塩味ブームとは
何年か前から、お菓子業界では特定の商品の流行ではなく、ある特定の「味の傾向」が、さまざまな種類のお菓子に広まっていくという興味深い現象が起きていました。この傾向は、2000年代にシナモンテイストが流行したあたりから始まったと言われています。その後、ジンジャーテイストやトマトテイストといった、これまでの甘いお菓子にはなかった味が次々と登場し、人々の味覚に新しい驚きをもたらしました。
そして、この流れの中で、今度は「塩テイスト」が注目されるようになったのです。塩は、私たちが生きていく上で欠かせない味覚の一つです。しかし、これまでは特別に強調されることはありませんでした。そのため、お菓子の世界で塩が脚光を浴びたことは、とても新鮮な出来事として映りました。
塩味ブームの始まり
この流行は、従来の甘いお菓子に新しい風を吹き込みました。シナモン、ジンジャー、そしてトマトといった、甘味とは異なる風味が次々と受け入れられていったのです。これらの流行は、人々の味覚が多様な体験を求めていることを示していました。
人間が塩を求める理由の基
塩がお菓子にまで使われるようになったのは、単なる流行だけではありません。実は、人間と塩には深い歴史的なつながりがあります。なぜ私たちの身体は塩分を必要とするのか、その秘密をひも解いてみましょう。
人間には塩分が必要
人間の身体を流れる血液は、その量の15分の1を占めており、その中には塩分(ナトリウム)が含まれています。このナトリウムは、人体の細胞の外にある陽イオンの90パーセントを占める重要な成分です。さらに、血液のペーハー(pH)値は7.35から7.45に保たれており、これは海水のペーハーとほぼ同じ値を示しています。
なぜ海水と似ているのか?
私たちの身体が海水と同じような塩分を必要とする理由は、人類が進化してきた歴史に隠されています。生物は、海の生物と同じように海の中から生まれて進化してきたと言われています。海で生まれた生命の末裔である証拠として、私たちの身体は今でも海水に近い塩分を求めているのです。
貴重な存在だった昔の塩
現代を生きる私たちは、普段の食事に塩分が含まれていると、それを「おいしい」と感じます。これは、身体が塩分を必要としているからにほかなりません。
塩の歴史的な価値
しかし、昔の人々が塩を手に入れるのは大変なことでした。人間は古くから、さまざまな方法で塩分を摂取してきました。初めの頃は、物を焼いた灰や野生動物の肉に含まれるナトリウムから摂っていました。やがて、加工食品を食べる時代になると、岩塩や塩水湖、塩水沼から採った塩を加えていました。そのためには、遠く離れた海辺や山奥まで行かなければならないこともあり、当時、塩はとても貴重なものでした。
お菓子業界に起きた「塩テイスト」の衝撃
現代において、その貴重な塩がお菓子に登場し、多くの人を驚かせました。特に、甘いお菓子を扱う業界の人々は、この予期せぬブームに戸惑いながらも、その可能性に興味津々でした。
甘味業界が驚いた理由
お店に来たお客さんが、いきなり「お塩の入ったチョコレートありますか?」と聞いたり、電話で「塩キャラメルはどこで買えますか?」と問い合わせたりするようになったのです。
これまでの甘いお菓子に塩味が全くなかったわけではありません。フランスなどでは、ほんのり塩分を感じるキャラメルは存在していました。しかし、現代のブームで登場したものは、これまでよりもずっとしっかりと塩味を感じられるものでした。
従来の甘いお菓子との違い
ケーキの場合でも、キッシュ・ロレーヌ(ロレーヌ地方のキッシュ)やケイク・サレ(塩味のパウンドケーキ)のような「料理」に近いお菓子には、元々塩味がついていました。しかし、それ以外のお菓子は甘いものがほとんどでした。チョコレートも、ほんのわずかに塩気を感じるものはあっても、塩味そのものをはっきりと感じさせるようなものは、ほとんど見かけませんでした。それが、突然もてはやされるようになったのです。味覚の世界に生きる人々は、この現象にとても興味を持ち、新しい味覚の可能性が開かれることに期待を寄せました。
「塩テイスト」は一過性のブームではなかった
塩テイストのブームは、あっという間に過ぎ去っていきました。多くの人は「やっぱりこれも一時的な流行だったのか」と思ったことでしょう。
しかし、実はそうではありませんでした。確かにブームは終わりましたが、それをきっかけに、塩を使った新しいお菓子が次々と生み出されたのです。このブームは、単なる流行ではなく、お菓子作りの**「味覚の幅を広げる」**ための良いきっかけとなったようです。
甘いだけでなく、塩味が加わることで生まれる複雑で奥深い味わいは、人々に新しい食の体験をもたらしました。これは、人間が常に新しい味を求めていることの表れであり、私たちと塩との長い歴史の中で、特に印象深い出来事として記憶されることでしょう。