平安時代のお菓子|八種唐菓子・枕草子の削り氷・源氏物語の椿餅

平安時代のお菓子と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。砂糖がまだ貴重品ですらなかったこの時代、貴族たちは知恵を尽くして「甘いもの」を楽しんでいました。遣唐使が伝えた揚げ菓子「唐菓子(からくだもの)」、清少納言が『枕草子』に記した削り氷(けずりひ)、『源氏物語』に登場する椿餅(つばいもちひ)——王朝文学の中には、お菓子の姿が生き生きと描かれています。このページでは、平安貴族の甘味文化を、文献の記述をひもときながら詳しく紹介します。
| 時代 | 平安時代(794年〜12世紀末ごろ) |
|---|---|
| 代表的な菓子 | 唐菓子(八種唐菓子)、削り氷、椿餅、水菓子(果物) |
| 甘味料 | 甘葛煎(あまづらせん)、蜂蜜、飴——砂糖はまだ超貴重品 |
| 登場する文献 | 『枕草子』『源氏物語』『倭名類聚抄』など |
砂糖のない時代の「甘さ」|甘葛煎(あまづらせん)
平安時代の甘味文化を支えたのは、砂糖ではありません。当時の砂糖は唐からもたらされるごくわずかな薬のような存在で、菓子に使えるものではありませんでした。代わりに使われたのが「甘葛煎(あまづらせん)」。ツタなどの植物の樹液を煮詰めて作る甘味料で、平安京の市でも売られていたことが知られています。ほかに蜂蜜や、米や麦のでんぷんから作る飴(あめ)も貴重な甘味でした。
甘葛煎は採取も製造も手間がかかるため、たいへんな高級品。「甘いもの」はそれ自体が、身分の高さの証だったのです。近年、奈良女子大学などが甘葛煎の再現に取り組み、上品でやさしい甘さだったことが確かめられています。
唐菓子(からくだもの)|遣唐使が伝えた揚げ菓子
どんなお菓子か
唐菓子は、遣唐使を通じて唐(中国)から伝わった菓子の総称です。もち米やうるち米、麦、大豆などの粉をこねて形を作り、胡麻油で揚げるのが基本の製法。ニッキ(肉桂)や丁子といった香辛料を加えることもあり、現代の感覚でいえば、香り高い揚げ餅のようなお菓子でした。「果物(くだもの)」と呼ばれていた木の実や果実に対し、人の手で作られたこれらは、日本のお菓子の歴史における大きな転換点となりました。
八種唐菓子(やくさのからくだもの)
平安時代中期の辞書『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』には、代表的な唐菓子として8種類が挙げられており、「八種唐菓子」と呼ばれます。
| 梅枝(ばいし) | 梅の枝をかたどったとされる揚げ菓子 |
|---|---|
| 桃枝(とうし) | 桃の枝をかたどったとされる揚げ菓子 |
| 渇餬(かっこ) | 虫をかたどったと伝わる菓子 |
| 桂心(けいしん) | ニッキ(桂皮)を用いた菓子 |
| 黏臍(てんせい) | くぼみのある形の菓子 |
| 饆饠(ひちら) | 平たく焼いた(揚げた)菓子 |
| 鎚子(ついし) | 槌のような形の菓子 |
| 団喜(だんき) | 団子状の菓子。歓喜団とも |
いまも神社に生きる唐菓子
唐菓子は主に神仏への供物や、宮中の儀式・饗宴で用いられました。驚くべきことに、その姿は現代にも受け継がれています。奈良の春日大社では梅枝や餢飳(ぶと)、糫餅(まがり)が、京都の下鴨神社でも餢飳や糫餅が、いまも神饌(お供え)として調製されているのです。また、京都の八坂神社門前の菓子店には、団喜の流れをくむ「清浄歓喜団」が伝わっています。千年前のお菓子を、いまも目にできる——日本の菓子文化の連続性を物語る存在です。
削り氷(けずりひ)|清少納言が愛した夏の贅沢
『枕草子』の「あてなるもの(上品なもの・高貴なもの)」の段に、こんな一節があります。「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺(かなまり)に入れたる」——削った氷に甘葛煎をかけ、真新しい金属の椀に盛ったもの。つまり、平安時代のかき氷です。
冷凍技術のない時代、氷は冬に切り出して「氷室(ひむろ)」で夏まで保存された、めったに口にできない超高級品でした。そこに高価な甘葛をかけるのですから、削り氷はまさに贅沢の極み。清少納言が「上品なもの」の筆頭級に挙げたのもうなずけます。現代の私たちが夏に楽しむかき氷は、千年前の宮中の憧れの味の末裔なのです。
椿餅(つばいもちひ)|『源氏物語』のお菓子
『源氏物語』には、「椿餅(つばいもちひ)」というお菓子が登場します。道饗(蹴鞠のあとの酒宴)の場面で、若者たちが椿餅や梨、柑子(みかん)などをにぎやかにつまむ様子が描かれており、当時の「おやつの情景」を伝える貴重な記述です。
椿餅は、もち米の粉(道明寺粉のようなもの)を甘葛煎で甘くまとめ、椿の葉2枚で挟んだお菓子とされます。じつはこの椿餅、餡こそ入っていないものの、いまも和菓子店に春の菓子として受け継がれています。餡入りの現代版椿餅は、桜餅の親戚のような存在。文学の中のお菓子を、いまも味わえるのは幸せなことです。
水菓子|「くだもの」こそお菓子だった
平安時代、「菓子(くだもの)」という言葉は、本来、木の実や果物を指していました。梨、柑子(こうじ=小ぶりのみかん)、栗、柿、瓜——これらの自然の甘みは、そのまま貴族のデザートでした。人工の菓子(唐菓子など)と区別するため、果物はやがて「水菓子」と呼ばれるようになります。いまも料亭などでデザートの果物を「水菓子」と呼ぶのは、この時代の名残です。
その後の和菓子への流れ
平安時代の菓子文化は、唐菓子の製法と、行事・儀式と結びつく伝統を残しました。この土台の上に、鎌倉・室町時代には禅とともに点心や茶の文化が伝わり、茶菓子が発展。やがて砂糖が広まる江戸時代に、和菓子は大きく花開きます。平安貴族の削り氷や椿餅は、千年続く和菓子の物語の、雅やかな序章だったのです。
まとめ
平安時代のお菓子は、遣唐使が伝えた八種唐菓子、清少納言が愛でた削り氷、『源氏物語』の椿餅、そして「くだもの」と呼ばれた水菓子——文学と儀式に彩られた、雅な甘味文化でした。砂糖のない時代に甘葛煎で甘さを生み出した知恵、そして春日大社や下鴨神社にいまも残る唐菓子の姿は、日本のお菓子の千年の歩みを教えてくれます。


