BAKEの事業戦略
日本の菓子製造販売会社BAKEは、2014年の創業以来、一般的な洋菓子店とは異なる独自のアプローチで事業を展開してきました。一般的な洋菓子店が、ケーキ、クッキー、マカロンなど様々な種類の商品を同時に扱うのに対し、BAKEは「1ブランド1プロダクト」という独特の戦略を採用しています。この考え方は、一つのブランドで一つの商品に特化するものです。
BAKE独自の事業戦略
BAKEは、ブランドごとに一つの商品に集中して展開することで、顧客にとって分かりやすいブランドとして確立することを目指しています。この戦略により、一つの商品に特化し、その品質を極限まで高めることが可能となりました。
1つのブランドで1つの商品に特化する戦略
BAKEは、ブランドごとに一つの商品に集中して展開しています。例えば、「BAKE CHEESE TART」というブランドならチーズタルトのみ、「PRESS BUTTER SAND」というブランドならバターサンドのみを扱っています。この戦略の狙いは、商品を絞り込むことで、顧客にとって分かりやすいブランドとして確立することにあります。また、一つの商品に特化することで、その品質を極限まで高めることが可能となります。
BAKEの店舗は工房と一体型
BAKEの各店舗は、工房と販売スペースが一体型で設計されています。これにより、顧客は焼きたての商品を購入できるだけでなく、スタッフが実際に商品を焼く様子を直接見ることができます。店舗に漂う甘い香りや、製造過程を目の前で見せるという手法は、従来のパティスリーが完成品を陳列するのとは対照的で、製造過程を含めた体験価値を提供しています。
新型コロナウイルスの危機とECへの転換
2020年、新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大により、BAKEは創業以来の危機に直面しました。政府による外出自粛要請の影響で、人々の外出頻度が激減し、実店舗への来客数が大幅に減少しました。それまで実店舗のみで販売していた同社は、この影響を直接的に受け、売り上げは前年同期比で9割減という厳しい状況に陥りました。
ECへの事業転換
この危機的状況を乗り越えるため、BAKEが選択したのはECサイト(電子商取引サイト)の立ち上げでした。ECとは「Electronic Commerce」の略で、インターネット上で商品やサービスを販売することを指します。従来の実店舗販売から、オンラインという全く新しい販売チャネルを開拓することになりました。
BAKEがECサイトを迅速に構築した背景
売り上げの急激な落ち込みにより、一刻も早くオンライン販売を開始する必要がありました。そこで、BAKEは「Shopify」というECプラットフォームを活用しました。Shopifyは、ゼロからシステムを開発するよりも大幅に時間を短縮してECサイトを構築できるサービスです。こうして、2020年6月に「BAKE the ONLINE」というECサイトが立ち上げられました。
BAKEのEC事業が成功した要因
BAKEのECサイトの立ち上げは、多くの人が外出を控える状況において、店舗に足を運ばずに商品を購入できるという利便性が顧客に支持されました。また、経済活動が徐々に再開された後は、企業が取引先への贈答用として大口購入するケースも増加し、ECサイトの売り上げは順調に成長していきました。
BAKEのアプリが抱えていた課題と解決策
ECサイトの成功とは対照的に、スマートフォンアプリからの売り上げは当初期待したほど伸びませんでした。その背景には、アプリ開発における技術的な課題がありました。
BAKEのアプリに存在した技術的な制約
BAKEのアプリは運用管理が複雑だった
当時、BAKEはShopifyのアプリ開発サービスを利用していましたが、パソコン用のECサイトとアプリ用のECサイトを別々に作成する必要がありました。そのため、在庫管理も別々に行わなければならず、商品情報の更新や在庫管理に多大な時間と手間がかかりました。この結果、アプリで販売する商品を一部に限定せざるを得ませんでした。
BAKEのアプリは改善が困難だった
さらに、アプリのコンテンツ更新やユーザーインターフェース(UI)の改良には外部企業への発注が必要でした。UIとは、ユーザーがアプリやウェブサイトを操作する際の画面構成や操作方法のことです。外部に依頼するため、迅速な対応が困難でした。
