マロングラッセとは|発祥起源や日本での誕生、普及の歴史

目次

マロングラッセとは

マロングラッセは、フランスで誕生した高級菓子で、栗を砂糖で煮詰めて作られた糖菓です。その歴史は1800年代初頭に遡り、フランスの天才製菓人アントナン・カレームによって生み出されました。「珠玉の宝石」とも称されるこの菓子は、見た目の美しさと手間を惜しまない製法が特徴です。フランスではシャテーニュ(châtaigne)という栗が使用されますが、これは見た目が似ていても、食用に適さないマロニエの実「マロン」とは異なるものです。

マロングラッセの発祥起源

マロングラッセは、1800年代初頭にフランスの天才製菓職人アントナン・カレームによって生み出されたと言われる伝説的なお菓子です。フランス菓子の中でもその美しさと手間のかかる製法から「珠玉の宝石」と称され、多くの製菓人が挑戦してきた高難度のスイーツです。

アントナン・カレーム

アントナン・カレームは、フランス製菓の歴史にその名を刻む天才的なパティシエであり、彼の代表作として知られるのがこのマロングラッセです。カレームは、シャテーニュ(châtaigne)と呼ばれる栗の実を使用して、壊れないように慎重に煮込み、糖度を高める工程を何度も繰り返しました。この手法により、栗を宝石のような見た目と甘さに仕上げました。フランス語で「マロン」とは実はマロニエの実を指し、食用には適さない有毒性があるため、食用の栗「シャテーニュ」を用いながらも、「マロン」という高級感を意識した名前がつけられました。

書籍への記述

マロングラッセの初出は、カレームの著書『ル・パティシエ・ロワイヤル・パリジアン(Le pâtissier royal Parisien)』(1815年)の第二巻に記載されています。しかし、その後しばらく製菓界での言及は途絶え、再び表舞台に登場するのは20世紀初頭、ピエール・ラカンの『ル・メモリアル・デ・グラス(Le mémorial des glaces)』(1911年)においてです。その後、多くの製菓書に取り上げられるようになり、マロングラッセがフランスで再び広がるきっかけとなりました。

マロングラッセの日本での誕生

カレームが創作したマロングラッセを日本に持ち込んだのは、明治25年(1892年)の米津風月堂分店の米津恒次郎です。彼は、明治時代の日本において、西洋菓子文化の導入に大きな役割を果たした人物です。米津恒次郎がどのようにしてフランスの製菓技術を習得したのかは詳細不明ですが、もしも彼が当時から現在の品質に近い完成度でマロングラッセを作っていたとすれば、それはまさに世界的にも称賛に値する業績です。

マロングラッセの作り方

マロングラッセの製造過程は非常に複雑で、まず栗を丁寧に剥き、形を崩さないように糖度を上げながら何度も煮詰めます。その過程では、風味や見た目を最大限引き出すために繊細な技術が求められます。この手間のかかる製造法がマロングラッセを「お菓子の王様」と称される所以です。

製造工程の概要

STEP
栗の選別

食用栗であるシャテーニュを厳選し、形が崩れないよう丁寧に扱います。特に、均一なサイズと形状が重要視されます。

STEP
皮むき

栗の外皮と渋皮を丁寧に剥きます。この工程で栗を傷つけないことが、完成品の美しさに直結します。

STEP
砂糖シロップへの浸漬

栗をシロップに漬け込み、少しずつ糖度を高めていきます。この過程を何日も繰り返し、栗にシロップを完全に浸透させます。

STEP
乾燥と仕上げ

シロップが染み込んだ栗を乾燥させ、表面に光沢を持たせるための仕上げを行います。

製法の難易度と工夫

栗の形状を保ちながら糖度を均一に染み込ませるには、繊細な技術と長時間の作業が求められます。また、使用する砂糖や水の温度管理も非常に重要で、これらが仕上がりの味と質感を大きく左右します。

マロングラッセの量産化

マロングラッセは高級菓子として知られる一方、その製造過程の複雑さゆえに大量生産が難しいとされてきました。しかし、日本ではフタバ食品がその壁を乗り越え、量産化に成功しました。

フタバ食品とマロングラッセの量産化

日本でマロングラッセの量産化を実現したのは、栃木県に拠点を置くフタバ食品です。同社は昭和20年(1945年)に創業し、昭和57年(1972年)にマロングラッセの量産化に成功しました。これまで職人の手作業に依存していたマロングラッセの製造を機械化することで、品質を保ちながら大量生産が可能になりました。フタバ食品の量産化は、マロングラッセを日本全国に広めるきっかけとなり、それまで高級品だったこのお菓子をより身近な存在に変えました。

マロングラッセの普及

フタバ食品による量産化以降、マロングラッセは特別な日だけでなく、より手軽に楽しめるスイーツとして普及しました。この技術革新は、フタバ食品の製菓業界における功績を象徴するものです。高級感と親しみやすさを兼ね備えたマロングラッセは、日本でもフランスでも長く愛され続けています。

マロングラッセの現在

マロングラッセはフランスでは、貴族や上流階級の間で愛される贅沢品として位置づけられてきました。クリスマスや特別な祝祭日に欠かせない菓子として知られています。特に高級ブランドが手掛けるマロングラッセは、宝石のような美しいパッケージに包まれ、贈答用としても重宝されています。

一方、日本ではその導入から発展までに多くの努力が費やされ、現代においても高級感のある贈答品として根強い人気を誇ります。米津恒次郎やフタバ食品のような先駆者たちの努力により、マロングラッセが洋菓子文化の一部として根付いてきました。その結果、現在では全国各地で様々なアレンジが施された商品が販売され、多くの人に親しまれています。

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