1990年代半ばの日本において、あるフランスの焼き菓子が突如として脚光を浴び、お菓子界を語る上で欠かせない存在となりました。それが、「カヌレ・ド・ボルドー」です。この小さな焼き菓子は、実際には1995年頃からひっそりと日本に上陸していましたが、本格的にその存在が知れ渡り、話題となり注目を集めたのは1996年に入ってからのことでした。
カヌレとは
カヌレ・ド・ボルドーは、フランスのボルドー地方に伝わる伝統的な焼き菓子です。
その最大の特徴は、専用の型で焼き上げられる独特の形状と、外側と内側で全く異なる食感を持つ点にあります。
完成したカヌレは、外側が黒に近い焦げ茶色でパリッと香ばしく焼き上がり、内側は白っぽくもっちりとした半生の食感を持つという、見事な二面性を持っています。
この「外はカリカリ、中はしっとり」という対照的な食感こそが、多くの人々を惹きつけた最大の要因でした。
その見た目も、小さな建築物や古代の円柱を思わせるような、独特の美しさを持っています。
カヌレの名前の由来
「カヌレ」という名前は、フランス語で「溝付きの」や「波形の」を意味します。
これは、カヌレが焼かれる際に使用される型に、縦に12本の溝が刻まれていることに由来しています。
この溝が、焼き上がったカヌレに独特の美しい模様を与えています。
カヌレの発祥起源
カヌレの起源については複数の説が存在し、それぞれが異なる時代背景を持つ興味深い物語を語ります。どの説が真実かは定かではありませんが、ボルドーの代表的な名物として地元の人々に愛され続けてきたことは間違いありません。
17世紀ボルドー地方の修道院説
最も広く知られている説の一つは、17世紀にボルドー地方の修道院でカヌレが生まれたというものです。当時、修道院では地域の人々から様々な食材が寄付として納められており、これらの材料を無駄にしないよう工夫して作られたのがカヌレの始まりだったと伝えられています。これは、修道院での質素な生活の中で生み出された知恵の結晶とも言えるでしょう。
16世紀修道女による棒状焼き菓子発展説
別の説では、16世紀に同じく修道院で修道女たちが棒状の焼き菓子を作っていたものが発展して現在のカヌレの形になったと考えられています。修道女たちの手仕事から生まれたお菓子が、時代とともに洗練されていったと考えると、歴史のロマンを感じさせます。
12世紀~15世紀イギリス文化交流説
さらに古い起源を主張する説もあります。12世紀から15世紀にかけて、ボルドー地方はイギリスの支配下にありました。この時代に、イギリスのマフィンやプディングといった伝統的なお菓子がフランスに伝わり、現地の食材や技法と融合して、現在のカヌレの原型が生まれたというのです。国境を越えた文化交流の産物として捉えると、カヌレは単なるお菓子を超えた文化的意義を持つ存在と言えるかもしれません。
日本とフランスのカヌレの人気の違い
実はカヌレの故郷であるフランスでは、日本ほどの熱狂的なブームは起こっていませんでした。
1995年頃からパリでも少しずつ見かけられるようになり、パリジャンたちは「珍しい地方のお菓子があるね」というような関心を示します。
しかし彼らにとっては、なんか地方の伝統菓子が首都にやってきた程度のことであり、日本で後に起こるような爆発的なブームとはまったく異なる性質のものでした。
200年以上の時を経て極東の島国である日本で、この伝統あるお菓子が大ブームを巻き起こすことになろうとは、当時の誰も想像できなかったでしょう。
カヌレが日本で知られた背景
当時の日本は、新しいお菓子に対する飽くなき探求心に満ちていました。国内各地を巡っても心から満足できるものが見つからず、やがて視線は海外、特に美食の国フランスへと向けられるようになります。しかし、その関心はパリのような大都市に留まらず、フランス各地の美しい地方都市にも広がりを見せていました。このような地方への注目が高まる中で、まさにその先陣を切るように日本に紹介されたのが、ボルドー地方の伝統菓子であるカヌレだったのです。
日本で人気になった理由
カヌレは日本では1990年代初頭、海外で最新スイーツを発掘するバイヤーやパティシエたちによって紹介されました。当時、フランス現地で注目されていたというよりも、「地元の人に長年親しまれてきた、まだ知られていない菓子」として日本に持ち込まれた側面があります。見た目も味わいも新鮮だったカヌレは、瞬く間に注目を集め、日本の洋菓子界に静かなブームを巻き起こしました。
