六本木ヒルズとは|誕生背景とヒルズ族の出現

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六本木ヒルズとは

2003年4月、東京・六本木に開業した「六本木ヒルズ」は、森ビルが手がけた大規模な都市再開発プロジェクトです。その中心には高さ238メートル、地上54階の超高層タワー(旧称:森タワー)がそびえ、その周囲に美術館や映画館、ホテル、レストラン、住宅、オフィスなどが集約されています。これは、単なる商業施設でも、単なる高層ビルでもありません。都市生活のあらゆる機能を一つの敷地内にまとめた、「新しい都市のかたち」の象徴です。

森ビルはこの構想を「文化都心」と位置づけ、世界をリードする都市に不可欠な「文化」を東京に根付かせることを目指しました。六本木ヒルズ森タワーの建築デザインは、ニューヨークの大手建築事務所Kohn Pedersen Fox Associates PC(KPF)が担当し、折り紙や鎧兜といった日本の伝統的な要素を取り入れ、見る角度や時間によって表情を変える彫刻的なフォルムが特徴です。多様な都市機能を集約したコンパクトシティの先駆けとして、現在ではオフィスや住宅、商業施設、文化施設が一体となった生活がすっかり定着しています。

六本木ヒルズにオフィスを構える=ステータス

六本木ヒルズの上層部には、都内でも屈指の賃料を誇るオフィスフロアが用意されました。この場所にオフィスを構えることは、それ自体が企業や起業家にとって社会的ステータスの証とされました。六本木ヒルズ森タワーのオフィスフロアは、1フロアあたり約270坪を超える広大な空間を持ち、大きな窓から採光が豊富に入り、システム天井「フォレストシーリングシステム」を完備するなど、快適な執務環境を提供しています。また、最寄りの六本木駅とはコンコースで直結しており、雨の日でも濡れずにアクセスできる利便性の高さも魅力です。

このような優れた環境と立地は、企業が求める機能性とブランドイメージの両面で高い価値を提供し、インターネットの急速な普及とともに台頭したITベンチャー企業が次々と入居し、話題を集めます。これにより、六本木ヒルズはビジネスの中心地としての地位を確立しました。

ヒルズ族とは

特に六本木ヒルズに若くして入居した経営者たちは、斬新なビジネスモデルや自由なライフスタイルで注目され、マスコミから「ヒルズ族」と呼ばれるようになりました。ヒルズ族とは、六本木ヒルズ森タワーに本社を置く企業群の代表者や、六本木ヒルズ内の高級マンション「六本木ヒルズレジデンス」に住む住人を指す言葉でした。六本木ヒルズレジデンスは、A棟、B棟、C棟(ツインタワー)、D棟、ゲートタワーからなり、総戸数は793戸で、開業当初は旧地権者が約4割の住戸を所有していました。

高層マンションに住み、高級車を乗り回し、六本木の夜を華やかに彩る人物たちとして報道されたヒルズ族には、堀江貴文氏(元ライブドア)、村上世彰氏(元村上ファンド)、三木谷浩史氏(楽天)、宇野康秀氏(USEN)、折口雅博氏(元グッドウィル・グループ)などの著名な企業家が含まれていました。彼らは、これまでの「堅実・終身雇用型」の成功モデルとは異なる存在として、憧れと批判の両面を受けることになります。結果として、多くの若者が起業を志すようになり、六本木ヒルズは“夢を見る場所”としての顔も持つようになったのです。

六本木ヒルズの特徴

ファッションとライフスタイルの最前線

低層部には、世界的な高級ブランドのブティックや、先鋭的なセレクトショップが数多く出店。ここに店を構えることがブランドイメージの向上につながり、六本木ヒルズはファッションとライフスタイルの最前線として認識されていきました。例えば、定期的に開催されるポップアップストアや期間限定イベント(Loro Pianaなどの高級ブランドによるもの)は、常に最新のトレンドを発信しています。

また、季節ごとのイベントやアートフェスティバル、グルメイベント(ヒルズ グルメバーガーグランプリなど)、テラス席でのビアガーデンやバーベキュープランなども頻繁に開催され、単なる買い物の場を超えて、常に“何かが起きている場所”となっています。ファッション、食、アート、エンターテイメントが融合した多様なライフスタイル体験が提供されています。

国内外からの観光スポットへ

これらの要素が相乗効果を生み、六本木ヒルズは都内近郊の住民だけでなく、地方都市や海外からの観光客が訪れるスポットとなります。森タワーの展望台からの東京のパノラマビュー(特に夜景)、多様なブランドが揃うショップでのショッピング、高品質な飲食店でのグルメ体験、そして毛利庭園のような美しい広場やパブリックアートの存在が、国内外の訪問者を魅了しています。外国人旅行者にとっても、東京の洗練された一面を象徴する場所となり、その地位は現在も変わっていません。

