タピオカミルクティーは、今や日本でも広く愛される台湾発祥のドリンクです。しかし、この飲み物が日本に普及するまでには、実に30年近くの歴史があります。タピオカがどのようにして日本人の心を掴んでいったのか、その歴史を段階ごとに詳しく見ていきましょう。
そもそもタピオカとは何か
タピオカは、キャッサバという熱帯植物の根っこから作られるデンプンを指します。これを丸い粒の形に加工したものがタピオカパールと呼ばれています。タピオカパールは、もちもちとした独特の食感が特徴です。
第一次ブーム:白いタピオカのココナッツミルク
日本における最初のタピオカブームは、1992年に起きました。この頃の主役は**「タピオカココナッツミルク」**でした。当時はまだタピオカという食材自体が珍しく、透明感のある白いタピオカパールのもちもちとした食感に、多くの人が驚きと興味を抱いたのです。この独特な食感とアジアの雰囲気が、新鮮な飲み物として受け入れられました。
第二次ブーム:パールミルクティーの登場
第一次ブームからおよそ7年後の1999年から2000年にかけて、タピオカは再び注目を集めます。このブームの主役は「パールミルクティー」でした。ココナッツミルクではなく、より身近なミルクティーとタピオカパールを組み合わせたこの飲み物は、親しみやすい味わいで多くの人に受け入れられました。使用されていたのは第一次ブームと同じ白いタピオカでしたが、紅茶の風味とミルクのまろやかさにタピオカの食感が加わり、新しい飲み物体験として定着していきました。
黒いタピオカの登場と第三次ブーム
2000年代に入ると、タピオカドリンクに大きな変化が訪れます。台湾に本社を置く「クイックリー(Quickly)」という企業が日本に進出してきたのです。
クイックリー社とは
クイックリー社は、当時すでに世界20カ国に2000店舗以上の加盟店を持つ、タピオカドリンクの世界的な専門店でした。そのクイックリーが日本に持ち込んだ「タピオカティー」は、これまでの白いタピオカパールとは一線を画すものでした。
なぜ黒いタピオカだったのか
クイックリーが使用したタピオカは、これまでの白いものとは違い、真っ黒な色をしていました。この黒いタピオカは、製造過程でカラメルやブラウンシュガーを加えることで作られており、見た目の印象を大きく変えるだけでなく、ほのかな甘みも加わっていました。白いミルクティーの中に沈む黒い粒のコントラストは、視覚的にも非常にインパクトがあり、その面白さも手伝って人気が出たのです。
大手食品メーカーの参入
この黒いタピオカの話題を受けて、日本の食品業界も動き始めました。丸大食品がコンビニエンスストアで**「タピオカミルクティー」**の販売を手掛け、他の企業も次々と商品展開を始めました。これにより、専門店だけでなく身近なコンビニでもタピオカドリンクが手軽に買えるようになり、タピオカの認知度は一気に広がっていきました。
しかし、この時期のブームは第二次ブームほどの社会現象にはなりませんでした。派手な話題性は少なかったものの、タピオカドリンクは確実に日本の飲み物文化に根を下ろしていったのです。
途切れない流れが次のブームへ
2000年代のブームが落ち着いた後も、タピオカドリンクの人気は途切れることなく続きました。コンビニでの販売継続や、専門店が地道に営業を続けたこと、そして台湾カルチャー全体への関心の高まりが、タピオカミルクティーを日本の飲み物シーンに定着させました。
この地道で持続的な浸透があったからこそ、さらに時を経た10年後の2018年には、これまでをはるかに上回る規模の第四次「タピオカミルクティー」ブームへと繋がっていくことになります。タピオカミルクティーの日本での歴史は、単発的な流行の繰り返しではなく、それぞれの時代に合わせて進化し、段階的に発展してきた文化的な現象と言えるでしょう。