抹茶は日本の伝統文化として長く国内で愛されてきた味ですが、その風味が世界のスイーツ界に認められるようになったのは2000年代以降のことでした。本記事では、パリを拠点に活躍する日本人パティシエ・青木定治氏による抹茶エクレールの登場をきっかけに、抹茶テイストがどのように世界へ広がっていったのかを詳しく解説します。
抹茶スイーツの世界進出
日本の伝統的な茶文化から生まれた抹茶は、長い間、日本国内でのみ愛され続けてきました。
その独特の苦味と香りは、私たち日本人にとって馴染み深く、素晴らしい味わいとして親しまれてきたのです。
しかし、この日本が誇る抹茶の魅力が世界的に認められ、お菓子の分野で大きな注目を集めるようになったのは、実はそう昔のことではありません。
抹茶テイストのお菓子が世界的に話題となり始めたのは2001年頃からです。
抹茶スイーツを世界に認めさせた男
転機をもたらしたのは、一人の日本人パティシエの存在でした。
パリを拠点として活動するパティシエ、青木定治(あおき さだはる)氏が、抹茶味のエクレールを手がけたことが、抹茶テイストの世界進出の大きなきっかけとなったのです。
彼の斬新な発想と卓越した技術が、それまでの抹茶に対する認識を覆すことになります。
抹茶スイーツが国際的に評価される困難
抹茶の風味は私たち日本人には馴染み深く、その美味しさは言うまでもないものでした。
しかし実のところ、お菓子作りの本場であるフランスでは、抹茶の独特な風味はこれまでそれほど受け入れられていませんでした。
国際的なお菓子のコンクールでの抹茶の扱い
このことは、国際的なお菓子のコンクール場面を見るとよく分かります。
こうした国際コンクールでは、技術的な課題のほかに「お国自慢」のお菓子を競う部門があることがありました。
そのような機会に、日本の選手たちは決まって「これぞ日本のテイスト」として抹茶味のお菓子を披露していました。
日本人にとって抹茶は最も日本らしい味の代表格であり、その誇りを込めて作品を作り上げていたのです。
ところが、審査を行う海外の審査員たちには、この抹茶の良さがなかなか理解してもらえません。
日本の選手たちは、自信を持って送り出した抹茶味の作品が思うような評価を得られず、悔しい思いをすることが少なくありませんでした。
この状況が続いていたため、抹茶は日本国内では愛されていても、国際的には認知度の低い味として位置づけられていたのです。
青木定治が提供した抹茶スイーツ
昔は上記のようなこともあり、世界に抹茶テイストの普及は厳しいものに思われました。しかし時代は変わります。
2000年過ぎたあたりでは、お菓子の世界には様々なフレーバーや技法が出尽くした感があり、新しいテイストを求める気運が高まっていました。
まさにそのタイミングで、青木氏が抹茶味のエクレールを手がけたのです。これまで多くの日本人パティシエが挑戦してきた抹茶テイストでしたが、彼の作品は違いました。
新しい味わいを求めていた時代の流れと、青木氏の卓越した技術が見事に合致したことで、お菓子作りの専門家たちは改めてこの日本的なテイストに注目し、その魅力を再発見したのです。
「抹茶ブーム」の日本への逆輸入
この成功は、単にフランスでの話にとどまりませんでした。
美食の国フランスで高く評価されたという事実は、日本にも逆輸入される形で大きな影響を与えました。
フランスという、お菓子作りにおいて世界最高峰とされる国で認められたことにより、日本国内でも抹茶テイストのお菓子に対する見方が変わったのです。
国内外スイーツ界を席巻する抹茶
こうして、抹茶テイストのお菓子は、フランスはもちろん、日本でもスイーツ界を席巻することになりました。
青木氏が手がけた抹茶のエクレールを皮切りに、抹茶シュークリーム、抹茶のアントルメ(デザート菓子)、抹茶チョコレート、抹茶のアイスクリームなど、様々な抹茶テイストのお菓子が次々と誕生。
長い間、日本国内にとどまっていた抹茶味の素晴らしさが、甘い香りとともに広く世界に知らしめられていく様子は、まさに感動的な光景でした。
日本の伝統的な茶文化から生まれた抹茶が、現代のお菓子作りの技術と融合し、世界中の人々に愛されるようになったのです。日本の文化が世界に認められた、非常に喜ばしい出来事といえるでしょう。
まとめ
かつては国際的な評価を得にくかった抹茶という味が、今や世界中の人々に愛されている現状は、日本文化の発信力と、それを支えた職人たちの努力の賜物です。抹茶のグローバルな成功は、日本独自の味覚が国境を越える可能性を示す、とてもうれしい出来事といえるでしょう。