プリンの定義とは|茶碗蒸しとの違い、日本に伝わった歴史

プリンとは
プリンは、卵、牛乳、砂糖を主な材料として作られる洋風のデザートです。
口に入れた瞬間に広がるなめらかでクリーミーな食感と、じんわりと広がる優しい甘さが特徴的です。
多くの場合、甘くて少しほろ苦いカラメルソースがかけられており、この組み合わせがプリンの味わいを引き立てます。
プリンの主な2つの種類
リンには主に二つの種類があり、それぞれ異なる原理で固められています。
1. カスタードプリン(Traditional Custard Pudding)
「カスタードプリン」は、プリンと聞いて多くの人が思い浮かべる、最も伝統的なタイプ。昔ながらの「プリン」の味ですね。
材料は主に卵、砂糖、牛乳、そして香り付けにバニラなど。カスタードプリンは、卵が持つある性質を利用して作られています。それは卵に含まれるたんぱく質は、熱を加えると固まるという性質です。
卵を含めた材料を混ぜ合わせたものを湯煎にかけたり、蒸し器でじっくりと蒸し焼きにすることで、あの独特の滑らかでコクのある味わいが生まれ、口の中でとろけるような舌触りを楽しむことができます。
2. ゼリータイプのプリン(Jelly Type Pudding)
もう一つのタイプは、「ゼリータイプのプリン」と呼ばれ、カスタードプリンとは異なる方法で固められます。
このタイプのプリンは、ゼラチンや寒天といった「凝固剤(ぎょうこざい)」を使って固めます。ゼラチンや寒天は、液体に混ぜて冷やすと固まる性質があるため、卵を使わないことが多く、牛乳や砂糖、香料などを混ぜて作られるのが一般的です。
卵を使わないため、手軽に作れるのが大きな利点です。ご家庭で簡単に作れることから、特に人気があります。食感は、カスタードプリンよりも少しプルンとした弾力があることが多いです。
カスタードプリンの加熱方法による違い
カスタードプリンは、その加熱方法によって「焼きプリン」と「蒸しプリン」に分類され、どちらもカスタードプリンの一種ですが、食感や風味が異なります。
焼きプリン
「焼きプリン」は、オーブンで表面に香ばしい焼き色がつくまでじっくりと焼いて作られます。
焼き色がついた部分は少し香ばしく、加熱による香ばしさが風味に深みを加え、食欲をそそるでしょう。
蒸しプリン
一方、「蒸しプリン」は蒸し器を使ってじっくりと蒸して作られます。
そのため、表面に焼き色はつかず、全体的により柔らかく滑らかな仕上がりになります。
プリンとカスタードプリンの言葉の使い分け
カスタードプリンは、卵を使って加熱により固めた、伝統的なタイプのプリンを指す明確な呼称です。
一方、「プリン」という言葉は、広義にはカスタードプリンもゼリータイプのプリンも含む総称として使われることがあります。
ただし、一般的に人々が「プリン」と言うときにはカスタードプリンを指していることが多いため、日常会話では両者はほぼ同じ意味で使われています。
このため、カスタードプリンはプリンの一種であり、同時に最も一般的なプリンであるという関係にあります。
プリンと茶碗蒸しの違い
日本の伝統料理である茶碗蒸しとプリンは、見た目や調理法に共通点があるため比較されることがありますが、実際には異なる文化的背景を持つ別の料理です。
調理の原理は似ていても、味付けや具材、文化的な位置づけは大きく異なるのです。
茶碗蒸しの起源・歴史
茶碗蒸しの歴史は古く、元禄2年(1689年)に長崎の唐人屋敷で茶碗蒸しが提供された記録があります。
茶碗蒸しもまた、プリンと同様に卵のたんぱく質が熱によって固まる性質を活かした料理です。
当時は具材のないシンプルな形でしたが、その後、中国の薬膳料理の影響を受けて銀杏や椎茸などの具材が加えられるようになりました。
味付けの違い
西洋のプリンと茶碗蒸しは、卵を主材料とし、蒸す調理法を採用している点で共通していますが、味付けが決定的に異なります。
茶碗蒸しは日本で独自に発展した出汁を効かせた塩味の料理であるのに対し、プリンは砂糖を加えた甘いデザートです。
具材の違い
茶碗蒸しには鶏肉、海老、椎茸、銀杏など様々な具材が入りますが、プリンは基本的に液状の生地を固めたもので、具材は入りません。
用途の違い
茶碗蒸しは食事の一品として供されますが、プリンは食後のデザートとして楽しまれるという違いがあります。
プリンの味わいを深めるカラメルソース
プリンの多くにかけられているカラメルソースは、砂糖を焦がして作られます。
砂糖を加熱すると、ある温度に達したときに茶色く色づき、ほろ苦い風味が生まれ、このソースのほろ苦さと、プリン本体の優しい甘さが口の中で調和し、奥深い味わいを生み出します。
一口食べると、甘さの後に広がるカラメルの香ばしさがたまりません。
現代のプリン
バリエーション
現代のプリンは、そのシンプルな構造ゆえにアレンジの幅が広がり、多彩なバリエーションが登場し、広い層に親しまれています。
世界各地でも様々な種類のプリンが存在しており、それぞれの地域や文化に合わせた独自の発展を遂げています。
日本では抹茶やほうじ茶を使用した和風アレンジや、フルーツやキャラメルソースを使ったバージョンも作られています。
販売形態
現代のプリンは、家庭でも手軽に作られるスイーツとして広く親しまれています。
さらに、コンビニエンスストアや専門店では、個性豊かなプリンが販売され、手軽に楽しめるようになりました。
昔ながらの素朴な味わいから、クリームやトッピングが加えられたものまで、消費者の選択肢は多岐にわたります。
こうした変化を続けるプリンは、単なる洋菓子にとどまらず、日本文化に深く根付いたスイーツとして今後も多くの人々に愛され続けることでしょう。
プリンの語源と名前の由来
語源「プディング」
このデザートの名前の由来を理解するには、まず英語の「pudding(プディング)」という言葉に遡る必要があります。
プディングという呼び名は、もともとイギリスで広く使われていた料理の総称でした。
この総称には、甘いデザートだけでなく、肉や野菜を使った食事系の料理も含まれていたという歴史があります。
日本で定着した呼称「プリン」
日本にこのデザートが伝わった際、英語の発音「プディング」が簡略化され、「プリン」という呼称が定着していきました。
伝来した初期には「プッジング」や「プデン」といった多様な表記が見られましたが、時代とともに「プリン」という形に落ち着いた経緯があります。
プリンの起源と発祥の歴史


