シュークリームとカスタードクリーム禁止令の背景
1931年 太平洋戦争突入
昭和6年12月8日、日本は太平洋戦争に突入しました。戦争が始まった当初、日本国内では各地での勝利に沸く雰囲気がありましたが、連合国側の反撃が本格化すると、戦局は急速に悪化しました。この影響を受け、生活全般はもちろん、スイーツを取り巻く環境も次第に厳しいものとなっていきました。戦争による物資不足や政府の統制強化により、贅沢品とみなされた洋菓子文化は大きな制約を受けることになります。
1940年 日独伊三国同盟締結
昭和15年(1940年)、日本は日独伊三国同盟を締結しました。これにより世間はますます戦争色に染まり、贅沢品や娯楽品の抑制が進みました。この時期、食料や物資の節約が国民に求められ、スイーツもその影響を大きく受けることとなりました。
1940年 禁止令の発令
昭和15年4月1日から9月末日まで、日本国内ではシュークリームやカスタードクリームを使用した洋菓子の製造が禁止されました。この措置は「気温の上昇とともに腐敗や変質の恐れがある食品は、国体の安全を脅かす可能性がある」という理由に基づいて行われました。特にカスタードクリームは生鮮食品を多く含むため、長期間の保存が難しく、衛生管理上の問題から禁止対象となったのです。
戦時中は、国民全体の食料事情が逼迫していました。貴重な資源を最大限有効に活用するため、保存が難しい食品や腐敗しやすい食品の製造や流通は制限されました。この禁止令は、洋菓子業界にとって大きな打撃となり、多くの職人や店舗が事業の縮小を余儀なくされました。
1945年 玉音放送と終戦
昭和20年8月15日、玉音放送が全国に流れ、日本は終戦を迎えました。戦争が終わるとともに、抑制されていた洋菓子文化も徐々に復活していきました。シュークリームやカスタードクリームの製造も再開され、多くの人々にとって甘味は戦後の復興を象徴する存在となりました。
洋菓子文化の再興
戦争中に苦境に立たされていた洋菓子業界は、戦後の経済復興とともに再び勢いを取り戻しました。特にシュークリームやカスタードクリームを使った洋菓子は、その美味しさと懐かしさから人気が再燃し、現在では日本のスイーツ文化を代表する存在となっています。
まとめ
シュークリームとカスタードクリーム禁止令は、戦争という特殊な時代背景の中で発令された政策でした。しかし、終戦後の復興期において、これらのスイーツは再び人々の心を癒し、洋菓子文化の発展に大きく寄与しました。この歴史を振り返ると、スイーツが単なる嗜好品にとどまらず、時代を映し出す文化的な象徴でもあることが分かります。