シフォンケーキとは
シフォンケーキは、その名のとおり「シフォン(chiffon)」という薄い絹織物のように、軽くやわらかな食感をもつケーキです。
ふわふわとした口当たりと、しっとりとした生地のなめらかさが魅力で、スポンジケーキやパウンドケーキとはひと味違う独特の存在感があります。
一口食べるとまるで雲を食べているような軽やかさ。にもかかわらず、しっかりとコクも感じられるため、食べ飽きることがありません。
ケーキの中でも非常に繊細で、素材と製法への理解がなければうまく仕上がらないため、製菓の中ではやや上級者向けとも言えるお菓子です。
シフォンケーキの誕生
シフォンケーキが生まれたのは、アメリカ・カリフォルニア州です。
考案者は、ハリー・ベーカー(Harry Baker)という人物。1883年に生まれ、1974年にその生涯を閉じた彼は、20世紀を代表するアメリカの菓子職人のひとりでした。
ベーカーは長年の試行錯誤の末、これまでにないふわふわの新食感ケーキを完成させます。それがシフォンケーキです。
この新しいケーキは、すぐに話題となり、「一体どうやって作られているのか?」と製菓業界の注目を集めました。しかし、ベーカーはこの画期的なレシピを公表しませんでした。
製法は長く“門外不出”とされ、まさに「幻のケーキ」として知られていたのです。
シフォンケーキの普及
転機が訪れたのは1948年。ハリー・ベーカーは、シフォンケーキのレシピを大手食品メーカー「ゼネラル・ミルズ(General Mills)」に売却します。
これにより、長らく秘密とされてきた製法が公開され、シフォンケーキは瞬く間にアメリカ全土、さらには世界中に広がっていきました。
アメリカの家庭では「エンジェルフードケーキ」と並ぶ定番スイーツとなり、日本にもそのブームが波及していくことになります。
フワフワの理由1:卵白の力「メレンゲ」
では、あの“魔法のようなフワフワ感”は、どのようにして生まれるのでしょうか。
一般的なお菓子作りでは、ベーキングパウダーやイースト菌などを使って生地を膨らませるのが一般的です。ですが、シフォンケーキではそれらに頼りません。代わりに使われるのが、卵白を泡立てて作るメレンゲです。
メレンゲとは、卵白を高速で泡立ててできる、白くもこもことした泡状の生地のこと。ここには、無数のきめ細かな気泡が含まれており、これが焼成中に熱で膨らむことで、シフォンケーキならではのふんわり食感が生まれるのです。
ただし、メレンゲの泡立ては非常に繊細な作業。泡が粗すぎると焼き縮みの原因になりますし、混ぜ方を間違えれば、せっかくの気泡がつぶれてしまいます。シフォンケーキは、まさに「空気を焼く」ような、デリケートなお菓子と言えるでしょう。
フワフワの理由2:油脂は「バター」ではなく「サラダ油」
シフォンケーキの特徴は使用する油脂にも表れています。通常のケーキではコクを出すためにバターが使われますが、シフォンケーキではサラダ油を使用します。
これは、食感に大きな違いをもたらす要素です。
油脂の種類 | 特徴 | シフォンケーキへの影響 |
---|---|---|
バター | 冷えると固まる | 焼いた後に生地が硬くなりやすい |
サラダ油 | 常温でも液体のまま | 冷めてもやわらかさを維持できる |
サラダ油は焼成後に冷めても固まらないため、しっとり感やふわふわ感が長続きします。これにより、時間が経っても美味しさが損なわれず、翌日以降でもしっとり柔らかいまま楽しめるのです。
フワフワの理由3:特別な型「シフォン型」
シフォンケーキを焼くときに使用する専用の型にも重要なポイントがあります。
- 中央に穴が空いたリング状の形
- 型の内側がツルツルではなく、ザラザラした表面
この構造には、しっかりとした理由があります。
ケーキ生地は焼き上がると膨らみますが、焼成後に冷めてくると、通常はどうしても少し縮んでしまいます。
ところが、シフォンケーキの場合、型のザラついた内側に生地が密着しているため、収縮する力に逆らって、形を維持することができます。
