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日本のお菓子のルーツ|古墳時代「須恵器」、神話「保食神」

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私たちが日々何気なく口にするお菓子。甘くて美味しいだけでなく、実はその裏には約1400年以上もの長い歴史と、日本ならではの深い文化が隠されているのを知っていますか?現代の和菓子洋菓子にまで受け継がれる、奥深いお菓子の物語を紐解いていきましょう。

目次

古墳時代に見つかった「謎のお菓子」

日本のお菓子の歴史を辿ると、驚くべきことに今から約1400年以上も前の古墳時代(6世紀頃)まで遡ります。

この時代は、大陸との交流が活発になり、日本に様々な文化や技術が伝わった、まさに転換期でした。

焼き物「須恵器」が日本にやってきた

この頃、朝鮮半島から「須恵器(すえき)」という画期的な焼き物の技術が伝わりました。

日本の土器との決定的な違い

それまでの日本の土器(土師器)は低温で焼く赤っぽい軟らかいものだったのですが、須恵器は1000度以上の高温で焼くため、青みがかった灰色で非常に硬いのが特徴でした。これは当時の日本ではまさに最先端の技術で、その堅牢なつくりは貯蔵具や調理具として、人々の暮らしに広く普及していったんです。

須恵器の中から出てきた「お菓子みたいなもの」

そんな須恵器の窯跡から、考古学者たちを驚かせるあるものが発見されました。それは、どう見ても食べ物、特にお菓子のような形をした「模型品」だったんです。

古代のお菓子はどんな味?

この模型品は現代の丸いお菓子や細長いお菓子を思わせる、様々な形をしていました。

でも、ここで大きな謎が生まれます。

それは、これらの模型がどんなお菓子を模したものだったのか?

そして、どんな材料で、どうやって作られていたのか? ということです。

限られた文献が示す「食文化の断片」

残念ながら、当時の文献はほとんど残っておらず、具体的なことはほとんど分かっていません。

奈良時代になってようやく『古事記』や『日本書紀』といった歴史書が編纂されますが、食文化に関する詳しい記述はごく一部。

そのため、これらの須恵器の模型がどんなお菓子だったのかは、今も考古学者たちの大きな宿題となっているんです。

材料の推測と残る疑問

材料も、米や小麦、木の実などが使われたのでは? と推測はされていますが、確かな証拠は見つかっていません。

古代の「お菓子」は、一体どんな味で、どんな香りがしたんでしょうね? 想像が膨らみます。

2. 神話が語る「食」への考え方

古代のお菓子文化を深く理解するには、単に物の証拠だけでなく、当時の人々の「考え方」を知る必要があります。

その大きなヒントとなるのが、日本の神話の世界です。

神話は「古代の教科書」

神話は、単なるおとぎ話ではありません。

それは古代の人々が世界をどう見ていたか、何を大切にしていたか、そしてどんな暮らしをしていたかを示す、大切な「文化的遺産」なんです。

特に食べ物に関する神話は、当時の人々が食をどう捉え、どんな意味を込めていたかを知るための、まさに宝庫と言えます。

現代でも、神話や伝説は古代社会を理解するための重要な資料として研究されています。

食べ物の神様「保食神(うけもちのかみ)」の物語

日本の神話の中で、食べ物の起源を語る最も重要な物語の一つが「保食神(うけもちのかみ)」の神話です。

この神話は、『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)といった日本最古の歴史書に記されており、日本人の食文化に対する根源的な考え方を示しています。

保食神とは

保食神は、その名前の通り「食べ物を保ち、育む神」として描かれています。

「うけもち」は「うけ(食物)」と「もち(持つ)」が組み合わさった言葉で、まさに食べ物を司る神様。

この神様はなんと自分の体内から人々が生きていくために必要な様々な食材を生み出すことができたんです!

神話によると、口からは米、鼻からは魚、そしてお尻からは家畜が生まれたとされています。

「食」は神からの恵み!

今の私たちには少し不思議な話に聞こえるかもしれませんね。でも、古代の人々にとって、食べ物はただの栄養源ではなく、神聖な存在から授かる恵みであり、命そのものだったんです。

保食神の神話は、食べ物への深い感謝と畏敬の念を表していると考えられます。

世界各地の農耕社会にも似たような「食物起源神話」があり、食に対する人類共通の尊ぶ気持ちを反映していると言えますね。

日本独自の「清らかさ」と「けがれ」の思想が生まれた背景

しかし、この神話には悲しい展開が待っています。

太陽の神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の弟である月夜見尊(つくよみのみこと)が、保食神を訪ねた時のこと。

月夜見尊は、保食神が体内から食べ物を出している様子を見て、それを「穢れ(けがれ)」だと判断しました。

そして、怒った月夜見尊は、ついに保食神を斬り殺してしまいます。

食べ物を作る神聖な力を失うことは、人類にとって計り知れない損失だったはずです。

神道にも通じる「清浄観念」の重要性

古代の日本では、「穢れ」という考え方が非常に重要でした。

清らかなものと不浄なものをはっきりと区別し、穢れを避けることは宗教的にも社会的にも大切なこととされていたのです。

この「清浄観念」は、後の神道にも深く受け継がれています。

月夜見尊が保食神の行為を穢れと見なしたのは、当時の人々のこの考え方が背景にあったからなんですね。

死から新たな「命」が生まれる!

