ラムネ菓子とは|発祥起源や歴史【昭和のラムネ菓子商品を紹介】

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目次

ラムネ菓子とは

分類日本の清涼菓子
形状丸いタブレット形状
サイズ直径約1センチメートル
基本色白色(フレーバーにより様々な色もあり)
食感口の中でしゅわしゅわと溶ける

形状

お菓子としてのラムネとは、炭酸ガスを含んだ泡立ちの良いタブレット形状のお菓子です。

日本の清涼菓子の一種として分類されます。

一般的には丸い形で提供されており、直径は1センチメートル前後、小さく手軽に食べられるサイズになっています。

ラムネ菓子のサイズと色

色は白いものが基本ですが、様々な色のバリエーションも存在します。

いちご味はピンク色、ぶどう味は紫色というように、フレーバーに合わせた色がついていることもあります。

一つ一つが小さいため、少しずつ口に含んで楽しむことができます。

また、袋やボトルに入っているため、ポケットやカバンに入れて手軽に持ち歩くことができ、割れる心配もありません。

ラムネ菓子が何でできているか

成分役割
ブドウ糖さっぱりとした甘み、エネルギー源
砂糖コクのある甘み
クエン酸やかな酸味
炭酸水素ナトリウム(重曹)炭酸ガスを発生させる

ラムネ菓子の主な成分には、ブドウ糖、砂糖、クエン酸、炭酸水素ナトリウムなどが含まれています。

これらの材料はどれも食品として安全なものであり、それぞれが重要な役割を果たしています。

ラムネ菓子が何でできているかを理解することは、なぜあの独特の食感が生まれるのかを理解する鍵となります。

ブドウ糖・砂糖

ブドウ糖と砂糖は甘みを提供する役割を果たします。

ブドウ糖は素早くエネルギーに変わる糖分で、砂糖よりもさっぱりとした甘さを持っています。

脳のエネルギー源としても知られており、集中力を高める効果があるとされています。

砂糖は一般的な甘味料で、コクのある甘さを加えます。

ブドウ糖と砂糖を組み合わせることで、バランスの取れた甘さが実現されています。

クエン酸

クエン酸は酸味を加える役割を果たします。

この酸味があることで、単に甘いだけでなく、すっきりとした味わいになるのです。

クエン酸は疲労回復効果があるとも言われており、甘さと酸味のバランスが、ラムネ菓子のやかな味わいを作り出しています。

レモンや梅干しなどに含まれる酸っぱい成分と同じもので、ラムネ菓子にやかな酸味を与えます。

炭酸水素ナトリウムの役割

炭酸水素ナトリウム、これは重曹とも呼ばれる物質で、料理にも使われる安全な食品添加物です。

この炭酸水素ナトリウムが、ラムネ菓子の「しゅわしゅわ感」を生み出す鍵となります。

この成分こそが、ラムネ菓子を他のお菓子と区別する決定的な要素なのです。

ラムネ菓子のしゅわしゅわ感が生まれる原理

段階現象
1. 口に入れる唾液と混ざり合う
2. 溶解開始クエン酸と炭酸水素ナトリウムが水分で溶ける
3. 化学反応酸と基の中和反応が起こる
4. ガス発生炭酸ガス(二酸化炭素)が発生
5. 感覚しゅわしゅわとした快感

ラムネ菓子を口に含むと、唾液と混ざり合います。

このとき、クエン酸と炭酸水素ナトリウムが唾液の水分によって溶け始めます。

クエン酸は酸性、炭酸水素ナトリウムは基性の物質で、この二つが出会うと中和反応が起こります。

この反応の結果、炭酸ガス、つまり二酸化炭素が発生します。

この炭酸ガスが、あのしゅわしゅわとした独特の感覚を生み出しているのです。

重要なのは、この反応が口の中で起こるということです。

ラムネ菓子を袋に入れて保管している間は、水分がないため反応は起こりません。

口に入れて初めて、唾液という水分によって反応が始まるのです。

もし水分があれば反応してしまうため、ラムネ菓子は湿気を避けて保存する必要があります。

この巧妙な仕組みにより、保存時は安定しており、食べるときだけ快感を楽しめるのです。

ラムネ菓子の発祥起源

飲み物より後に誕生

形態誕生時期記録の状況
飲み物1865年(慶応元年)明確な記録あり
お菓子1881年頃(明治14年)説詳細な記録なし
お菓子の本格製造1948年(昭和23年)明確な記録あり