さらに、中央の穴があることで、生地は外側の壁面と内側の柱にしっかり支えられる構造になり、下に沈み込まず、ふっくらとした形をキープできるのです。
この「わざと型から外れにくくする」という逆転の発想が、ふんわり感を支えているのです。
現在のシフォンケーキ
ふわふわで軽やかな食感が魅力のシフォンケーキは、今や世界中で親しまれるお菓子となりました。
プレーンなバニラ味をはじめ、チョコレートやコーヒー、さらには日本独自の抹茶風味など、多彩なバリエーションが展開されています。
各国の食文化と融合しながら、シフォンケーキは時代とともに進化を遂げてきたのです。
日本に広がったシフォンケーキブーム
日本におけるシフォンケーキの広がりにも、興味深い背景があります。
特に注目すべきは、製菓・製パン業界で重要な役割を果たす原材料メーカーの存在です。
なかでも「日本油脂」(現在の「日油株式会社」)の取り組みは、シフォンケーキの普及を大きく後押ししました。
当時の課題はシフォンケーキの命ともいえる「メレンゲ」の泡をいかに安定させるか、という点でした。
メレンゲの気泡は非常に繊細で、少しの衝撃や混ぜ方次第で消えてしまいます。
手作業で作るぶんには細心の注意を払えばなんとかなるものの、大量生産の現場ではそうはいきません。
生地が安定せず、焼き上がりにムラが生じてしまうことも多かったのです。
メレンゲの泡を守るために開発された特殊油脂
そこで、日本油脂の研究チームは、泡が消えるのを防ぐための専用油脂の開発に乗り出しました。
これはメレンゲの気泡を壊さず、生地の安定性を高めるための特別な油脂です。
この技術が導入されたことでシフォンケーキの製造は一気に安定し、工場での大量生産にも対応できるようになりました。
ふわふわ感やしっとり感といった、手作りならではの魅力を維持しつつ、品質を保つ。
その実現に向けたこの技術は、業界にとって画期的なブレイクスルーだったのです。
流通を変えた「逆転の流行パターン」
これまでのお菓子ブームは、有名なシェフや専門店が発信源となり、それが雑誌やテレビで紹介されることで全国に広まりました。そして街のケーキ屋が商品化し、最後に大手メーカーが市場に参入する――という順番が一般的でした。
しかし、シフォンケーキのケースでは、まず原材料メーカーが新技術を開発し、それを用いた製品を先に大手企業と共同開発・販売。そしてその後に、街のケーキ屋や個人店がそれに追随するという「逆の流れ」が生まれたのです。
これは、技術主導の新たな市場創造の形といえるでしょう。
食品業界における原材料メーカーの存在感
このような流れを生み出した背景には、食品業界における原材料メーカーの存在感の高まりがあります。
日油だけでなく、旭電化、ミヨシ油脂、リボン食品など、多くの企業が単なる原材料の供給者にとどまらず「新しい食の楽しみ方」を提案する役割を果たすようになっていきました。
これらの企業は時代のニーズを捉える優れた企画力を持っており、製菓・製パン業者と連携して、新しい商品をスピーディーに実現する力を備えていました。
新しいものを受け入れる消費者の力
もう一つ重要なのが、日本の消費者の感性です。
日本人は「新しいもの」に対して好奇心が強く、また、美味しさに対する感度も高い傾向があります。
そのため、画期的なお菓子が登場すれば素早く受け入れられ、広く支持されやすいのです。
このように、原材料メーカーの企画力、製造企業の実現力、そして消費者の柔軟な感性。
この三者が揃うことで、日本のお菓子市場は、世界でも類を見ないほど活気に満ちた、エキサイティングな舞台となっているのです。
まとめ
シフォンケーキの歩みを振り返ると、一つのお菓子の人気の背景に、技術革新と市場構造の変化があったことが見えてきます。
アメリカ生まれのシンプルなお菓子が日本の技術と創造性によってさらに進化し、世界中で愛される存在となったことは、現代のグローバルな食文化の象徴ともいえるでしょう。
国境を越え、文化を越えて広がる「美味しさ」の力。そして、それを支える目に見えない技術と情熱。シフォンケーキの物語には、そんな“食”の未来へのヒントが詰まっているのかもしれません。