佐久間製菓とは|サクマ式ドロップスと二つのサクマの物語

佐久間製菓(さくませいか)とは、東京・池袋に本社を置いていた菓子メーカーで、赤い缶の「サクマ式ドロップス」で知られた会社です。明治生まれの国産ドロップの草分けであり、映画『火垂るの墓』の赤い缶として世界中の記憶に刻まれました。じつは「サクマ式ドロップス(赤缶)」と「サクマドロップス(緑缶)」は別々の会社の商品で、その裏には戦争が生んだ「二つのサクマ」の物語があります。そして2023年、赤缶の佐久間製菓は115年の歴史に幕を下ろしました。このページでは、サクマ式ドロップスをめぐる数奇な歴史を掘り下げて紹介します。
佐久間製菓の基本情報(廃業時点)
| 会社名 | 佐久間製菓株式会社 |
|---|---|
| 始まり | 1908年、佐久間惣治郎が「サクマ式ドロップス」を発売 |
| 戦後の再興 | 元番頭・横倉信之助が池袋で設立 |
| 本社所在地 | 東京都豊島区池袋(廃業時) |
| 看板商品 | サクマ式ドロップス(赤缶) |
| 廃業 | 2023年1月(原材料高騰やコロナ禍の影響) |
| 類縁会社 | サクマ製菓(緑缶「サクマドロップス」)は別会社として営業継続 |
佐久間製菓のあゆみ年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1908年 | 佐久間惣治郎が国産ドロップ「サクマ式ドロップス」を発売 |
| 1913年 | 湿気を防ぐ缶入りでの販売を開始 |
| 1944年 | 戦時下の企業整備令などにより、いったん廃業 |
| 戦後 | 「佐久間製菓(赤缶)」と「サクマ製菓(緑缶)」の二社に分かれて再興 |
| 1988年 | 映画『火垂るの墓』に赤缶が登場 |
| 2023年 | 佐久間製菓が廃業。115年の歴史に幕 |
戦争で一度、経済環境で二度目の幕引き。それでも「サクマ」の飴そのものは、緑缶のサクマ製菓へと受け継がれています。
サクマ式ドロップスの誕生(1908年)
物語の始まりは1908年(明治41年)。創業者・佐久間惣治郎が、国産の本格ドロップ「サクマ式ドロップス」を世に送り出しました。当時の飴と違い、クエン酸を使うことで「夏でも溶けにくく」「透きとおって美しい」画期の製法で、「式」の一字には独自製法への誇りが込められています。1913年(大正2年)には、湿気を防ぐ缶入りでの販売を開始。あの「カンカン」と鳴る缶は、日本の飴文化の象徴になりました。
戦争が生んだ「二つのサクマ」
赤缶と緑缶、別会社だった
戦時中の1944年、砂糖不足と企業整備令により、元の佐久間製菓は一度廃業に追い込まれます。戦後、その系譜は二つに分かれました。番頭だった横倉信之助が池袋で興した「佐久間製菓」と、創業家ゆかりの人物が恵比寿で興した「サクマ製菓」です。両社は「サクマ」の名をめぐって裁判で争い、最終的に、池袋の佐久間製菓が赤缶の「サクマ式ドロップス」を、恵比寿のサクマ製菓が緑缶の「サクマドロップス」を販売するという形で共存することになりました。売り場に二つの「サクマ」が並ぶ、日本のお菓子史でも珍しい風景は、こうして生まれたのです。
『火垂るの墓』の赤い缶
赤缶のサクマ式ドロップスを世界の記憶に刻んだのが、1988年のスタジオジブリ映画『火垂るの墓』です。節子が大切に抱えるドロップの缶、最後に残った欠片を水に溶かして飲む場面——赤い缶は、戦時下の子どもたちのささやかな幸せの象徴として描かれました。映画を機に当時のデザインを再現した復刻版も作られ、佐久間製菓の赤缶は単なるお菓子を超えた、昭和の記憶そのものになりました。
2023年、赤缶の幕引きと緑缶の継続
2023年1月、佐久間製菓は廃業しました。原材料価格の高騰やコロナ禍の影響が理由とされ、115年の歴史を持つ赤缶の終売のニュースは、日本中に惜しむ声を広げました。一方で、緑缶の「サクマドロップス」を作るサクマ製菓は別会社として営業を続けており、「サクマ」の飴の系譜はいまも生きています。赤缶と緑缶の物語は、のれんと味が人から人へ受け継がれていく、日本のお菓子文化の縮図といえるでしょう。
まとめ
佐久間製菓は、明治の発明「サクマ式ドロップス」を受け継ぎ、火垂るの墓の赤い缶として愛され、2023年に静かに幕を下ろした会社です。戦争による分裂、二つのサクマの共存、そして別れ——小さなドロップの缶に、日本の百年がぎっしり詰まっています。カンカンと鳴るあの音を、覚えておきたいものです。
サクマ式ドロップスの発祥の詳しい話は、本文中の記事で紹介しています。
