マロングラッセの歴史|昭和時代にフタバ食品が量産化

目次

マロングラッセとは?

マロングラッセは、フランス発祥の特別なスイーツです。「マロン」はフランス語で栗、「グラッセ」は砂糖をまぶしたという意味を持ちます。このお菓子は、栗を長時間かけて糖蜜に漬け込み、薄い糖の膜で包み込むことで完成する繊細な逸品です。見た目の美しさと、栗本来の風味を生かした上品な甘さが特徴で、「スイーツの王様」とも称されます。

マロングラッセの発祥起源

マロングラッセの起源は、1800年代初頭のフランスにさかのぼります。このスイーツを生み出したのは、天才製菓人アントナン・カレームです。彼はフランス菓子の礎を築いた人物で、当時の貴族や王族にも愛された高級菓子として広がりました。栗を一つ一つ丁寧に糖蜜に漬け込むその製造過程は、非常に手間がかかり、まさに芸術品と呼べるものでした。

マロングラッセが日本に誕生したのはいつ?

日本にマロングラッセが初めて登場したのは、明治25年(1892年)のことです。これを手掛けたのは、東京・浅草にあった和洋菓子店「米津風月堂」の当主、米津恒次郎でした。当時の日本では、栗を使った和菓子は広く親しまれていましたが、マロングラッセのような洋菓子は非常に珍しい存在でした。その製造過程の複雑さと高い技術から、日本においても「スイーツの王様」として特別視されました。

マロングラッセの普及

フタバ食品とは

フタバ食品とは、日本の食品メーカーで、特に冷菓(アイスクリームシャーベット)や菓子の製造で知られる企業です。昭和20年(1945年)に「栃木食糧工業」として創業し、現在の「フタバ食品株式会社」に社名を変更したのは昭和38年(1963年)です。本社は栃木県宇都宮市にあります。

フタバ食品の創業

フタバ食品は、昭和20年(1945年)に「栃木食糧工業」として創業しました。創業当初は、鉄道弘済会向けに冷菓を納入することで事業を展開していました。その後、昭和33年(1958年)に「栃食」、昭和38年(1963年)には「フタバ食品」と社名を変更し、菓子業界での基盤を固めていきました。

量産化の成功

昭和57年(1972年)、フタバ食品はマロングラッセの量産化に成功しました。それまでマロングラッセは、職人による手作業で作られる高級スイーツでした。特に、栗を糖蜜に漬け込む過程や、薄い糖の膜を丁寧に掛ける作業は非常に手間がかかり、これが高価である理由の一つでした。しかし、フタバ食品はこれらの工程を機械化するシステムを開発しました。この革新により、品質を保ちながら効率的に製造することが可能となり、マロングラッセがより手軽に楽しめるお菓子へと変わったのです。

フタバ食品のその他のヒット商品

フタバ食品は、マロングラッセの量産化以外にも多くの実績を残しています。フタバ食品の代表的な製品には、氷菓「サクレ」シリーズがあります。この商品は、昭和60年(1985年)に発売され、特に夏の定番商品として広く親しまれています。「サクレ レモン」はレモンスライスが乗ったユニークなアイスで、シャーベットの爽やかさと果実感が特徴です。

マロングラッセの人気

フタバ食品の量産化技術により、それまで高嶺の花とされていたマロングラッセが全国各地で手に入るようになりました。栗の濃厚な風味と上品な甘さを手軽に楽しめるようになり、特別な日のお菓子としてだけでなく、日常の中でも味わえるスイーツとして親しまれるようになりました。

まとめ

栗本来の香りと味わいを楽しめるマロングラッセは、季節を問わず愛されるスイーツとなりました。その背景には、伝統的な職人技と、フタバ食品のような企業による革新技術の融合があります。この特別なお菓子は、過去から現在へと受け継がれ、さらに未来へとその魅力を広げていくことでしょう。

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