スイートポテトは特に冬の季節に多くの人々に愛されるお菓子です。
その甘く濃厚な味わいとほっくりとした食感が魅力で寒い季節にはぴったりのスイーツと言えます。
その誕生は明治時代にまでさかのぼり、日本独自の工夫と創意工夫を経て現在の形に至りました。
ここでは、スイートポテトの誕生から発展までの歴史を詳しく見ていきます。
スイートポテトの発祥起源
スイートポテトの原型が誕生したのは明治20年(1887年)頃とされています。
このお菓子は東京銀座にあった米津風月堂の分店で作られ、当時はまだ「スイートポテト」という名前ではなく「芋料理」と呼ばれていました。
この名称からもわかる通り、当初は料理の一種として扱われていたのです。
作ったのは門林弥太郎
この「芋料理」をお菓子として完成させたのは門林弥太郎という菓子職人でした。
門林氏はさつまいもを裏ごししてバターや卵、少量の洋酒を加えることで従来の和菓子とは異なる新しい味わいを生み出しました。
この技法には和菓子の餡練り技術が活用されています。和素材と洋風の調理法を融合させる彼の試みは、当時の和魂洋才の精神を象徴するものでした。
初期のスイートポテト
当初のスイートポテトは焼いたさつまいもの皮を容器として使用して、その中に練り上げた芋ペーストを詰めたものでした。
この形状は現在のタルトレット型とは異なり、どちらかと言えば料理に近いものでした。これが「芋料理」と呼ばれていた所以でもあります。
スイートポテトという名前が使われ始めたのは大正時代初期とされています。当時の資料によれば、この名称は洋風文化が浸透する中で自然に定着していったものと考えられています。
2012年9月27日と30日に放送されたNHKの「月刊やさい通信」では、門林弥太郎が考案したスイートポテトが再現されました。
この番組の制作チームは国会図書館での資料調査を重ね、大正時代の新聞記事から当時のレシピや形状に関する情報を発見しました。
再現されたスイートポテトはさつまいもの皮を容器として使用し、中に練り上げた芋ペーストを詰め、卵黄を塗って焼き上げたものでした。
スイートポテトが生まれ、普及した理由
明治時代は西洋文化が急速に日本に流入した時期でした。
菓子職人たちも和素材を用いりながら、洋菓子の技法を取り入れる試みを重ねます。
その中で注目されたのがさつまいもです。
「九里(栗)より美味しい十三里」と称されるほど甘くて美味しいさつまいもは、スイートポテトの主要な材料として理想的でした。
報知新聞の記事
大正3年(1914年)11月2日付の『報知新聞』に掲載された記事がスイートポテトの普及を裏付ける重要な資料です。
この記事では「ベイクド・スイートポテト」という名称で紹介されており、帝国劇場の楽屋で女優の松井須磨子に差し入れられたと記録されています。
松井須磨子がこの菓子を特に好んだ背景には、彼女の姉が麻布風月堂に嫁いでいたことが関係しているとされています。
まとめ
スイートポテトは和素材と洋技術の融合を象徴するお菓子として日本の菓子文化に大きな影響を与えました。
明治時代の職人たちが挑戦と工夫を重ねた結果として生まれたスイートポテトは、現在も冬の定番スイーツとして広く愛されています。