
プリンの発祥起源
私たちが日頃親しんでいる、プルプルとした食感と優しい甘さが魅力のプリン。
この身近なデザートが、一体どこでどのようにして生まれたのか、ご存じでしょうか?
実は、プリンのルーツは今から数百年も昔、17世紀のイギリスにまで遡ります。
それは、遠洋航海中の船上で、食材を無駄なく使うために工夫された質素な料理でした。
この質素な料理が、長い時を経て少しずつ形を変え、今日の甘くて美味しいデザートとして世界中で愛される存在になったのです。
プリンの原型「イギリスのプディング」
現代のプリンの原型は、中世のイギリスで誕生した「プディング」にあります。
この「プディング」という言葉は、現在の私たちがお菓子としてイメージする「プリン」とは異なり、肉や野菜、穀物などを混ぜて加熱した、幅広い種類の料理を指していました。
イギリスのプディングの発祥
プディングが生まれたのは、今から約400年ほど前の16世紀、「大航海時代」の船上だと考えられています。
この時代、船は数ヶ月から数年にも及ぶ長い航海に出ることが珍しくありませんでした。
長期にわたる航海では、食料の保存が大きな課題でした。食材は限られ、日持ちするものが重宝されたのです。
船員たちは、手元にある貴重な食材を少しでも無駄にすることなく、すべて使い切る必要がありました。そこで、あり合わせの食材を工夫して調理する方法が求められたのです。
どのように作られたのか
船員たちは、航海の途中で余ってしまった肉や魚の切れ端、さらには果物などを、卵の混ぜ物(溶き卵など)に加えて作りました。
これらの具材を布でしっかりと包み、船上にある鍋で蒸したり、煮たりして加熱したのです。
ときには、パン粉も混ぜられることがありました。これは、通常なら捨ててしまうような肉の切れ端やパンくずといった残り物を活用するための知恵でもありました。
このようにして作られたプディングは、貴重な食材を無駄にせず、栄養を補給するための非常食としても非常に役立っていたのです。
プディングから現代のプリンへ
船乗りたちによって考案されたこの「プディング」は、その栄養価と、限られた食材でも作れるという実用性、そして何よりも美味しさから、陸上にも伝わっていきました。
陸に上がったプディングは、人々の生活や食文化に合わせて少しずつ変化を遂げていきます。
甘いプディングの登場
陸に伝わったプディングは、当初のしょっぱい具材中心のものだけでなく、肉や野菜の代わりにフルーツやパンを使った、甘い味付けのものが作られるようになりました。
そして18世紀に入ると、それまで貴族などの限られた人々しか口にできなかった砂糖が、一般の庶民の手に届きやすくなったことで、甘い味付けのプディングがさらに増え始めました。
これにより、プディングは食事の一部だけでなく、食後のデザートとしても楽しまれるようになっていきます。
カスタードプディングの登場
18世紀終わり頃になると、プディングはさらに進化を遂げます。
それまでの「具材を卵液と一緒に蒸す」という形から、具材を一切入れず、卵液だけを固めた、よりシンプルな「カスタードプディング」が主流になっていきました。
これが、現代のなめらかなプリンの直接的な原型となります。
カスタードプディングの発祥
このカスタードプディングは、18世紀から19世紀頃のヨーロッパ、特にフランスで誕生したとされています。
フランスの菓子職人たちが、具材を入れずに卵(主に卵黄)と牛乳、砂糖だけを混ぜた卵液を加熱して固める、今日のカスタードプリンの原型を生み出したのです。
この滑らかな口当たりと優しい甘さは、瞬く間に人々を魅了しました。
フランスでの呼び方
フランス語では、このカスタードプディングを「Crème Caramel(クレーム・カラメル)」や「Crème Renversée(クレーム・ランヴェルセ)」と呼びます。
クレーム・カラメルは「カラメルのクリーム」という意味で、カラメルソースが特徴であることを示しています。
クレーム・ランヴェルセは 「ランヴェルセ」はフランス語で「ひっくり返した」という意味を持ちます。これは、完成したプリンを型から逆さにひっくり返して皿に盛り付けていたことに由来しています。プリンの型をひっくり返すことで、底に敷かれたカラメルソースが上にかかり、見た目も美しく提供されたのです。
「プリン」という名前の由来
イギリスで「プディング」と呼ばれていた幅広い蒸し料理を指す言葉が、なぜ日本では特定の甘いお菓子を指す「プリン」という名前になったのでしょうか?