発祥起源
プリンの起源を辿ると、イギリスで発展した料理文化に行き着きます。
中世のイギリスでは、様々な材料を混ぜて布で包んで茹でる、または蒸す調理法が広く行われており、これがプディングの原型となりました。
甘いデザートとしてのプリンが広がる
イギリスで発展したプディングの中から、卵や牛乳、砂糖を使った甘いデザートとしてのプリンが形を整え、ヨーロッパ全土や世界中に広まっていきました。
フランスでも同様のデザートが定着するなど、ヨーロッパ各地の食文化に影響を与えたのです。
こうした西洋の技術や文化が日本に伝わる過程で、現在私たちが知る洋菓子としてのプリンが、日本のスイーツ文化の一部となっていきました。


プリンが日本に伝来した背景
プリン伝来の時期は幕末から明治初期
プリンが本格的に日本に伝わったのは、幕末から明治初期の時代です。
この時期は、日本が開国し、西洋文化が急速に流入してきた時期にあたります。
横浜をはじめとする開港地には多くの外国人が住むようになり、彼らが経営するホテルや菓子店でプリンが提供されるようになりました。
プリン伝来の中心地は横浜
横浜は日本におけるプリン伝来の初期において中心的な役割を果たしました。
たとえば、1866年に横浜で開業したクラブホテルやアングロサクソンホテルなどでは、イギリスの伝統的なデザートとしてプリンがメニューに載っていたと考えられています。
プリン伝来に重要だったのは牛乳
プリンを作るためには、主材料の一つである牛乳の安定供給が不可欠でした。
慶応3年(1867年)には横浜で牧場が開設され、明治元年(1868年)には東京新橋で牛乳の生産が始まりました。
これにより、洋菓子製造に欠かせない乳製品の普及が進み、日本でのプリン製造が実際に可能になったのです。
プリン伝来の立役者は村上光保
明治3年(1870年)、宮中の大膳職であった村上光保という人物が、横浜の西洋菓子店「サムエル・ペール」で修行を積んだ記録が残されています。
村上はフランスをはじめとする西洋料理の技術を学び、日本人として西洋菓子の技術を習得した人物の一人とされています。
日本の中枢である宮中で働いていた人物が西洋菓子の技術を学んだことは、その後の日本における洋菓子文化の発展に影響を与えたと考えられます。
プリンの初期の文献記録
西洋料理通
プリンが日本の文献に初めて登場したのは、明治5年(1872年)に発行された『西洋料理通』という書物です。
この書物には「干柿ポッデング」や「蜜柑ホッデング」など、和の素材を取り入れたプリンが記載されています。
干柿や蜜柑といった日本で親しまれていた食材を使ったレシピが紹介されていることから、西洋菓子が日本の文化や食材に合わせて独自の形で受け入れられ、発展していったことがわかります。
和洋菓子製法独案内
明治22年(1889年)に発行された『和洋菓子製法独案内』には「パンバタプリン」や「ライスプリン」といったレシピが掲載されています。
この頃には、単に「プディング」ではなく、「プリン」という呼称が一般化しつつありました。




