新高製菓とは|創業者:森平太郎の歴史と代表商品

  • URLをコピーしました!
目次

新高製菓とは

新高製菓(にいたかせいか)は、日本統治下の台湾・台北市に本社を置いていた製菓会社です。佐賀県出身の森平太郎(1869~1946年)が1905年に創業しました。

同社は新高ドロップやバナナキャラメルなどの製品で知られ、戦前は森永製菓明治製菓江崎グリコと並ぶ主要な菓子メーカーの一つでした。

しかし戦後、森の死去や経営環境の変化もあり、1971年に廃業となっています。

新高製菓の創業者

新高製菓を創業した森平太郎氏は、佐賀県出身の菓子商です。

彼は明治35年(1902年)に妻とともに台湾に渡り、台北市で「一六軒(いちろくけん)」という店を開きました。

この店では故郷で学んだ饅頭の製造・販売を行い、事業をスタートさせます。

当時の台湾は日本の統治下にあり、現地の資源を活用しながら事業を展開することが可能でした。

佐賀県

森平太郎氏の出身地である佐賀県は、森永製菓の創業者・森永太一郎氏や、グリコを立ち上げた江崎利一氏を輩出した土地でもあります。このように日本の菓子業界に多大な影響を与えた人物が佐賀から続々と現れているのは偶然でしょうか。

新高製菓の名前の由来

新高製菓」の社名は台湾の最高峰である「新高山」にちなんでおり、日本と台湾のつながりも感じられます。

この山は当時日本領であった台湾において日本国内最高峰とされており、太平洋戦争の際にも「ニイタカヤマノボレ」という暗号に使われるなど、象徴的な存在でした。

新高製菓の代表商品

バナナキャラメル

台湾で現地産の砂糖や練乳が豊富に手に入ることを知った森氏は、これらを活用してキャラメル作りを始めます。これが新高製菓の誕生につながりました。

明治38年(1905年)、森氏は「新高製菓」を正式に設立して事業を拡大。台湾産のバナナを使った「バナナキャラメル」は濃厚なバナナの風味と滑らかな食感が人気を呼び、大正時代に新高製菓を象徴する大ヒットを記録しました。

この成功を背景に大正14年(1925年)には東京へ進出して工場を設立。新高製菓は全国的な菓子メーカーとしての地位を確立。バナナキャラメルの他にも缶入りドロップや風船ガムといった新商品を次々と生み出し、日本のお菓子文化を豊かにしました。

風船ガム

新高製菓は、1928年(昭和3年)頃に日本で最初期の国産チューインガムの製造を開始し、1931年(昭和6年)には風船ガムを発売してブームを巻き起こしました。

当時の日本市場において新しい菓子のジャンルを切り開き、特に風船ガムは子どもたちに「膨らませて遊べる」という楽しみを提供して大ヒットとなります。

創業者の森平太郎氏が昭和21年(1946年)に亡くなった後、新高製菓は勢いを失いましが、それでも戦後しばらくの間は、景品付きのお菓子を販売するなどして子どもたちに夢を与え続けました。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

【あいさつ】
こんにちは、ゴンザレス美と申します。お菓子ライブラリの運営者です。
お菓子・食品関連業界の事業会社にて新規事業の立ち上げに携わる、お菓子業界の現役従事者です。Webコンテンツ制作・SEO対策・販促物制作・営業活動・食品展示会の出展準備と運営など、業界の事業活動を実務として日々経験しています。

【これまでの経歴】
大学卒業後、外食産業にて店舗運営に従事し、調理・接客・スタッフマネジメント・売上管理など、現場運営の基礎を積みました。その後Web業界へ転身し、SEOコンサルティング会社にてWebライティング・編集・進行管理に携わったのち、美容・健康分野のWebマーケティングを担当。検索意図の読み解きからコンテンツ設計・データ改善までを一貫して経験してきました。
現在はお菓子・食品関連業界に身を置き、新規事業の立ち上げに参画した他、Web制作・SEO記事執筆・販促カタログ制作・営業支援・食品展示会への出展準備と運営など、お菓子・食品業界の事業活動を多面的に経験しています。

【お菓子ライブラリで発信する情報】
お菓子用語の解説・商品レビュー・展示会情報などを発信中。
特定の事業者やブランドを宣伝する目的ではなく、「お菓子に興味のあるすべての方が学べる場」をコンセプトに運営しています。