ラムネ菓子とは|発祥起源や歴史【昭和のラムネ菓子商品を紹介】

ラムネ菓子とは
| 分類 | 日本の清涼菓子 |
|---|---|
| 形状 | 丸いタブレット形状 |
| サイズ | 直径約1センチメートル |
| 基本色 | 白色(フレーバーにより様々な色もあり) |
| 食感 | 口の中でしゅわしゅわと溶ける |
形状
お菓子としてのラムネとは、炭酸ガスを含んだ泡立ちの良いタブレット形状のお菓子です。
日本の清涼菓子の一種として分類されます。
一般的には丸い形で提供されており、直径は1センチメートル前後、小さく手軽に食べられるサイズになっています。
ラムネ菓子のサイズと色
色は白いものが基本ですが、様々な色のバリエーションも存在します。
いちご味はピンク色、ぶどう味は紫色というように、フレーバーに合わせた色がついていることもあります。
一つ一つが小さいため、少しずつ口に含んで楽しむことができます。
また、袋やボトルに入っているため、ポケットやカバンに入れて手軽に持ち歩くことができ、割れる心配もありません。
ラムネ菓子が何でできているか
ラムネ菓子の主な成分には、ブドウ糖、砂糖、クエン酸、炭酸水素ナトリウムなどが含まれています。
これらの材料はどれも食品として安全なものであり、それぞれが重要な役割を果たしています。
ブドウ糖・砂糖
ブドウ糖と砂糖は甘みを提供する役割を果たします。
ブドウ糖は素早くエネルギーに変わる糖分で、砂糖よりもさっぱりとした甘さを持っています。
脳のエネルギー源としても知られており、集中力を高める効果があるとされています。
砂糖は一般的な甘味料で、コクのある甘さを加えます。
クエン酸
クエン酸は酸味を加える役割を果たします。
この酸味があることで、単に甘いだけでなく、すっきりとした味わいになるのです。
クエン酸は疲労回復効果があるとも言われており、甘さと酸味のバランスが、ラムネ菓子の爽やかな味わいを作り出しています。
炭酸水素ナトリウムの役割
炭酸水素ナトリウム、これは重曹とも呼ばれる物質で、料理にも使われる安全な食品添加物です。
この炭酸水素ナトリウムが、ラムネ菓子の「しゅわしゅわ感」を生み出す鍵となります。
ラムネ菓子のしゅわしゅわ感が生まれる原理
| 段階 | 現象 |
|---|---|
| 1. 口に入れる | 唾液と混ざり合う |
| 2. 溶解開始 | クエン酸と炭酸水素ナトリウムが水分で溶ける |
| 3. 化学反応 | 酸と塩基の中和反応が起こる |
| 4. ガス発生 | 炭酸ガス(二酸化炭素)が発生 |
| 5. 感覚 | しゅわしゅわとした爽快感 |
ラムネ菓子を口に含むと、唾液と混ざり合います。
このとき、クエン酸と炭酸水素ナトリウムが唾液の水分によって溶け始めます。
クエン酸は酸性、炭酸水素ナトリウムは塩基性の物質で、この二つが出会うと中和反応が起こります。
この反応の結果、炭酸ガス、つまり二酸化炭素が発生します。
この炭酸ガスが、あのしゅわしゅわとした独特の感覚を生み出しているのです。
ラムネ菓子の発祥起源
飲み物より後に誕生
飲み物のラムネとお菓子のラムネ、どちらが先に存在したのでしょうか。
この疑問に対する答えは明確です。
時系列で見ると、飲み物のラムネが先に存在し、その後お菓子のラムネが生まれたという流れがあります。
明治時代(1868年~1912年)に誕生
飲み物のラムネが1865年に日本に伝わったことは、先ほど説明した通りです。
それでは、お菓子のラムネはいつ誕生したのでしょうか。
明治時代、つまり1868年から1912年の間に、ラムネという名前がお菓子にも使われるようになったことは確かとされています。
当時の菓子製造は、大企業ではなく小規模な工房で行われることが多く、製造記録が体系的に残されていないことがよくあるのです。
