乾パンとは
乾パンとは、長期保存が可能な堅焼きパンの一種で、主に非常食や兵糧として利用される食品です。日本では江戸時代後期から幕府や各藩が兵糧としての研究を進め、昭和時代には戦時中の保存食として多くの国民に親しまれました。特に三立製菓が1937年から製造を開始した「カンパン」は広く普及し、現在では災害時の備蓄用食品としても重要視されています。現代の乾パンは、昔に比べて味や食感が改良され、非常食としてだけでなく手軽に楽しめる食品へと進化を遂げています。
乾パンの発祥起源
乾パンの起源は江戸時代後期に遡ります。この頃、幕府や各藩が兵糧として乾パンに似た食品の研究を進めていました。大坂の陣以来の大規模な戦争を想定し、保存性が高く持ち運びやすい食糧が求められたのです。
幕府では「日本のパン作りの始祖」とされる江川太郎左衛門英龍が中心となり、パンの研究が進められました。英龍は軍事の専門家として知られ、海防対策の一環としてパンを活用しようとしました。また、彼の功績は種痘の導入や台場建設、軍事号令の考案など多岐にわたり、その慧眼はペリー来航後に再評価されました。
各藩による兵糧準備
薩摩藩の「蒸餅」
倒幕を目指した薩摩藩では「蒸餅」と呼ばれる保存食が大量に備蓄され、有事に備えた体制を整えていました。
長州藩の「備急餅」
一方、長州藩では「備急餅」という名称で保存食が準備され、有事に備えた体制を整えていました。
水戸藩の「兵糧丸」
水戸藩では、直径4~5センチの円形で中央に穴の開いた「兵糧丸」という乾パンが開発されました。この形状はドーナツに似ており、持ち運びやすく保存性が高い食品として注目されていました。
昭和時代の乾パン
昭和に入り、保存食の重要性が再び高まります。1921年創業の三立製菓は、昭和12(1937)年に乾パンの製造を開始しました。この取り組みにより、同社は乾パンの代名詞的な存在となり、戦中戦後の日本国民に広く浸透しました。
太平洋戦争中、乾パンは多くの国民の命をつなぐ重要な食品でした。当時の乾パンは必ずしも美味ではなかったものの、保存性や栄養価の面で非常に実用的であり、国民の生活に欠かせない存在となりました。
現代の乾パン
現代の乾パンは、昔に比べて格段に美味しくなっています。保存食でありながら手軽に楽しめるよう改良が加えられ、次々に手が伸びるほどの美味しさを実現しています。この進化は技術の向上と製造者の努力の賜物です。
三立製菓の乾パンから派生するヒット商品
「源氏パイ」
三立製菓は乾パンの成功を礎に、昭和44(1969)年には「源氏パイ」を発売しました。このヒット商品は乾パンで培った製菓技術とブランド力を生かした成果です。
「缶入りカンパン」
三立製菓は昭和47(1972)年に「缶入りカンパン」を発売しました。これは災害時の備蓄食品として特化した製品であり、乾パンが単なる保存食以上の役割を果たす存在であることを示しています。
まとめ
乾パンは、戦時だけでなく災害時にも頼れる食品として進化を続けています。その歴史と役割は、保存食の枠を超えて多くの人々の生活に深く根付いています。