BAKEが課題解決のために取り組んだこと
BAKEがノーコード開発プラットフォームを導入
これらの課題を解決するため、BAKEはアプリ開発支援企業ヤプリが提供する「ノーコード開発プラットフォーム」を導入しました。ノーコード開発とは、プログラミング言語を使用せずに、視覚的なインターフェースを使ってアプリケーションを開発する手法です。この技術により、専門的なプログラミング知識を持たない担当者でも、比較的短期間でアプリの開発や運用が可能になりました。
BAKEがアプリのUIを改善
新しいプラットフォームを活用して、BAKEはアプリのUI改善に着手しました。具体的には、アプリのトップ画面のフッター部分に「オンライン購入」ボタンを明確に配置し、顧客がオンラインで購入できることを分かりやすくしました。また、EC画面のヘッダー部分には「トップ」「サーチ」「カート」というタブを設置し、商品検索や買い物かご機能の存在を直感的に理解できるようにしました。
アプリの利用促進と運営体制の変化
改良されたアプリは2024年1月に提供開始され、月間のダウンロード件数はリニューアル前の10倍以上に増加しました。
BAKEがクーポンくじを導入
BAKEがアプリの利用を促進
ダウンロードしたアプリを実際に使ってもらうため、BAKEは「クーポンくじ」という施策を導入しました。これは毎週金曜日にアプリ内で配信される抽選形式のサービスで、100円分の割引クーポンが当たるものです。このクーポンは、BAKEの実店舗とオンラインストアの両方で利用できます。
BAKEの翌日リピート率が上昇
クーポンくじの効果は明確に現れました。配信日である金曜日のアクティブユーザー数(アプリを実際に起動し、何らかの操作を行ったユーザー数)は、配信していない日の約2倍になりました。また、アプリを起動した日の翌日も再びアプリを起動する「翌日リピート率」も大幅に向上しました。
BAKEの運営体制が改善
ノーコード開発プラットフォームの導入により、運営体制にも変化が生まれました。従来は外部企業に依頼していたコンテンツ更新やUI改善を、自社で実施できるようになったのです。また、アクティブユーザー数などの重要指標を確認するための管理画面も使いやすく、データに基づいた意思決定が迅速に行えるようになりました。
BAKEの新しいブランド戦略
EC事業の成長に大きく寄与したのが、2023年に立ち上げられた「しろいし洋菓子店」というブランドです。
デジタル専用ブランド
BAKEが設定した独自性の高いコンセプト
「しろいし洋菓子店」は、従来のBAKEのブランドとは異なり、常設の実店舗を持たず、ネット販売を中心とするデジタル専用ブランドとして設計されました。「マンション・インディゴ」という架空のマンションの1階にパティスリーがあるという設定でストーリーを展開する、物語性を持ったコンセプトを採用しています。マンションの住人たちが推している商品が、そのまま販売商品になるという物語を通じて、単なる商品購入を超えた体験価値を提供しています。
BAKEが顧客に提供する没入体験
メイン商品であるクッキー缶は、階層ごとに異なるフレーバーが登場するように設計されています。顧客が缶を開けて食べ進めることで、新しい味が次々と現れるという体験は、「イマーシブ体験」と呼ばれる手法です。イマーシブとは「没入感」を意味し、顧客がブランドの世界観に深く関わることを指します。
EC事業の立ち上げでBAKEが直面した課題
EC事業の立ち上げ過程では、さまざまな技術的、運営的課題に直面しました。
BAKEが取り組んだ配送温度帯の整備
配送方法の統一による問題
EC開始当初は、配送の複雑さを避けるため、全ての商品を冷凍で配送していました。この方法では、例えば手土産として使われる商品が、受け取った顧客がすぐに誰かにプレゼントできないという問題がありました。冷凍商品は解凍に時間がかかるため、贈答用としての利便性が低下してしまうのです。
BAKEが配送方法を最適化
この問題を解決するため、BAKEは商品の特性に応じて、常温、冷蔵、冷凍の配送方法を適切に使い分ける体制を構築しました。配送料は増加しましたが、顧客満足度と商品品質を維持することを優先しました。
BAKEのEC向け商品開発