明治時代の多くの駄菓子がそうであったように、ラムネ菓子も小規模な製造から始まったため、詳細な記録が残っていないと考えられます。
ラムネという名前が菓子に使われた理由
お菓子のラムネは、飲み物のラムネと同じような爽快感を固形の形で再現しようとしたものだから。
飲み物のラムネが持つ炭酸のしゅわしゅわとした感覚を、固形のお菓子でも楽しめるようにしたのが、ラムネ菓子なのです。
液体の炭酸飲料を持ち歩くのは不便ですが、固形のラムネ菓子なら手軽に持ち運べて、いつでもあの爽快感を楽しめます。
このアイデアが、ラムネ菓子が生まれた大きな理由の一つだったと考えられます
ラムネ菓子の発祥起源
飲み物より後に誕生
飲み物のラムネとお菓子のラムネ、どちらが先に存在したのでしょうか。
この疑問に対する答えは明確です。
時系列で見ると、飲み物のラムネが先に存在し、その後お菓子のラムネが生まれたという流れがあります。
明治時代(1868年~1912年)に誕生
飲み物のラムネが1865年に日本に伝わったことは、先ほど説明した通りです。
それでは、お菓子のラムネはいつ誕生したのでしょうか。
明治時代、つまり1868年から1912年の間に、ラムネという名前がお菓子にも使われるようになったことは確かとされています。
当時の菓子製造は、大企業ではなく小規模な工房で行われることが多く、製造記録が体系的に残されていないことがよくあるのです。
明治時代の多くの駄菓子がそうであったように、ラムネ菓子も小規模な製造から始まったため、詳細な記録が残っていないと考えられます。
ラムネという名前が菓子に使われた理由
お菓子のラムネは、飲み物のラムネと同じような爽快感を固形の形で再現しようとしたものだから。
飲み物のラムネが持つ炭酸のしゅわしゅわとした感覚を、固形のお菓子でも楽しめるようにしたのが、ラムネ菓子なのです。
液体の炭酸飲料を持ち歩くのは不便ですが、固形のラムネ菓子なら手軽に持ち運べて、いつでもあの爽快感を楽しめます。
このアイデアが、ラムネ菓子が生まれた大きな理由の一つだったと考えられます
ラムネ菓子の歴史
第二次世界大戦後
ラムネ菓子の歴史を理解する上で、第二次世界大戦後の時期は重要な転換点となります。
1945年8月、日本は第二次世界大戦に敗れました。戦争は終わりましたが、日本は大きな困難に直面します。
都市の多くは空襲で破壊され、工場も生産設備も失われ、食料をはじめとする物資が極端に不足していたのです。
| 1945年8月 | 日本が第二次世界大戦に敗戦 |
|---|---|
| 戦後すぐ | 都市の破壊、工場・生産設備の喪失 |
| 食料事情 | 主食さえ不足、配給制度の実施 |
| お菓子 | 贅沢品中の贅沢品 |
東京、大阪、名古屋といった主要都市は、空襲によって焼け野原となっていました。
当時の日本では、米や小麦などの主食さえ十分に手に入りません。
配給制度が実施され、人々は限られた食料で生活しており、一日一日を生き抜くことが精一杯という状況だったのです。
このような状況で、甘いお菓子は贅沢品中の贅沢品でした。甘いものに飢えていた子どもたちにとって、ラムネ菓子のような甘いお菓子は、特別な存在だったのです。
1948年のラムネ菓子製造開始
| 年 | 1948年 |
|---|---|
| メーカー | 土棚製菓 |
| 地域 | 東京 |
| 特徴 | 戦後初のラムネ菓子製造開始 |
昭和23年(1948年)、東京の土棚製菓という会社がラムネ菓子の製造を開始します。ラムネ菓子製造の本格的な始まりです。
戦争が終わって3年が経ち、日本は少しずつ復興の道を歩み始めており、食料事情はまだ厳しかったものの、最悪の時期は過ぎつつありました。
経済活動も徐々に再開され、人々の生活にも少しずつ余裕が生まれ始めていた時期です。
昭和時代
- くじ引きの仕組み: 数円でくじを引き、当たりとハズレで景品が変わる
