1920年代 昭和時代の幕開け
昭和時代の始まりは1926年(昭和元年)に大正天皇の崩御をもって始まりました。しかし、新しい時代が始まると同時に、世界規模での経済混乱が訪れます。
1929年にアメリカで発生した世界恐慌は日本にも影響を及ぼし、国内の経済状況は悪化。金融恐慌も重なり、企業の倒産や失業者の増加が深刻な社会問題となりました。
このような経済不安の中、お菓子産業もまたその影響を大きく受けることとなります。
1930年代 戦時体制への移行
軍需産業優先の経済統制
1931年の南満洲鉄道爆破事件を契機に、日本は満洲事変、日中戦争、そして太平洋戦争へと突入していきます。
この間、軍需産業が最優先される国策のもと、諸物資に対する経済統制が強化され、砂糖、小麦粉、バターなど、洋菓子の製造に欠かせない主原料はすべて統制品となり、入手が困難になりました。
特に砂糖は代用燃料としての利用が推進されたため、一般消費者や菓子業者にとってさらに希少な存在となりました。
また、外国からの輸入も停止され、洋菓子の材料調達は国内に限られることになり、製造業者は苦境に立たされました。
戦時中、日本国内では欧米文化の排斥が進み、洋菓子という欧米文化の象徴は厳しい逆風にさらされました。
外国語の使用が禁じられる中、多くの洋菓子店が廃業を余儀なくされました。
この状況により、洋菓子は一般消費者の生活からほぼ消え去ることになりました。
戦時中に奨励された菓子
ビスケットと乾パン
戦時中の菓子として特に奨励されたのがビスケットや乾パンです。
これらは非常食としての保存性が高く、栄養価があることから、軍隊や国民の食料として需要がありました。
大量生産が可能であるため、戦時下でも供給が維持されました。
キャラメル
キャラメルもまた、戦時中に奨励された菓子の一つです。
キャラメルは高カロリーで疲労回復に効果があるとされ、兵士や国民の栄養補給食品として重宝されました。
これにより、キャラメルの製造は続けられたものの、他の洋菓子の製造は大幅に縮小されました。
消えていったお菓子と洋菓子職人たち
砂糖や小麦粉の不足により、甘いお菓子は次第に日常から姿を消しました。和菓子も同様に影響を受けましたが、特に洋菓子はその文化的背景から厳しい規制を受け、人々の生活から遠ざかる結果となりました。
それでも、一部の菓子職人たちは限られた材料でお菓子を作り続ける努力を重ねました。新しい技術や代用材料の工夫を凝らし、製造を続けた彼らの努力は、戦後の洋菓子産業の復興に大きく貢献することになります。
戦争がもたらした影響とその後のお菓子
戦争によって一度は衰退したお菓子産業ですが、戦後の復興期には再び活気を取り戻します。戦時中に失われた甘さを取り戻すべく、新たな技術や材料が導入され、日本の洋菓子文化は再び成長を遂げました。
昭和前期におけるお菓子産業の苦難の歴史は、甘さの価値を再認識させるものでした。戦後、日本の洋菓子は国民の生活を豊かにし、特別な喜びをもたらす存在として定着しました。
まとめ
昭和前期はお菓子産業にとって試練の連続でした。しかし、その中でも職人たちの情熱と努力が戦後の洋菓子文化の復興を支えました。この時代の苦境を乗り越えたからこそ、現在の日本には多彩で高品質なお菓子が存在しています。