協同乳業(メイトー)とは|ホームランバーと日本初の物語

協同乳業(きょうどうにゅうぎょう)とは、東京都に本社を置く乳業メーカーで、「メイトー」のブランド名で親しまれています。木のスティックに当たりくじが付いた「ホームランバー」の会社、と言えばピンとくる方も多いはず。じつはこの会社、日本で初めてアイスクリームバーを作り、日本で初めて「当たり付きアイス」を売り、日本で初めてカスタードプリンの工業化に成功した——「日本初」を積み重ねてきたパイオニアです。このページでは、協同乳業の歩みとホームランバーの物語を掘り下げて紹介します。
協同乳業の基本情報
| 会社名 | 協同乳業株式会社(ブランド名:メイトー) |
|---|---|
| 設立 | 1953年(昭和28年)12月 |
| 代表者 | 代表取締役社長 深松聖也 |
| 本社所在地 | 東京都中央区日本橋小網町17-2 |
| 資本金 | 18億円 |
| 従業員数 | 連結1,431名(2026年3月31日現在) |
| 事業内容 | 牛乳、アイス、デザート、乳製品の製造・販売など |
| 工場 | 東京(日の出町)、千葉(船橋)、新群馬(伊勢崎)、東海(犬山)、関西(和泉)の5工場 |
| 日本初 | アイスクリームバー(1955年)、当たりくじ付きアイス(1960年)ほか |
| 主な商品 | ホームランバー、なめらかプリン、メイトー牛乳 ほか |
工場は関東から関西まで全国に5か所。牛乳という鮮度勝負の商品を扱う乳業メーカーらしく、消費地の近くに製造拠点を分散させる体制です。
協同乳業の歩み|「協同」の名に込めた理念
協同乳業は、1953年(昭和28年)に設立されました。社名の「協同」には、「牛乳を生産する農家、加工する会社、消費する人々が、同じ立場で力を合わせる」という創業の理念が込められています。農協との深いつながりから「メイトー・農協シリーズ」のブランドで牛乳や乳製品を届け、1956年には日本初のテトラパック牛乳を生産するなど、乳業の近代化を先導してきました。
協同乳業のあゆみ年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1953年 | 協同乳業株式会社を設立 |
| 1955年 | 日本初のアイスクリームバーの生産を開始 |
| 1956年 | 日本初のテトラパック牛乳を生産開始 |
| 1960年 | 日本初の当たりくじ付きアイス「ホームランバー」を発売 |
| 1981年 | 日本初の本格カスタードプリンの工業化に成功 |
年表の5行のうち4行に「日本初」が入る会社は、なかなかありません。挑戦の社風が数字に表れています。
ホームランバー|日本初づくしの国民的アイス
日本初のアイスクリームバー(1955年)
1955年(昭和30年)、協同乳業は日本で初めて「アイスクリームバー」の生産を始めました。それまで高級品だったアイスクリームを、木の棒に付けた手軽なバーにして、子どもの手に届く価格で届ける——このアイスこそ、ホームランバーの原型です。
「当たり」の元祖(1960年)
1960年(昭和35年)には、スティックに「ホームラン」の焼き印が出たらもう1本、という日本初の当たりくじ付きアイスとして「ホームランバー」が発売されます。食べ終わった棒を見つめるあのドキドキは、この会社の発明でした。野球人気の時代に「ホームラン=大当たり」を重ねたネーミングもぴたりとはまり、以来60年を超えて愛される国民的アイスになりました。バニラとチョコの素朴な味わいも健在です。
プリンのパイオニア|工業化からなめらかプリンへ
協同乳業は、プリンの歴史でも先駆者です。1981年(昭和56年)、日本で初めて本格カスタードプリンの工業化に成功。そして平成には、とろとろの食感で常識を変えた「なめらかプリン」で、プリンの新時代を切り開きました。固いプリンが当たり前だった時代に、あえて「すくって食べるやわらかさ」へ——失敗作と言われかねない柔らかさをヒットに変えた物語は、いまも語り草です。
まとめ
協同乳業は、「協同」の理念のもと、日本初のアイスバー、日本初の当たり付きアイス、プリンの工業化と、数々の「初めて」を生んできた乳業メーカーです。ホームランバーの棒の焼き印に一喜一憂した思い出は、この会社からの贈り物。メイトーの名前の向こうには、半世紀を超えるパイオニアの歩みがあります。
ホームランバーやなめらかプリンの詳しい話は、本文中の記事で紹介しています。