- ラムネ菓子の位置: 慰め景品として提供されることが多い
- 人気の逆転: ハズレ景品のラムネが当たり景品より喜ばれることも
- 駄菓子屋の役割: 子どもたちの社交場
- 価格帯: 子どもの小遣いで買える範囲
子どもたちは、当たりかハズレかでもらえる景品が変わるくじを数円を払って引いていました。
当時の駄菓子屋で、くじ引きの景品としてよく登場していたものの一つがラムネ菓子です。
戦後の物資不足の中で、甘くてしゅわしゅわとした食感のラムネ菓子は、子どもたちにとって特別な喜びをもたらすものでした。
友達と一緒に駄菓子屋に行き、くじを引いて、ラムネ菓子をもらって喜ぶ。そのような光景が、昭和の日本全国で見られたのです。
ラムネ菓子メーカーの展開
東京、大阪、名古屋という日本の三大都市圏でラムネ菓子の製造が始まったことで、全国的な広がりを見せるようになります。この三都市から、周辺地域へとラムネ菓子が流通していき、日本全国で手に入るお菓子となっていったのです。
1948年の土棚製菓|東京
昭和23年(1948年)、東京の土棚製菓はいち早くラムネ菓子の製造に乗り出しました。
戦後間もない時期に、甘味の少ない生活の中で「手軽に楽しめる清涼感」をテーマにした製品づくりを進めます。
当時の土棚製菓は、粉末状の糖を圧縮して成形する技術を独自に工夫し、安定した品質のラムネを大量に作る仕組みを確立しました。
卸売業者を通じて商店街や露店などへ供給できる体制が整い、戦後の東京で初めてラムネが「量産される菓子」として流通する基盤を築いたのです。
この取り組みが、その後の全国的なラムネ菓子の普及につながりました。
1949年の島田製菓|大阪
昭和24年(1949年)には大阪の島田製菓が「シマダのラムネ菓子」を発売しました。
各地のメーカーがラムネ菓子の製造に参入し始めた時期です。
東京で始まった製造が、すぐに大阪にも広がったことは、ラムネ菓子への需要の高さを示しています。
戦後の物資不足の中で、子どもたちは甘いものを求めていました。
そのため、比較的安価で作れるラムネ菓子は、メーカーにとっても、消費者にとっても魅力的な商品だったのです。
1950年のカクダイ製菓|名古屋
昭和25年(1950年)には名古屋の大橋商店、これは現在のカクダイ製菓ですが、「固形ラムネ」の名称で製造を始めました。
この会社は現在も続いており、長い歴史を持つラムネ菓子メーカーとして知られています。
この固形ラムネは駄菓子屋のくじの景品としても活用され、子どもたちの間で大きな支持を集めました。
駄菓子屋には、くじ引きコーナーがあり、当たりとハズレで異なる景品がもらえる仕組みがありました。
ラムネ菓子は、その景品の一つとしてよく使われたのです。
昭和時代のラムネ菓子
| 年 | メーカー | 商品名 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| 1965年 | カバヤ食品 | ジューC | ビタミンC配合、健康志向 |
| 1973年 | コリス | フエラムネ | 音が出る、遊べるラムネ |
| 1973年 | 森永製菓 | 森永ラムネ | 瓶型容器、伝統的な味 |
| 1978年 | オリオン | ミニコーラ | コーラ味、コーラ瓶型容器 |
1965年の「ジューC」カバヤ食品
- 特徴: ビタミンC配合
- 味わい: フルーツ・柑橘系の酸味
- 位置づけ: 栄養補助としても利用可能
- 時代背景: 高度経済成長期の健康志向
- 受容: 親世代にも受け入れられやすい
昭和40年(1965年)になると、カバヤ食品がビタミンCを配合した「ジューC」を発売しました。
ジューCは、フルーツや酸味のあるジュースのような味わいを持ち、さっぱりとした風味が特徴です。レモンやオレンジといった柑橘系の味わいを持つフレーバーが多く、爽やかな酸味が感じられます。