飲み物ラムネとお菓子のラムネ、どちらが先に存在したのでしょうか。

この疑問に対する答えは明確です。

時系列で見ると、飲み物ラムネが先に存在し、その後お菓子のラムネが生まれたという流れがあります。

明治時代(1868年~1912年)に誕生

飲み物ラムネが1865年に日本に伝わったことは、先ほど説明した通りです。

それでは、お菓子のラムネはいつ誕生したのでしょうか。

明治時代、つまり1868年から1912年の間に、ラムネという名前がお菓子にも使われるようになったことは確かとされています。

明治14年(1881年)に初めてラムネ菓子が作られたという説もあります。

これは飲み物ラムネが伝来してから約16年後のことになります。

しかし、この説については詳細な記録が残されておらず、確定的な事実とは言えません。

当時の菓子製造は、大企業ではなく小規模な工房で行われることが多く、製造記録が体系的に残されていないことがよくあるのです。

明治時代の多くの駄菓子がそうであったように、ラムネ菓子も小規模な製造から始まったため、詳細な記録が残っていないと考えられます。

それでも、明治時代から子どもたちに親しまれていたことは確かとされています。

ラムネという名前が菓子に使われた理由

お菓子のラムネは、飲み物ラムネと同じような快感を固形の形で再現しようとしたものだから。

飲み物ラムネが持つ炭酸のしゅわしゅわとした感覚を、固形のお菓子でも楽しめるようにしたのが、ラムネ菓子なのです。

液体の炭酸飲料を持ち歩くのは不便ですが、固形のラムネ菓子なら手軽に持ち運べて、いつでもあの快感を楽しめます。

このアイデアが、ラムネ菓子が生まれた大きな理由の一つだったと考えられます

ラムネ菓子の発祥起源

飲み物より後に誕生

形態誕生時期記録の状況
飲み物1865年(慶応元年)明確な記録あり
お菓子1881年頃(明治14年)説詳細な記録なし
お菓子の本格製造1948年(昭和23年)明確な記録あり

