ピーセンとは|発祥起源から現在までの流れ

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ピーセンとは

ピーセンは、ピーナッツを練り込んだ生地を薄く伸ばして揚げた日本の伝統的なお菓子です。特徴的なのはそのサクサクとした軽い食感と、ピーナッツの香ばしい風味です。煎餅の伝統的な製法に洋風の要素を取り入れた画期的な商品であり、軽い食感と程よい塩味は、お茶請けやおつまみとして幅広く親しまれています。

ピーセンの発祥起源

銀座江戸一「ピーセン」は、かつて東京銘菓の定番として一世を風靡しました。戦後間もない時期に発売され、そのさくさくとした食感としゃれた欧風のイメージが多くの人々の心をつかみました。特にエッフェル塔を描いた青缶は、東京土産の代名詞として親しまれました。

時代背景

「ピーセン」が登場した時代は、百貨店の名店街や地下街、駅ビル、ショッピングセンターが次々と発展する名店街ブームの最中でした。この時期、多くの菓子店が競ってこれらの商業施設に出店し、より多くの顧客に商品を届ける努力をしていました。その結果、これまで一商店に留まっていた店舗が、企業へと成長するきっかけを得ることとなりました。

銀座江戸一も、この流れの中で煎餅業界のリーダー的存在として「赤坂中央軒煎餅」や「銀座松崎煎餅」などとともに名を連ねました。同店は、主力商品である「ピーセン」や「リーフル」という揚げ煎餅を通じて、消費者のニーズに応え続けました。

1950年代 開発元「銀座江戸一」

ピーセンは1950年代に「銀座江戸一」という老舗煎餅専門店によって開発されました。当時、煎餅は米を主原料とする伝統的な和菓子でしたが、銀座江戸一はピーナッツを生地に練り込み、揚げるという新しい製法を採用しました。この発想は、それまでの煎餅業界の常識を覆す革新的なものでした。

1961年 全国菓子大博覧会での受賞

ピーセンが全国的に知られるきっかけとなったのは、全国菓子大博覧会での受賞です。1961年(昭和36年)の第15回全国菓子博覧会では総裁賞を受賞。この受賞を機に、ピーセンは名実ともに日本全国で愛されるお菓子となりました。

昭和時代、百貨店や地下街、駅ビル、ショッピングセンターといった名店街が人気を集めていました。この流れの中で、銀座江戸一は「赤坂中央軒煎餅」や「銀座松崎煎餅」と並び、煎餅業界の中核をなす名店として広く知られるようになりました。ピーセンは、名店街ブームを牽引する代表的な商品となり、多くの消費者に支持されました。その後アメリカへも進出。海外でも高い人気を博しました。

1999年 銀座江戸一から榮太樓總本舗への継承

時代の変遷とともに、1997年(平成9年)に銀座江戸一は一旦のれんを下ろしました。しかし「ピーセン」を惜しむ声が多く寄せられ、その2年後の1999年に老舗和菓子店「榮太樓總本舗」がその思いを受け継ぎ、ピーセンのレシピと商標、販売権を継承しました。榮太樓總本舗は、きんつばや梅ぼ志などの伝統的な和菓子で知られる日本橋の老舗であり、ピーセンの品質を維持しながらさらなる発展を目指しました。

継承後、榮太樓總本舗はピーセンの伝統的な味わいを守りつつ、新しいフレーバーの開発にも取り組んでいます。「さくさくプレーン」や「カリっと海老」、「しっとりチーズ」、「欧風カレー」、「はちみつバター」など、多彩なラインナップを展開し、消費者の多様なニーズに応えています。

2015年 ブランドリニューアル

2015年(平成27年)、ピーセンは「東京ピーセン」としてブランドリニューアルを果たし、新たな姿で再登場。味わいも時代に合わせてブラッシュアップ。ピーセンの最大の魅力は、香ばしいピーナッツ風味です。「最高のピーセンを作る」という想いから、日本一の産地である千葉県産ピーナッツを100%使用。その上で、ピーナッツの配合率を限界まで高めました。

「ピーセン」と聞いて多くの方が思い浮かべるのは、エッフェル塔が描かれた青い缶。その懐かしい青缶も、復活を望む声に応えて再リリースされました。「懐かしくて新しい」をテーマに、昭和のノスタルジアを感じさせつつ現代のセンスを取り入れたデザインとなっています。

まとめ

ピーセンは、伝統的な和菓子と洋風菓子の要素を融合させた画期的な商品として、日本の菓子文化に新たな可能性を切り開きました。昭和時代の食文化の変革期に生まれ、現代まで愛され続けている事実は、その商品としての価値と魅力を物語っています。

ピーセンの成功は、和菓子業界における革新の象徴であり、伝統と新しさを調和させることで生まれる可能性を示しています。その歴史的意義は高く評価されており、今後も多くの人々に愛される存在であり続けることでしょう。

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