ビタミンCが含まれているため、栄養補助としても利用されることがあり、ラムネの軽い口当たりと、ビタミンCの機能性を兼ね備えた商品として位置づけられました。
単なるお菓子としてだけでなく、栄養補助という側面も持つことで、親世代にも受け入れられやすい商品となりました。
1973年の「フエラムネ」コリス
昭和48年(1973年)には、複数の商品が登場しました。コリスが「フエラムネ」を発売したのもこの年です。これは昭和35年(1960年)に発売された「フエガム」を元に開発されました。
フエガムは、笛の形をしたガムで、吹くと音が出るという楽しい仕掛けを持った商品でした。この成功を受けて、同じ発想をラムネ菓子に取り入れることで、新しい楽しみ方を提供しようとしたのがフエラムネです。
フエラムネの狙いはすでに人気のあったコンセプトをラムネ菓子に適用することです。
この商品はリング状になっており、吹くと音が出ます。包みを開けると中に小さな笛が入っており、リング状のキャンディに息を吹き込むと、笛のように音が鳴る構造です。
原理としては、リングの中心に空洞があり、そこに空気を通すことで音が発生します。これは楽器の笛と同じ原理で、空気の振動によって音が生まれるのです。
フエラムネは、食べる前に笛として遊び、その後食べるという二段階の楽しみ方ができます。
友達と一緒に音を競い合ったり、メロディーを作ろうとしたりするなど、コミュニケーションのツールとしても機能しました。
1973年の「森永ラムネ」森永製菓
昭和48年(1973年)に、森永製菓は瓶型容器に入った「森永ラムネ」を発売しました。
このデザインは飲み物のラムネ瓶を模したもので、多くの人々に支持されました。飲み物のラムネ瓶という馴染みのある形を採用することで、消費者にとって親しみやすい商品となったのです。
この瓶型容器は、プラスチック製で、飲み物のラムネ瓶のビー玉入りの形を忠実に再現しています。瓶を逆さにすると、中のラムネ菓子がビー玉のように転がる様子も再現されており、視覚的にも楽しめる工夫がされています。
伝統的なラムネの味わいを楽しめる菓子で、シンプルでありながら、ラムネの本来の甘さと爽快感をしっかりと感じることができます。
また、瓶型容器は食べ終わった後も小物入れとして再利用できるという実用性も持っています。
森永ラムネの歴史は、この昭和48年(1973年)から始まり、現在まで続くロングセラー商品となっています。50年以上にわたって愛され続けているということは、その味わいと品質が多くの人々に認められている証拠と言えるでしょう。
1978年の「ミニコーラ」オリオン
昭和53年(1978年)には、オリオンが「ミニコーラ」を発売しました。コカ・コーラの瓶を模した容器にラムネを詰めた商品です。
ミニコーラの容器は、コカ・コーラの特徴的な曲線を持った瓶の形を小さく再現しています。赤いラベルも貼られており、一見すると本物のコーラ瓶のように見えます。しかし中身はラムネ菓子であり、この意外性が子どもたちの興味を引きました。
この商品は、コーラの味を楽しめるラムネ菓子で、ラムネをベースにした小さなコーラ味のキャンディとなっています。コーラ特有の爽快な風味を再現しており、サイズが小さく、手軽に食べられます。コーラの味わいが甘さと酸味をバランスよく感じさせ、ラムネならではの食感も楽しめる商品です。
シガレットラムネ
昭和の時代には、他にもさまざまなラムネ菓子が登場しました。
シガレットラムネと呼ばれる、たばこの形を模したラムネ菓子も存在し、昭和の時代から親しまれてきました。
これは細長い形状をしており、たばこの箱に似たパッケージに入っています。
子どもたちが大人の真似をして遊ぶことができる商品で、口にくわえて大人のふりをするという遊び方が、当時の子どもたちの間で流行しました。