飲み物ラムネとお菓子のラムネ、どちらが先に存在したのでしょうか。

この疑問に対する答えは明確です。

時系列で見ると、飲み物ラムネが先に存在し、その後お菓子のラムネが生まれたという流れがあります。

明治時代(1868年~1912年)に誕生

飲み物ラムネが1865年に日本に伝わったことは、先ほど説明した通りです。

それでは、お菓子のラムネはいつ誕生したのでしょうか。

明治時代、つまり1868年から1912年の間に、ラムネという名前がお菓子にも使われるようになったことは確かとされています。

明治14年(1881年)に初めてラムネ菓子が作られたという説もあります。

これは飲み物ラムネが伝来してから約16年後のことになります。

しかし、この説については詳細な記録が残されておらず、確定的な事実とは言えません。

当時の菓子製造は、大企業ではなく小規模な工房で行われることが多く、製造記録が体系的に残されていないことがよくあるのです。

明治時代の多くの駄菓子がそうであったように、ラムネ菓子も小規模な製造から始まったため、詳細な記録が残っていないと考えられます。

それでも、明治時代から子どもたちに親しまれていたことは確かとされています。

ラムネという名前が菓子に使われた理由

お菓子のラムネは、飲み物ラムネと同じような快感を固形の形で再現しようとしたものだから。

飲み物ラムネが持つ炭酸のしゅわしゅわとした感覚を、固形のお菓子でも楽しめるようにしたのが、ラムネ菓子なのです。

液体の炭酸飲料を持ち歩くのは不便ですが、固形のラムネ菓子なら手軽に持ち運べて、いつでもあの快感を楽しめます。

このアイデアが、ラムネ菓子が生まれた大きな理由の一つだったと考えられます

ラムネ菓子の歴史

明治時代

時代状況記録
明治時代(1881年頃)ラムネ菓子の起源詳細な記録なし
戦後(1948年以降)本格的な製造開始明確な記録あり

明治時代にもラムネ菓子は存在していたとされますが、記録が少なく詳細は不明です。現代に続く形での製造が本格化したのは戦後からと言えます。

しかし、戦後の1948年以降は、はっきりとした記録とともにラムネ菓子の製造が続いています。会社名や製造年月日、商品名などが記録として残っているのです。

つまり、ラムネ菓子の起源は明治時代にあると考えられますが、現代まで続く製造の流れは戦後から始まったと言えるのです。

第二次世界大戦後

ラムネ菓子の歴史を理解する上で、第二次世界大戦後の時期は重要な転換点となります。

1945年8月、日本は第二次世界大戦に敗れました。戦争は終わりましたが、日本は大きな困難に直面します。

都市の多くは空襲で破壊され、工場も生産設備も失われ、食料をはじめとする物資が極端に不足していたのです。

1945年8月日本が第二次世界大戦に敗戦
戦後すぐ都市の破壊、工場・生産設備の喪失
食料事情主食さえ不足、配給制度の実施
お菓子贅沢品中の贅沢品

東京、大阪、名古屋といった主要都市は、空襲によって焼け野原となっていました。

当時の日本では、米や小麦などの主食さえ十分に手に入りません。

配給制度が実施され、人々は限られた食料で生活しており、一日一日を生き抜くことが精一杯という状況だったのです。

このような状況で、甘いお菓子は贅沢品中の贅沢品でした。甘いものに飢えていた子どもたちにとって、ラムネ菓子のような甘いお菓子は、特別な存在だったのです。

1948年のラムネ菓子製造開始

1948年
メーカー土棚製菓
地域東京
特徴戦後初のラムネ菓子製造開始

昭和23年(1948年)、東京の土棚製菓という会社がラムネ菓子の製造を開始します。ラムネ菓子製造の本格的な始まりです。

戦争が終わって3年が経ち、日本は少しずつ復興の道を歩み始めており、食料事情はまだ厳しかったものの、最悪の時期は過ぎつつありました。

経済活動も徐々に再開され、人々の生活にも少しずつ余裕が生まれ始めていた時期です。

ラムネ菓子が製造できた理由
  • シンプルな材料: ブドウ糖、砂糖、クエン酸、炭酸水素ナトリウム
  • 簡単な設備: 複雑な製造設備が不要
  • 製造コスト: 比較的安価に製造可能
  • 需要: 子どもたちの甘いものへの渇望

ラムネ菓子の材料は、比較的シンプルです。複雑な設備も必要ありません。

そのため、戦後の物資不足の中でも、比較的製造しやすいお菓子だったのです。

他のお菓子に比べて、少ない材料と簡単な工程で作れることが、戦後すぐに製造を再開できた理由です。

昭和時代

  • くじ引きの仕組み: 数円でくじを引き、当たりとハズレで景品が変わる
  • ラムネ菓子の位置: 慰め景品として提供されることが多い
  • 人気の逆転: ハズレ景品のラムネが当たり景品より喜ばれることも
  • 駄菓子屋の役割: 子どもたちの社交場
  • 価格帯: 子どもの小遣いで買える範囲

子どもたちは、当たりかハズレかでもらえる景品が変わるくじを数円を払って引いていました。

当時の駄菓子屋で、くじ引きの景品としてよく登場していたものの一つがラムネ菓子です。

ラムネはくじに外れた場合の慰め景品だったにもかかわらず、当たりの景品よりも喜ばれたという話もあります。当たりの景品が玩具であっても、ラムネ菓子の方が嬉しかったという子どもが多かったのです。

戦後の物資不足の中で、甘くてしゅわしゅわとした食感のラムネ菓子は、子どもたちにとって特別な喜びをもたらすものでした。

友達と一緒に駄菓子屋に行き、くじを引いて、ラムネ菓子をもらって喜ぶ。そのような光景が、昭和の日本全国で見られたのです。

ラムネ菓子メーカーの展開

メーカー地域商品名特徴
1948年土棚製菓東京戦後初の製造
1949年島田製菓大阪シマダのラムネ菓子関西への展開
1950年大橋商店(現カクダイ製菓)名古屋固形ラムネ中部への展開、くじの景品

東京、大阪、名古屋という日本の三大都市圏でラムネ菓子の製造が始まったことで、全国的な広がりを見せるようになります。この三都市から、周辺地域へとラムネ菓子が流通していき、日本全国で手に入るお菓子となっていったのです。

