天乃屋とは|甘納豆屋が生んだ歌舞伎揚と家紋の物語

天乃屋(あまのや)とは、東京都武蔵村山市に本社を置く米菓メーカーです。甘じょっぱい揚げせんべいの代名詞「歌舞伎揚(かぶきあげ)」の会社として知られています。あのせんべい一枚一枚に「家紋」が刻まれていること、そして袋の模様が歌舞伎の舞台の幕であることに、気づいていたでしょうか。じつは天乃屋は、甘納豆の店として生まれた会社。その「甘さ」の経験こそが、歌舞伎揚のあの味を生みました。このページでは、天乃屋の歩みと歌舞伎揚の物語を掘り下げて紹介します。
天乃屋の基本情報
| 会社名 | 株式会社 天乃屋 |
|---|---|
| 創業 | 1951年(新宿での甘納豆の卸売から) |
| 設立 | 1953年(昭和28年)7月30日 |
| 創業者 | 齊藤龍雄 |
| 代表者 | 代表取締役社長 大砂信行 |
| 本社所在地 | 東京都武蔵村山市伊奈平2丁目17番地2 |
| 資本金 | 9,126万円 |
| 従業員数 | 480名 |
| 事業内容 | 米菓製造販売 |
| 工場 | 武蔵村山(東京)、奥州(岩手)、矢吹(福島) |
| 看板商品 | 歌舞伎揚(1960年発売) |
東京の米菓メーカーはめずらしい存在ですが、天乃屋は武蔵村山を本拠に、岩手・福島にも工場を構えて全国へ歌舞伎揚を届けています。米どころ新潟勢とはひと味違う、首都圏育ちのおせんべい屋さんです。
参考:会社概要|天乃屋
天乃屋の歩み|甘納豆屋から始まった
天乃屋の始まりは、1951年(昭和26年)。創業者・齊藤龍雄が東京・新宿で甘納豆の卸売を始めたことにさかのぼります。1953年に世田谷で「有限会社天乃屋」を設立し、やがて米菓の世界へ。1969年には武蔵村山に東京工場を開き、株式会社となりました。いまも武蔵村山の工場直売店では、できたての歌舞伎揚が買えることで知られ、地元の名所になっています。
参考:沿革|天乃屋
天乃屋のあゆみ年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1951年 | 齊藤龍雄が新宿で甘納豆の卸売を始める |
| 1953年 | 有限会社天乃屋を設立 |
| 1960年 | 「歌舞伎揚」を開発・発売 |
| 1969年 | 武蔵村山に東京工場を開設し、株式会社天乃屋に |
甘納豆からせんべいへ。創業からわずか10年で看板商品にたどり着いた、思い切りのよい歩みです。
歌舞伎揚|甘納豆の経験が生んだ甘じょっぱさ
「甘みを足せば、もっとうまい」
1960年(昭和35年)当時、揚げせんべいといえば醤油だけで味付けするのが主流でした。しかし、甘納豆づくりで「甘さ」を知り尽くしていた天乃屋は、「甘みを足した方がおいしくなる」と確信します。試行錯誤の末に生まれたのが、醤油だれに甘みを効かせた揚げせんべい「歌舞伎揚」。当時としては珍しい甘じょっぱい味は大当たりし、以来60年以上、日本の揚げせんの定番であり続けています。サクッと軽い歯ざわりと、じゅわっと広がる甘辛だれ——一度食べたら止まらないおいしさです。
定式幕と家紋|名前に込めた伝統文化
「歌舞伎揚」という名前には、「せんべい」と「歌舞伎」という二つの伝統文化を一緒に伝えたい、という願いが込められています。包装袋の模様は、歌舞伎の舞台で使われる定式幕(じょうしきまく)の三色(萌葱・柿・黒)。そして、せんべいの生地一枚一枚には、歌舞伎役者の家系をイメージした「家紋」が刻印されています。丸いせんべいと四角いせんべいがあるのは、丸型と角型の家紋があるから。お菓子そのものが、小さな歌舞伎の舞台なのです。
広がる歌舞伎揚ファミリー
定番の歌舞伎揚に加え、ひとくちサイズの「歌舞伎揚 瑞夢(ずいむ)」、減塩タイプや期間限定フレーバーなど、ファミリーは年々広がっています。ソフトな口当たりの上品な瑞夢は贈答にも使われ、駄菓子的な親しみと、東京土産としての顔を併せ持つブランドに成長しました。
まとめ
天乃屋は、甘納豆屋の「甘さの知恵」から歌舞伎揚を生み出した、東京の米菓メーカーです。定式幕の袋と家紋の刻印には、せんべいと歌舞伎、二つの伝統への敬意が込められています。あの甘じょっぱい一枚は、じつは物語のかたまり——次に食べるときは、ぜひ家紋を確かめてみてください。
歌舞伎揚の家紋の意味は、本文中の記事でさらに詳しく紹介しています。