現代のラムネ菓子
| フレーバー | いちご、ぶどう、メロン、ソーダなど多様化 |
|---|---|
| 色 | 白だけでなくカラフルなバリエーション |
| パッケージ | キャラクターコラボ、季節限定デザイン |
| 方向性 | 伝統的な味わいと新しい挑戦の両立 |
現代でもラムネ菓子は進化を続けて、フレーバーや形状、パッケージデザインなど、さまざまな工夫が凝らされています。
伝統的な味わいを守りながらも、新しい味や形状に挑戦する商品も登場しています。たとえば、フルーツフレーバーのラムネ菓子は種類が豊富になり、いちご、ぶどう、メロン、ソーダなど、様々な味を楽しめるようになりました。
また、色も白だけでなく、カラフルなバリエーションが増えています。パッケージも、キャラクターとのコラボレーションや、季節限定のデザインなど、多様化が進んでいます。
現代の健康志向商品
| 商品タイプ | 特徴 | ターゲット |
|---|---|---|
| カロリーオフ | 糖質・カロリー控えめ | ダイエット志向の消費者 |
| 糖質控えめ | 糖質を減らした配合 | 健康志向の消費者 |
| ブドウ糖高配合 | 集中力サポート | 受験生、ビジネスパーソン |
| 機能性追加 | 栄養素を付加 | 健康意識の高い消費者 |
近年では、健康志向の高まりを受けて、カロリーオフや糖質控えめのラムネ菓子も登場しています。また、機能性を持たせたラムネ菓子、たとえば集中力をサポートするとされるブドウ糖を多く含んだ商品なども展開されています。
特に受験生や仕事で集中力が必要な人々をターゲットにした商品が増えており、ラムネ菓子の新しい用途が開拓されています。
デジタル時代のラムネ菓子
- 情報共有: SNSでの写真投稿、レビュー
- 懐かしさの共有: 昔食べたお菓子として話題に
- 新商品の発見: 新しいフレーバーの情報拡散
- 世代を超えた魅力: 若い世代への再発見
現代では、SNSでの情報共有が盛んになり、ラムネ菓子も懐かしいお菓子として写真を投稿したり、新しいフレーバーを試してレビューを書いたりする人々が増えています。
ラムネの歴史のまとめ
| 年代 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1865年 | 飲み物のラムネ伝来 | 長崎の藤瀬半兵衛が製造開始 |
| 1881年頃 | お菓子のラムネ誕生説 | 詳細な記録なし、明治時代に存在 |
| 1948年 | 戦後の製造開始 | 東京・土棚製菓が製造再開 |
| 1949年 | 大阪へ拡大 | 島田製菓「シマダのラムネ菓子」 |
| 1950年 | 名古屋へ拡大 | 大橋商店(現カクダイ製菓)「固形ラムネ」 |
| 1965年 | ジューC発売 | カバヤ食品、ビタミンC配合 |
| 1973年 | フエラムネ発売 | コリス、音が出るラムネ |
| 1973年 | 森永ラムネ発売 | 森永製菓、瓶型容器 |
| 1978年 | ミニコーラ発売 | オリオン、コーラ味 |
- 祖父母の世代: 戦後の貴重なお菓子として
- 親の世代: 駄菓子屋での思い出として
- 現在の子どもたち: 新しいフレーバーとともに
明治時代から始まったとされるラムネ菓子は、戦後の子どもたちに親しまれ、昭和後期には多様な商品が登場しました。現代でもその支持は続いており、次世代に受け継がれています。
親が子どもの頃に食べたラムネ菓子を、今度は自分の子どもと一緒に楽しむという世代間の継承も見られます。また、かつて子どもだった大人たちが、懐かしさを感じて再び手に取ることもあります。
駄菓子屋で友達と一緒に買ったラムネ菓子、夏祭りで食べたラムネ菓子、遠足のおやつに持っていったラムネ菓子。それぞれの世代に、それぞれのラムネ菓子の思い出があります。