1948年の土棚製菓|東京

昭和23年(1948年)、東京の土棚製菓はいち早くラムネ菓子の製造に乗り出しました。

戦後間もない時期に、甘味の少ない生活の中で「手軽に楽しめる清涼感」をテーマにした製品づくりを進めます。

当時の土棚製菓は、粉末状の糖を圧縮して成形する技術を独自に工夫し、安定した品質のラムネを大量に作る仕組みを確立しました。

卸売業者を通じて商店街や露店などへ供給できる体制が整い、戦後の東京で初めてラムネが「量産される菓子」として流通する基盤を築いたのです。

この取り組みが、その後の全国的なラムネ菓子の普及につながりました。

1949年の島田製菓|大阪

昭和24年(1949年)には大阪の島田製菓が「シマダのラムネ菓子」を発売しました。

各地のメーカーがラムネ菓子の製造に参入し始めた時期です。

東京で始まった製造が、すぐに大阪にも広がったことは、ラムネ菓子への需要の高さを示しています。

戦後の物資不足の中で、子どもたちは甘いものを求めていました。

そのため、比較的安価で作れるラムネ菓子は、メーカーにとっても、消費者にとっても魅力的な商品だったのです。

1950年のカクダイ製菓|名古屋

昭和25年(1950年)には名古屋の大橋商店、これは現在のカクダイ製菓ですが、「固形ラムネ」の名称で製造を始めました。

この会社は現在も続いており、長い歴史を持つラムネ菓子メーカーとして知られています。

この固形ラムネ駄菓子屋のくじの景品としても活用され、子どもたちの間で大きな支持を集めました。

駄菓子屋には、くじ引きコーナーがあり、当たりとハズレで異なる景品がもらえる仕組みがありました。

ラムネ菓子は、その景品の一つとしてよく使われたのです。

昭和時代のラムネ菓子

メーカー商品名特徴
1965年カバヤ食品ジューCビタミンC配合、健康志向
1973年コリスフエラムネ音が出る、遊べるラムネ
1973年森永製菓森永ラムネ瓶型容器、伝統的な味
1978年オリオンミニコーラコーラ味、コーラ瓶型容器

1965年の「ジューC」カバヤ食品

  • 特徴: ビタミンC配合
  • 味わい: フルーツ・柑橘系の酸味
  • 位置づけ: 栄養補助としても利用可能
  • 時代背景: 高度経済成長期の健康志向
  • 受容: 親世代にも受け入れられやすい

昭和40年(1965年)になると、カバヤ食品がビタミンCを配合した「ジューC」を発売しました。

これはラムネ菓子に栄養面での価値を加えようとする試みでした。

ジューCは、フルーツや酸味のあるジュースのような味わいを持ち、さっぱりとした風味が特徴です。レモンやオレンジといった柑橘系の味わいを持つフレーバーが多く、やかな酸味が感じられます。

ビタミンCが含まれているため、栄養補助としても利用されることがあり、ラムネの軽い口当たりと、ビタミンCの機能性を兼ね備えた商品として位置づけられました。

単なるお菓子としてだけでなく、栄養補助という側面も持つことで、親世代にも受け入れられやすい商品となりました。

「お菓子だけど体にも良い」という点が、親が子どもに買い与えやすい理由となったのです。

当時は高度経済成長期であり、人々の生活水準が向上し、健康への意識も高まっていた時代でした。経済的な余裕ができた分、健康にも目を向けるようになったのです。

1973年の「フエラムネ」コリス

  • 開発元: コリス
  • ベース商品: フエガム(1960年発売)
  • 形状: リング状
  • 特徴: 吹くと音が出る
  • 楽しみ方: 遊んでから食べる二段階の楽しみ

昭和48年(1973年)には、複数の商品が登場しました。コリスが「フエラムネ」を発売したのもこの年です。これは昭和35年(1960年)に発売された「フエガム」を元に開発されました。

フエガムは、笛の形をしたガムで、吹くと音が出るという楽しい仕掛けを持った商品でした。この成功を受けて、同じ発想をラムネ菓子に取り入れることで、新しい楽しみ方を提供しようとしたのがフエラムネです。