これは、英語の「pudding(プディング)」という発音が、当時の日本人にとっては聞き取りにくかったためだと言われています。
聞き間違えや、発音しやすいように変化する中で、「ポッディング」という音になり、さらにそれが短縮されて、最終的に私たちが知る「プリン」という呼び方に落ち着きました。
このように、「プリン」は日本で独自に生まれた呼び方であり、和製英語の一種と言えるでしょう。
プリンの日本伝来と普及
日本の食文化にプリンが加わったのは、江戸時代後期から明治時代初期にかけてのことです。
西洋料理本『西洋料理通』
プリンが日本に伝わった正確な時期は諸説ありますが、1872年(明治5年)に刊行された日本初の本格的な西洋料理本『西洋料理通』に「ポッディング」として紹介されていることから、幕末の開国に伴い、さまざまな西洋文化と共に日本に到来したことが伺えます。
しかし、当時の日本では、プリンの主要な材料である卵や牛乳は非常に高価で、一般の家庭で手軽に入手できるものではありませんでした。そのため、初期のプリンは、東京や横浜などの都市部にあったホテルやパーラー(喫茶店のような場所)などでしか食べられない、まさに高級な洋菓子でした。
また、プリンを作るための蒸し器やオーブンといった西洋の調理器具も、当時の一般家庭にはほとんど普及していなかったため、自宅でプリンを作ることも非常に困難だったのです。
庶民のおやつへの普及
プリンが日本中の庶民にとって身近なおやつとなったのは、第二次世界大戦後の高度経済成長期を迎えた20世紀後半になってからです。
特に大きな転換点となったのは、1964年(昭和39年)に家庭でプリンが作れる市販の粉(プリンミックス)が発売されたことでしょう。これにより、それまで高級品だったプリンが、誰でも手軽に自宅で作れるようになりました。
さらに、この頃には電気やガス、冷蔵庫といった生活家電が一般家庭に広く普及したことも、プリンの普及を大きく後押ししました。材料の保存がしやすくなり、調理も簡単になったためです。
そして、1972年には江崎グリコから「プッチンプリン」が発売されました。このプッチンプリンは、特別な道具がなくても簡単に型から出せるユニークな構造と、手軽に買える価格、そして何よりもその美味しさから、一気に国民的なデザートとしての地位を確立し、プリンは私たちの生活に欠かせないおやつとなったのです。
カラメルソースの由来
プリンに欠かせない、ほろ苦いカラメルソース。
これも実は非常に実用的な理由から生まれたことをご存じでしょうか。
実用的な必要性から生まれたカラメルソース
フランスでカスタードプディングが誕生した当時、プリンは大きな型に卵液を流し込んで作られるのが一般的でした。しかし、この大きな型から完成したプディングを取り出す際に、プディングが型の底にくっついてしまい、きれいに取り出せずに崩れてしまうという問題が頻繁に起こっていました。
この問題を解決するために考案されたのが、カラメルソースを容器の底に入れるという方法です。
カラメルは砂糖を熱して作るため、固まるとガラスのように硬くなりますが、実は水に溶けやすい性質を持っています。そのため、カラメルソースを容器の底に敷いてから卵液を注いでも、卵液の水分によってカラメルが固まることなく、むしろカラメルが容器と卵液の間に滑らかな層を形成しました。
このカラメルの層があることで、プディングが型の底に直接張り付くのを防ぎ、冷めて固まった後に型から逆さにひっくり返すだけで、きれいにツルンと取り出すことができるようになったのです。
これがプリンにカラメルソースが使われるようになった一番の理由です。
現在のカラメルソースの役割
現在では、プラスチック容器に入ったプリンなど、器から取り出さなくてもスプーンでそのまま食べられるプリンがほとんどです。そのため、プリンを型からきれいに取り出すという実用的な理由でカラメルソースを入れる必要は、ほとんどありません。
しかし、長年にわたって「プリンにはカラメルソースがセット」というイメージが非常に強く定着しているため、今でも多くのプリンにカラメルソースが使われています。
そのほろ苦さが、プリンの甘さを引き立てるアクセントとなり、美味しさをより一層高めているのは言うまでもありません。
まとめ
プリンは、大航海時代の船乗りたちの知恵と工夫から生まれ、長い歴史の中で、人々の食文化や技術の発展と共に進化を遂げてきました。そして今もなお、世界中の食卓で愛され続けている、まさに「歴史あるデザート」なのです。