ヤマザキビスケットとは|チップスターとナビスコ46年の物語

ヤマザキビスケット(YBC)とは、東京都新宿区に本社を置くビスケット・スナックメーカーです。筒に入った成型ポテトチップス「チップスター」の会社として知られています。かつての社名は「ヤマザキナビスコ」。リッツやオレオを日本で製造し、サッカーの「ナビスコカップ」にも名を刻んだ、あの会社です。アメリカの名門ブランドとの46年におよぶ提携、そして決別と再出発——このページでは、ヤマザキビスケットの波乱の歩みと看板商品を掘り下げて紹介します。
ヤマザキビスケットの基本情報
| 会社名 | ヤマザキビスケット株式会社(YBC) |
|---|---|
| 設立 | 1970年10月(ヤマザキナビスコとして) |
| 代表者 | 代表取締役社長 飯島茂彰 |
| 本社所在地 | 東京都新宿区西新宿1-26-2 新宿野村ビル40F |
| 資本金 | 16億円 |
| 従業員数 | 1,000名 |
| 事業内容 | ビスケット、スナック、キャンディ、チョコレート等の菓子製造販売 |
| 株主構成 | 山崎製パン80%、双日20% |
| 主な商品 | チップスター、ルヴァン、エアリアル ほか |
株主構成に注目してみてください。山崎製パンと並んで、商社の双日が20%を持っています。双日の前身の一つは、1970年の三社合弁に参加した日綿實業。ナビスコが去ったいまも、設立時のパートナーの系譜が株主として残っているわけです。
ヤマザキナビスコの時代|リッツとオレオを日本へ
この会社は1970年(昭和45年)、製パン最大手の山崎製パン、アメリカのビスケット大手ナビスコ、商社の日綿實業(現・双日の前身の一つ)の三社合弁で設立されました。社名は「ヤマザキナビスコ」。アメリカの人気ビスケット「リッツ」や「オレオ」を日本で製造・販売し、日本の洋風ビスケット文化を切り開きました。1992年からはサッカーのカップ戦「ナビスコカップ」に冠を掲げ、社名は日本中に知られる存在になりました。
参考:沿革|ヤマザキビスケット
チップスター|筒に詰まった日本生まれの発明
1976年(昭和51年)1月に発売された「チップスター」は、じゃがいもを一度フレーク状にしてから薄く成形して揚げる、日本生まれの成型ポテトチップスです。同じ形にそろったチップスを筒に重ねて収めるスタイルは、割れにくく、湿気にくく、食べやすいと三拍子そろった発明でした。スライスしたじゃがいもを揚げる普通のポテトチップスとの違いも、知ると面白いポイントです。半世紀近くたったいまも、YBCの看板であり続けています。
2016年の決別|「ナビスコ」の名を返上する
46年の提携の終わり
2016年、大きな転機が訪れます。ナビスコブランドを持つ米モンデリーズ社とのライセンス契約が終了し、リッツ・オレオ・プレミアムなどの製造販売を8月末で終えることになったのです。同年9月1日、社名を「ヤマザキビスケット」に変更。46年親しんだ「ナビスコ」の名を返上する、思い切った再出発でした。サッカーのナビスコカップも「ルヴァンカップ」へと名を変え、時代の節目として大きな話題になりました。
「ルヴァン」で挑む第二章
リッツを失ったYBCは、長年のクラッカー製造技術を注いだ自社ブランド「ルヴァン」を立ち上げ、真っ向から市場に挑みました。発酵種(ルヴァン)を使った香ばしいクラッカーは、着実に定番の座を築いています。他社ブランドの看板に頼らず、自らの技術で勝負する——社名変更は、その決意表明でもありました。
ヤマザキビスケットのあゆみ年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1970年 | 山崎製パン・米ナビスコ・日綿實業の三社合弁で「ヤマザキナビスコ」設立 |
| 1976年 | 「チップスター」を発売 |
| 1992年 | サッカーの「ナビスコカップ」に協賛開始 |
| 2009年 | 「エアリアル」を発売 |
| 2016年 | ナビスコとのライセンス契約が終了。社名を「ヤマザキビスケット」へ変更し、「ルヴァン」を発売 |
46年間の提携と、その後の自立。会社の節目が、そのまま日本の洋風ビスケット史の節目になっています。
エアリアルと個性派スナック
2009年発売の「エアリアル」は、4層構造のサクサク食感が癖になるコーンスナック。濃いめの味付けとザクザク感で、熱心なファンを持つ個性派です。ビスケットで培った生地の技術を、スナックにも生かせるのがYBCの強み。チップスター、ルヴァン、エアリアルと、それぞれ製法の異なる看板を持っています。
まとめ
ヤマザキビスケットは、ナビスコとの合弁でリッツ・オレオを日本に広め、自社開発のチップスターを育て、そして2016年にブランド独立という大勝負に出た会社です。筒入りのチップスターの向こうには、46年の提携と決別、そして技術で立つ再出発の物語があります。