BAKEは店頭で焼きたてを提供する商品をECで販売するため、配送に適した形態に変更する必要がありました。例えば、冷凍で配送し、家庭で温め直す(リベイク)ことで、焼きたてに近い状態を再現できる商品の開発に取り組みました。このように、オンラインとオフラインで一貫した品質体験を提供するための商品改良は、EC成功の重要な要素でした。
BAKEが転売問題へ対策
ブランド価値の保護
BAKEの商品は賞味期限が短く、厳格な温度管理が必要です。しかし、転売業者が商品を購入し、不適切な環境で保管・販売する事例が発生しました。これは企業のブランド価値を損なう可能性があるため、対策が求められました。
Amazonでの公式販売
この問題に対応するため、BAKEは自社管理のもとでAmazonでの販売を開始しました。これにより、転売業者による不適切な販売を防ぎ、品質管理された商品を顧客に提供できるようになりました。
BAKEの顧客情報一元化と会員プログラム
BAKEは、事業戦略の大きな転換点として、顧客情報の一元化に取り組みました。
BAKEが抱えていた従来の課題
ブランドごとの顧客情報
従来のBAKEは、各ブランドが独立して運営されており、ブランド間での顧客情報の連携がありませんでした。この結果、同じ顧客が複数のブランドの商品を購入していても、企業側ではそれを把握できず、統一されたサービスを提供できませんでした。
LINEアカウントの重複
各店舗で個別に運営していたLINEアカウントも同様の問題を抱えていました。同じ顧客が複数のブランドのLINEアカウントに登録している場合、類似した内容のメッセージを重複して受け取ることがありました。
BAKEが顧客情報を統合
統一会員組織の創設
BAKEは、自社名をマスターブランドとして前面に打ち出し、その下に各専門ブランドを位置付ける戦略に転換しました。この戦略転換により、アプリを起点とした統一会員組織「BAKE Membership Program」を創設しました。これにより、顧客はどのブランドの商品を購入する際も、同じポイントサービスや会員特典を利用できるようになり、店舗とオンラインでも同様のサービスが受けられるようになりました。
LINEアカウントの統合
各店舗で個別に運営していたLINEアカウントも統合しました。これにより、顧客は重複したメッセージを受け取ることがなくなり、より価値の高い情報提供が可能になりました。
BAKEが推進するOMO戦略
BAKEが現在推進しているのは、OMO(Online Merges with Offline)戦略です。
OMO戦略の概念
オンラインとオフラインの融合
OMOとは、オンラインとオフラインの境界をなくし、顧客にとってシームレスな体験を提供する概念です。従来のO2O(Online to Offline)やOtoO(Offline to Online)が一方向的な誘導を意味するのに対し、OMOはオンラインとオフラインが融合した統一的な顧客体験を指します。
具体的な取り組み
エディティッドストア「BAKE the SHOP」の展開
BAKEのOMO戦略の具体例として、「BAKE the SHOP」というエディティッドストアの展開があります。エディティッドストアとは、複数のブランドの商品を厳選して販売する店舗形態で、BAKE CHEESE TARTやPRESS BUTTER SANDなど、各ブランドの商品を一つの場所で購入できます。
まとめ
BAKEの事例は、従来の店舗中心型ビジネスモデルから、デジタル技術を活用したハイブリッドモデルへの転換が、どのように実現可能であるかを示しています。新型コロナウイルスという外部環境の変化をきっかけとしつつも、顧客体験の向上を最優先に置いた戦略的な取り組みにより、危機を成長の機会に転換することに成功しました。特に、ブランド戦略、商品開発、配送システム、顧客管理を統合的に見直し、一貫した顧客体験を提供している点が、この成功の重要な要因となっています。ノーコード開発プラットフォームの活用により、技術的な専門知識に依存することなく、迅速かつ柔軟な改善サイクルを実現している点も、他業界の企業にとって参考になる取り組みです。BAKEの事例は、今後のデジタル化に適応するための一つのモデルケースとして、多くの企業にとって学ぶべき要素を含んでいます。