1993年、日本ではスイーツ文化において大きな転換期を迎えました。季節が春から夏へと移り変わる中、ひとつのユニークな食材が日本中で注目を集めます。それが「ナタデココ」です。ぷるぷる、コリコリとした不思議な食感を持つナタデココは、当時の日本人にとって非常に新鮮な存在でした。スプーンを入れたときの柔らかさと、口の中で感じる弾力ある噛みごたえは、それまでのデザートにはなかった食感体験をもたらしました
ナタデココとは
発祥地 | フィリピン |
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原料 | ココナッツウォーター |
製法 | 酢酸菌を使った発酵によりゲル状に固める |
特徴 | 弾力のあるコリコリ食感・透明感のある見た目 |
ナタデココはもともとフィリピンで生まれた発酵食品です。ココナッツウォーターを原料とし、酢酸菌による発酵を経て、ゲル状に固めて作られます。味そのものはほとんどなく、甘くも酸っぱくもありません。そのため、シロップ漬けやフルーツと合わせて提供されることが多く、食感を楽しむデザートとして親しまれています。カロリーが低く、食物繊維が多く含まれていることから、健康志向の人にも好まれました。
ナタデココの作り方
原料はココナッツの果肉からとれる「ココナッツミルク」。ここに酢酸菌の一種「ナタ菌(アセトバクター・キシリナム)」を加えて発酵させることで、透明から白濁したゼリー状のかたまりができます。この物質は「セルロース」という食物繊維で構成されており、ナタデココ特有のプルプル・コリコリとした独特の食感を生み出しています。
ナタデココブームのきっかけ
ナタデココが日本で大ブームになったのは1993年。その火付け役となったのが、大手ファミリーレストラン「デニーズ」です。
商品開発責任者だった市島章三氏は、欧州ブームが続く中で「アジアの食文化」に目を向けました。そして、フィリピンで古くから食べられてきたナタデココに可能性を感じ、日本のデザートとして商品化します。
これを機に、ナタデココは他の飲食チェーンやコンビニ、スーパーマーケットなどにも広がり、全国で一気に知名度を上げました。テレビや雑誌でも取り上げられるようになり、トレンドの中心に踊り出ます。
ナタデココブームが起きた理由
ナタデココがここまで爆発的にヒットした背景には、いくつかの要因が重なっています。
1. 新食感への驚き
ナタデココのプルプル、コリコリとした食感は、当時の日本にはあまりなかったもので、多くの人に「これは新しい!」という感動を与えました。
2. 若年層による口コミ拡散
最初に目をつけたのは女子中高生。珍しい見た目と食感、ヘルシーさが話題となり、友人同士の口コミで一気に広まりました。学校や家庭での会話に登場するようになり、社会現象として火がついたのです。
3. 日本人の“食感文化”との相性
日本にはもともと寒天、こんにゃく、わらび餅など、ゼリー状や弾力ある食感を好む文化があります。ナタデココの食感は、こうした文化にぴったりはまりました。
4. 健康志向の高まり
90年代には「カロリー控えめ」や「食物繊維が豊富」といったヘルシー志向の食品に注目が集まっており、ナタデココもその流れに乗って支持されました。
ナタデココブームが起こした国際問題
日本でナタデココの需要が急増すると、原産地フィリピンでは大きな変化が起きます。
日本の商社や食品メーカーがナタデココの大量発注を始め、それに応えるためにフィリピンの生産者たちは一斉に工場を新設。生産ラインを増やし、人員も拡大します。地方の農家や家族経営の事業者も銀行からの融資を受け、期待を込めて生産を本格化させました。
これにより、フィリピンの一部地域では雇用が増え、地域経済が潤うという効果もありました。ナタデココは一時的にフィリピンの重要な輸出品としての地位を確立します。まさに日本の流行が、海外の産業構造まで動かしてしまった好例です。
しかし、それは同時に非常に脆い関係でもありました。
ナタデココブームの終焉
ブームというのは、始まりがある一方で、必ず終わりも訪れます。ナタデココも例外ではなく、日本での人気は1993年のピークを過ぎると、わずか1〜2年で急激に冷めていきます。消費者の関心は次の新商品へと移り、販売数は激減しました。
それにより、フィリピンの生産者たちは大量の在庫を抱えることになります。日本からの注文がほぼ止まり、輸出先を失った現地の工場は経営危機に陥ります。設備投資に使った借金を返済できなくなり、倒産や廃業に追い込まれた事業者も少なくありませんでした。
この問題は、国際的な報道でも取り上げられ、「先進国の一時的な流行が、途上国の経済を揺るがす」という構図に警鐘が鳴らされました。消費国としての日本が、どれだけ大きな影響力を持っているのか。そして、それに伴う責任をどう考えるべきかが問われたのです。
まとめ
ナタデココはフィリピン発祥の発酵食品で、独特の食感とヘルシーさから日本で一大ブームを巻き起こしました。1993年にデニーズの導入をきっかけに爆発的に流行し、食感の新鮮さや健康志向の高まり、若年層の口コミ効果などが後押しとなりました。日本での需要増加はフィリピンの生産拡大にもつながり、地域経済に恩恵をもたらします。しかし、ブームは短命に終わり、現地では過剰投資や在庫を抱えた企業の倒産が相次ぎました。この出来事は、消費国の流行が生産国に与える影響と、その責任について考えるきっかけにもなりました。