも精密な管理が可能になりました。しかし、機械だけでは味や焼き色の絶妙な差を見分けることはできません。だからこそ、最新設備と職人の技を組み合わせる「伝統と革新の融合」が、現代のカステラづくりにおいて重要な役割を果たしているのです。
まとめ
長崎カステラは、ポルトガルから伝わった洋菓子が、日本の風土や人々の味覚に合わせて進化し、独自の製法と伝統を築き上げた和菓子です。しっとりとした食感やザラメの食感、やさしい甘い香りなど、どれもが長い年月をかけて磨かれてきた職人の技と工夫の結晶です。現代の製造技術が発展するなかでも、変わらず守り続けられているのは、素材と手間へのこだわり、そしておいしさへのまっすぐな思いです。長崎カステラは、単なるお菓子ではなく、歴史と文化を味わう一品と言えるでしょう。