でも、神話はこれで終わりません。

保食神が死んでしまった後も、その恵みは消えることがなかったんです。

神話によれば、保食神の体からは、またしても様々な食材が生まれ、人々の生活を支える基盤となりました。

頭からは牛と馬、額からは粟、眉からは蚕、目からは稗、お腹からは稲、そして陰部からは麦と大豆が生まれたとされています。

食べ物に対する複雑な感情

この神話が教えてくれるのは、食べ物に対する古代日本人の複雑な感情です。

一方で食べ物を神聖なものとして敬い、他方で食べ物を得るための行為を「穢れ」と見なす、一見矛盾した感情。

しかし、この矛盾こそが、日本の食文化の根底に流れる独特な精神性を形作っているんです。

現代の日本料理における「見た目の美しさ」や「清潔さ」への強いこだわりも、この古代の清浄観念と深く関係していると考えられます。

3. 現代のお菓子文化のルーツ

古墳時代の謎めいた須恵器の発見と保食神の神話。これらを合わせて考えると日本のお菓子文化がどのように形作られてきたのかが見えてきます。

「和魂洋才」

古墳時代には、大陸からたくさんの文化が日本に入ってきました。須恵器の技術もその一つです。同時に、仏教や儒教といった新しい考え方、そして様々な工芸技術や食文化も伝わりました。

日本独自の文化の進化

でも、これらの外国の文化がそのまま日本に根付いたわけではありません。日本古来の考え方や、保食神の神話に代表される食に対する独特の感性と溶け合いながら、日本独自の発展を遂げていったのです。

これは、外国の文化を取り入れながらも、それを日本ならではの感性で再構築する「和魂洋才(わこんようさい)」という日本の特徴的な精神が、この時代から始まっていたと言えるでしょう。

「神様へのお供え物」

お菓子の文化も同じです。大陸から伝わったお菓子作りの技術や材料は、日本人の美意識や宗教的な感性と結びつきながら、日本独特のお菓子文化を形成していきました。

古代のお菓子は、私たちが思うような単なるおやつではありませんでした。神様へのお供え物として、また人々が絆を深めるための特別なものとして、神聖な意味を持っていたんです。

この考え方は、現代の日本にも様々な形で受け継がれています。例えば、お正月の鏡餅、ひな祭りの菱餅、端午の節句の柏餅など、季節の行事と結びついたお菓子は、単なる食べ物以上の文化的・宗教的な意味を持っていますよね。

須恵器の模型品が示す「神聖な役割」

須恵器の中に見つかったお菓子の模型品も、このような文化の融合によって生まれた可能性が高いのです。これらの模型は、単なる食べ物の形をしたものではなく、神聖な儀式や祭りにおいて重要な役割を果たしていたと考えられます。

和菓子に息づく「古代の心」

保食神の神話も、この背景を考えるとより深く理解できます。食べ物を神様から授かる恵みと捉える考え方は、お菓子作りにも反映されていました。

お菓子作りは「神聖な行い」

お菓子を作ることは、単なる料理ではなく、神聖な行いとしての側面を持っていたのです。お菓子職人が技術を磨き、美しい形を追求することは、神様への奉仕という宗教的な意味を含んでいました。

このような古代の食文化や精神性は、現代の日本のお菓子文化にも脈々と受け継がれています。

和菓子の繊細な美しさ、季節感を大切にする心、そして食べ物に対する深い敬意は、すべて古代から続く文化的伝統の表れなんです。

和菓子職人が一つ一つの菓子に込める技術と心は、保食神の神話が表現する「食べ物は神聖な恵み」という価値観が、現代に受け継がれている証と言えるでしょう。

茶道と和菓子が織りなす「日本の美」

茶道で出される和菓子も、単なる甘味ではありません。

季節や自然、そして人々の心を繋ぐ大切な役割を担っています。

茶室で供される和菓子は、その形、色、名前に至るまで、季節の移ろいや自然の美しさを表現しています。

この考え方も、保食神の神話が表現する「食べ物は神聖な恵み」という古代の価値観と深く繋がっているんですね。

お菓子は「日本の文化の結晶」

こうして考えてみると、お菓子という存在は私たちが日常的に思っているよりもはるかに深い意味を持っていることがわかります。それは単なる甘い食べ物ではなく、日本の文化、歴史、宗教的な感性、そして人々の暮らしへの価値観を映し出す鏡のような存在なんです。

古代の知恵が「今」に繋がる

古墳時代の須恵器に残された謎めいた模型品から、保食神の神話が語る食べ物の神聖さま、これらお菓子の歴史は日本文化の深層を理解するための重要な手がかりを提供してくれます。

現代の私たちが和菓子を味わうとき、あるいは新しいお菓子を創り出すとき、そこには数千年にわたって受け継がれてきた文化的遺産が息づいているのです。

お菓子は味覚を満足させるだけでなく、私たちの文化的アイデンティティを確認し、先人たちの知恵と感性を現代に伝える大切な役割を果たしています。

それは、物質的な満足を超えた精神的な豊かさを与えてくれる、極めて奥深い文化的な存在なんです。

現代においても、お菓子を通じて季節を感じ、人とのつながりを深め、美しさを追求する心は、古代から受け継がれてきた日本文化の本質的な部分と言えるでしょう。

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