ガムで成功した「音が出る」というアイデアを、ラムネ菓子に応用したのです。

フエラムネの狙いはすでに人気のあったコンセプトをラムネ菓子に適用することです。

この商品はリング状になっており、吹くと音が出ます。包みを開けると中に小さな笛が入っており、リング状のキャンディに息を吹き込むと、笛のように音が鳴る構造です。

原理としては、リングの中心に空洞があり、そこに空気を通すことで音が発生します。これは楽器の笛と同じ原理で、空気の振動によって音が生まれるのです。

リングの形状や空洞の大きさによって、音の高さや大きさが決まります。吹く強さによっても音が変わるため、子どもたちは様々な音を出して遊びました。

フエラムネは、食べる前に笛として遊び、その後食べるという二段階の楽しみ方ができます。

友達と一緒に音を競い合ったり、メロディーを作ろうとしたりするなど、コミュニケーションのツールとしても機能しました。

1973年の「森永ラムネ」森永製菓

  • 容器: プラスチック製の瓶型
  • デザイン: 飲み物ラムネ瓶を忠実に再現
  • 再利用: 食べ終わった後は小物入れに
  • 歴史: 1973年から現在まで続くロングセラー

昭和48年(1973年)に、森永製菓は瓶型容器に入った「森永ラムネ」を発売しました。

このデザインは飲み物ラムネ瓶を模したもので、多くの人々に支持されました。飲み物ラムネ瓶という馴染みのある形を採用することで、消費者にとって親しみやすい商品となったのです。

この瓶型容器は、プラスチック製で、飲み物ラムネ瓶のビー玉入りの形を忠実に再現しています。瓶を逆さにすると、中のラムネ菓子がビー玉のように転がる様子も再現されており、視覚的にも楽しめる工夫がされています。

伝統的なラムネの味わいを楽しめる菓子で、シンプルでありながら、ラムネの本来の甘さと快感をしっかりと感じることができます。

また、瓶型容器は食べ終わった後も小物入れとして再利用できるという実用性も持っています。

森永ラムネの歴史は、この昭和48年(1973年)から始まり、現在まで続くロングセラー商品となっています。50年以上にわたって愛され続けているということは、その味わいと品質が多くの人々に認められている証拠と言えるでしょう。

1978年の「ミニコーラ」オリオン

  • 容器: コカ・コーラ瓶を模した形状
  • 中身: コーラ味のラムネ菓子
  • 味の再現: カラメル色素、コーラ香料を使用
  • ターゲット: 子どもたちと若者

昭和53年(1978年)には、オリオンが「ミニコーラ」を発売しました。コカ・コーラの瓶を模した容器にラムネを詰めた商品です。

ミニコーラの容器は、コカ・コーラの特徴的な曲線を持った瓶の形を小さく再現しています。赤いラベルも貼られており、一見すると本物のコーラ瓶のように見えます。しかし中身はラムネ菓子であり、この意外性が子どもたちの興味を引きました。

この商品は、コーラの味を楽しめるラムネ菓子で、ラムネをベースにした小さなコーラ味のキャンディとなっています。コーラ特有の快な風味を再現しており、サイズが小さく、手軽に食べられます。コーラの味わいが甘さと酸味をバランスよく感じさせ、ラムネならではの食感も楽しめる商品です。

コーラの味を出すために、カラメル色素やコーラ香料などが使用されており、本物のコーラ飲料に近い味わいを実現しています。なお、オリオンラムネに関しては、糖分が多く含まれているため、過剰に摂取すると健康に影響を与える可能性があるという指摘もあります。

しかし、これは多くの甘いお菓子に共通する点であり、適量を守って楽しむことが大切です。ラムネ菓子に限らず、すべてのお菓子は適量を守って楽しむべきものです。

一般的に、お菓子は一日の摂取カロリーの10%程度に抑えることが推奨されており、子どもの場合は特に注意が必要です。

シガレットラムネ

昭和の時代には、他にもさまざまなラムネ菓子が登場しました。

シガレットラムネと呼ばれる、たばこの形を模したラムネ菓子も存在し、昭和の時代から親しまれてきました。

これは細長い形状をしており、たばこの箱に似たパッケージに入っています。

子どもたちが大人の真似をして遊ぶことができる商品で、口にくわえて大人のふりをするという遊び方が、当時の子どもたちの間で流行しました。

現代では喫煙に対する認識が変わり、こうした商品は減少傾向にありますが、昭和の時代には一般的な駄菓子の一つでした。当時は、大人の世界への憧れを表現する一つの方法として、こうした商品が受け入れられていたのです。