見た目
日本で流通していた洋菓子の多くは、白やクリーム色、パステル系など、やわらかく明るい色合いが主流でした。そこに登場したカヌレは、黒に近い深い焦げ茶色。その独特な見た目で強い印象を与えました。また、専用の型で焼き上げることで生まれる均整の取れた波型のフォルムも、目を引く要素です。この「焦げたように見えるけれど中はしっとり」というギャップも、人々の関心を集めていたのではないでしょうか。
食感
カヌレの最大の特徴とも言えるのが、食感の二層構造です。外側はしっかり焼かれてパリッとした食感に仕上がり、内側はラム酒とバニラが香る、もっちり柔らかな生地が詰まっています。香ばしさともっちり感、硬さとやわらかさが同時に楽しめる食感は、当時の日本ではあまり見かけることがなく、多くの人に新鮮な驚きを与えたことでしょう。
メディア
1990年代当時、スイーツブームとともに「フランス菓子」への関心が高まっていました。インターネットがまだ一般的でなかった時代には、女性誌やグルメ特集、テレビ番組が食文化の情報源として大きな役割を果たしていました。カヌレは、「フランスの修道院発祥の伝統菓子」「今までにない食感」「本場でも根強い人気」といった言葉とともに紹介され、多くの人の興味を引きました。おしゃれで本格的な印象が強調され、グルメ層やスイーツ愛好家の間で話題となりました。
第一次カヌレブームの終焉
ブームの熱気は想像を超えるものでした。しかし、どれほど熱狂的なブームも永続するものではありません。その熱狂の裏ではいくつかの問題も発生し、最終的にはブームは一度終焉へと繋がっていきます。ここではそのブームが終わるまでの背景をご紹介します。
カヌレ・ド・ボルドーの会
ブームの熱狂ぶりを示すものとして、「カヌレ・ド・ボルドーの会」なる組織が設立されました。この会は正統なカヌレの普及を目的としていましたが、同時に「この会に加入していない店の商品は正式なカヌレとは認めない」という排他的な側面も持ち合わせていました。お菓子一つをめぐってこのような組織的な動きが生まれるほど、当時の熱狂ぶりは凄まじいものだったのです。
カヌレ型の不足
カヌレの需要増大には思わぬ問題が発生しました。カヌレを作るためには、あの独特な形状の専用型が不可欠だったのです。
とてつもない人気を集めたカヌレ。そのブームに乗り遅れまいと、全国のお菓子屋さんが一斉に型の注文を始めます。各店舗が一度に注文する数量は決して少なくありません。全国の数多くのお菓子屋さんが同時期に注文したことで、その総数は膨大なものとなり、突然の大量注文に型を製造・販売する業界は大混乱に陥りました。
この予想外の日本からの注文により、フランス国内はもちろん、ヨーロッパ全体からカヌレ型が姿を消すという異常事態が発生しました。製造が追い付かないため、入荷待ちは1ヶ月、場合によってはそれ以上という状況に。運良く在庫があったとしても、需要と供給のバランスが完全に崩れていたため、プレミア価格で取引される貴重品となってしまいました。
しかし、どれほど熱狂的なブームも永続するものではありません。時間の経過とともに、あの熱に浮かされたような熱気は次第に冷めていきました。あの時に大金を投じて購入した型が、物置や倉庫のどこかでひっそりと眠っているというお店もあるでしょう。
2022年末にカヌレブーム再来
しかし、上記で紹介したような一時的なブームが過ぎ去ったと思われたカヌレですが、2022年末になって再び話題になり始めました。これは単なる懐古趣味による一時的な復活なのか、それとも新たな世代による再発見なのか、あるいは本当の意味での定着への第一歩なのか、今後の動向が注目されます。
まとめ
1990年代半ば、日本で突如注目を浴びたフランス・ボルドーの伝統菓子カヌレは、その独特な見た目と「外はカリッと中はもっちり」という食感の対比、そして異国情緒あふれる背景により、多くの人の心を掴みました。メディアの後押しや菓子業界の関心によって一大ブームが巻き起こる一方で、型不足や模倣商品の出現など、ブームの影には混乱もありました。やがて熱狂は落ち着きましたが、2020年代に入ってカヌレは再び注目を集め始めています。流行として消費されるだけでなく、時間を超えて人々に受け継がれる「菓子文化」として、カヌレは今、新たな定着の段階へと歩み始めているのかもしれません。