六本木ヒルズ内の施設例

森美術館

六本木ヒルズには「森美術館」が併設されており、現代アートを中心とした世界的な企画展が定期的に開催されています。高層階に位置し、都市の景色と芸術体験が一体となる設計は、訪れる者に強い印象を与えます。過去には「塩田千春展:魂がふるえる」や「宇宙と芸術展」、直近では「ルイーズ・ブルジョワ展」などが開催されており、常に革新的な展示を行っています。

東京シティビュー

併設された展望台「東京シティビュー」からは、東京の全景を見渡すことができます。海抜270メートルに位置する屋上「スカイデッキ」は、関東随一のオープンエア展望回廊として、東京タワーや東京スカイツリー、レインボーブリッジ、お台場まで見渡せる360度の絶景を提供します。昼夜で違う表情を見せる東京の街並みを、空中から体感できる場所として人気を集めています。夜には照明が落とされ、ガラス張りの空間から眺める光の海がロマンチックな雰囲気を醸し出します。

六本木ヒルズの誕生背景

バブル経済と崩壊

1980年代末、日本はバブル経済に沸き、不動産と株式の価格が異常に高騰しました。しかし1991年の崩壊を機に、日本経済は長期の低迷期に突入します。企業の倒産や失業の増加、円高による輸出不振が重なり、内需は冷え込みました。そのような経済の再起をかけて注目されたのが、都市再開発でした。この時期には、「リバーシティ21」や「恵比寿ガーデンプレイス」など、超高層マンションを主体とした都市開発が試みられ始めていました。2001年には「晴海トリトンスクエア」が開業し、新しい都市の形への模索が始まります。

六本木ヒルズの開発

六本木ヒルズの開発には、約400人の地権者との合意形成という難関がありました。森ビルは、1986年11月の「再開発誘導地区」指定を受けてテレビ朝日と共同で再開発の呼びかけを開始し、約500件もの権利者が参加する再開発準備組合を設立しました。1995年には都市計画が決定され、1998年に再開発組合が設立されます。

森ビルは17年もの歳月をかけて交渉を重ね、その過程では既存の「アークヒルズ」を見学してもらうことで、再開発後の生活を具体的にイメージさせる工夫も行われました。また、テレビ朝日敷地内にあった「ニッカ池」の保存を求める陳情活動など、地元の声にも向き合いながら、民間主導で都市をつくるという挑戦を実現させたのです。この点が、従来の再開発との大きな違いでした。

六本木ヒルズが与えた影響

都市再開発の連鎖を生む

六本木ヒルズの成功は、都市開発に新たな指標を与えました。その後も、単に商業施設やオフィスビルを建てるだけでなく、職・住・遊・学が融合した複合都市開発が次々と誕生しました。

  • 2004年:コレド日本橋
  • 2006年:表参道ヒルズ
  • 2007年:東京ミッドタウン、新丸ビル
  • 2008年:赤坂サカス、汐留シオサイト
  • 2012年:渋谷ヒカリエ、ダイバーシティ東京、東京スカイツリー

その流れは止まらず、2010年代後半には「渋谷駅周辺再開発」、2020年代には六本木ヒルズの「ヒルズの未来形」と称される「麻布台ヒルズ」(虎ノ門・麻布台プロジェクト)や「新宿西口再整備」「六本木五丁目プロジェクト」などが続き、日本の都市はダイナミックに変貌し続けています。これらのプロジェクトは、六本木ヒルズが提示した「垂直庭園都市」の思想や、多様な都市機能の複合化といったコンセプトを継承・発展させています。

地方都市や観光都市への影響も

東京だけでなく、横浜の「ランドマークタワー」「赤レンガ倉庫」「みなとみらい」など、全国でも同様のコンセプトに基づいた開発が進行。名古屋、大阪、福岡といった地方都市にも六本木ヒルズ的な再開発の影響が波及しました。これらの開発は、都市の魅力を高め、経済活性化に貢献しています。六本木ヒルズ自体も、環状3号線と六本木通りの連結側道の整備や、駅直結の連絡通路の設置など、周辺の広域交通網の向上にも貢献しています。

まとめ

六本木ヒルズは、単なる再開発プロジェクトにとどまらず、「都市の未来とは何か」を体現した存在でした。働く、暮らす、遊ぶ、学ぶ。そのすべてが交差する場所に、人は集い、新しい文化が生まれました。バブル崩壊後の長期低迷期を経て、日本の都市が進むべき方向を示したランドマーク。それが、今も進化を続ける六本木ヒルズです。六本木ヒルズの成功は、その後の日本の都市開発に大きな影響を与え、複合的な都市機能と文化的な魅力を融合させた、新たな都市のあり方を提示し続けています。

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