このように、ラムネ菓子は単なる食べ物としてだけでなく、遊びの要素も持った商品として発展していったのです。

フエラムネが音を出し、シガレットラムネが形遊びを提供するように、ラムネ菓子は食べる楽しみ以外の要素も取り入れてきました。これは、子どもたちにとって、お菓子が単なる食品以上の意味を持っていたことを示しています。

お菓子を通じてコミュニケーションが生まれ、想像力が育まれ、遊びが広がっていく。昭和時代ラムネ菓子は、そのような豊かな子ども文化の一部だったのです。

現代のラムネ菓子

フレーバーいちご、ぶどう、メロン、ソーダなど多様化
白だけでなくカラフルなバリエーション
パッケージキャラクターコラボ、季節限定デザイン
方向性伝統的な味わいと新しい挑戦の両立

現代でもラムネ菓子は進化を続けて、フレーバーや形状、パッケージデザインなど、さまざまな工夫が凝らされています。

伝統的な味わいを守りながらも、新しい味や形状に挑戦する商品も登場しています。たとえば、フルーツフレーバーのラムネ菓子は種類が豊富になり、いちご、ぶどう、メロン、ソーダなど、様々な味を楽しめるようになりました。

また、色も白だけでなく、カラフルなバリエーションが増えています。パッケージも、キャラクターとのコラボレーションや、季節限定のデザインなど、多様化が進んでいます。

現代の健康志向商品

商品タイ特徴ターゲット
カロリーオフ糖質・カロリー控えめダイエット志向の消費者
糖質控えめ糖質を減らした配合健康志向の消費者
ブドウ糖高配合集中力サポート受験生、ビジネスパーソン
機能性追加栄養素を付加健康意識の高い消費者

近年では、健康志向の高まりを受けて、カロリーオフや糖質控えめのラムネ菓子も登場しています。また、機能性を持たせたラムネ菓子、たとえば集中力をサポートするとされるブドウ糖を多く含んだ商品なども展開されています。

特に受験生や仕事で集中力が必要な人々をターゲットにした商品が増えており、ラムネ菓子の新しい用途が開拓されています。

昭和40年に登場したジューCのように、栄養面での価値を加えるという発想の現代版と言えるでしょう。

デジタル時代のラムネ菓子

  • 情報共有: SNSでの写真投稿、レビュー
  • 懐かしさの共有: 昔食べたお菓子として話題に
  • 新商品の発見: 新しいフレーバーの情報拡散
  • 世代を超えた魅力: 若い世代への再発見

現代では、SNSでの情報共有が盛んになり、ラムネ菓子も懐かしいお菓子として写真を投稿したり、新しいフレーバーを試してレビューを書いたりする人々が増えています。

これにより、世代を超えてラムネ菓子の魅力が再発見されているのです。

ラムネの歴史のまとめ

年代出来事詳細
1865年飲み物ラムネ伝来長崎の藤瀬半兵衛が製造開始
1881年頃お菓子のラムネ誕生説詳細な記録なし、明治時代に存在
1948年戦後の製造開始東京・土棚製菓が製造再開
1949年大阪へ拡大島田製菓「シマダのラムネ菓子」
1950年名古屋へ拡大大橋商店(現カクダイ製菓)「固形ラムネ
1965年ジューC発売カバヤ食品、ビタミンC配合
1973年フエラムネ発売コリス、音が出るラムネ
1973年森永ラムネ発売森永製菓、瓶型容器
1978年ミニコーラ発売オリオン、コーラ味
ラムネ菓子の世代間の継承
  • 祖父母の世代: 戦後の貴重なお菓子として
  • 親の世代: 駄菓子屋での思い出として
  • 現在の子どもたち: 新しいフレーバーとともに

明治時代から始まったとされるラムネ菓子は、戦後の子どもたちに親しまれ、昭和後期には多様な商品が登場しました。現代でもその支持は続いており、次世代に受け継がれています。

親が子どもの頃に食べたラムネ菓子を、今度は自分の子どもと一緒に楽しむという世代間の継承も見られます。また、かつて子どもだった大人たちが、懐かしさを感じて再び手に取ることもあります。

駄菓子屋で友達と一緒に買ったラムネ菓子、夏祭りで食べたラムネ菓子、遠足のおやつに持っていったラムネ菓子。それぞれの世代に、それぞれのラムネ菓子の思い出があります。

ラムネ菓子は時代を超えて愛され続けているのです。

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